金色の海
「リリアン! 倒れたって聞いたで! 何しとんねん!」
「お姉ちゃん、だから働きすぎだって!」
飛び込んできたのは、赤髪の青年ギデオンと、弟の少年アッシュだった。
「誤解だよ。倒れたのは私じゃないって」
リリアンが経緯を説明すると、ギデオンが、カイを睨みつけた。
「おい、そこの銀髪! うちの村の宝に、勝手な真似すんなや!」
「勝手な真似。具体的にどの行動を指す」
「全部じゃ阿呆! リリアンは俺らアークライトの生命線やぞ、ちょっかい出さんといてや!」
「お姉ちゃんは、僕が守る!」
アッシュがリリアンの前に立ちはだかる。
カイは、敵意を剥き出しにする兄弟と、その背後のリリアンを交互に見つめた。無表情のまま旅装束の内側からずしりと重い革袋を取り出した。
「食事への対価だ。受け取れ」
テーブルの上に置かれた革袋の口が開くと、鈍く光る金貨が覗いた。
「こ、こんなに受け取れません!」
「俺の人生で最高の食事だった。適正な価格だ」
「……本当に適正なぶんだけ、いただきます。残りはお返しします」
「では、残りの金は、この村の為に使え。俺の食事環境を安定させるための投資だ」
「ご親切はありがたく存じますが……」
「親切ではない、投資だ。……また来る。十分な対価を用意する。俺のために料理を用意してほしい」
「……自分用に作る時に、多めに作るくらいでしたら」
口に出してから、貴族であろうカイに対して、平民らしからぬ不敬な台詞だったと気づく。カイは、特に気にした様子もなく、頷いた。
「十分だ。味と食感が均一になる最適な切り方を……」
「分かりましたから」
真面目な顔で、一生懸命に言い募るカイが可笑しくて、リリアンは声を上げて笑った。
風が吹いた。窓から砂漠の乾いた空気が流れ込み、リリアンの髪をふわりとなびかせた。
カイは、リリアンの笑顔をじっと見つめていた。
何かを計算するように。何かを、記録するように。
「カイ様。そろそろ、発たれませんと」
従者が、有無を言わせない声で促した。
「……ああ」
カイが立ち上がった。
戸口の手前で、カイが一度だけ振り返った。
「リリアン」
初めて名前を呼ばれた。低く、澄んだ響き。
「はい、カイ様」
「……敬称は不要だ。俺は、多分――君を可愛いと、思っている」
去っていく銀髪の背中を、リリアンは見送った。
去り際、カイの頬がほんのりと赤かったのは、砂漠の夕陽のせいだけではないはずだ。
従者が最後にリリアンへ向き直り、深く一礼した。先ほどまでの敵意は、完全に消えていた。
「なんやねんアイツら……!」
「……お姉ちゃんが可愛いことくらい、僕らだって知ってるからね! ていうか、ちょっと可愛いなーくらいの、軽い気持ちじゃないっていうか! アークライトの妖精! 女神! 姫!」
蚊帳の外に置かれた兄弟が、不満げな声を上げた。
*
その夜。
カイは馬上で、無言で空を仰いでいた。夜風が銀髪を撫でる。宝石のような星々が、頭上を流れていく。
「カイ様。……ご機嫌がよろしいようで」
従者が、慎重に声をかけた。
「機嫌に変化はない」
「……では、口角が上がっておられるのは?」
「……」
カイは黙り込んだ。自分の口元に指を当て、確かに唇の端が持ち上がっていることを確認する。
「……筋肉の不随意な収縮だ」
「私はカイ様が誰かを欲しがるのを、初めて見た気が致します。……しかし、貴族なのか平民なのかよく分からないお相手ですと……」
「気の早い……」
――星々が、旅人たちの行く手を灯すように、煌々と輝いていた。
*
カイはその後、本当にアークライトへ訪れた。
不定期ではあったが、概ね1-2月に一回は、確実に。季節が巡るごとに、訪問の頻度はじわじわと増えていった。
カイは、リリアンの目指す村の発展に、興味津々だった。
「単位面積あたりの収穫効率は」
「水脈の枯渇リスクと、フェイルセーフは」
「労働力のインセンティブ設計は」
矢継ぎ早にカイから発せられる質問は、十分に行政学や政治学、はては農業にいたるまで、深くを学んできた人間のそれだった。
リリアンも、知的な会話相手を得た喜びに火がつき、白熱した議論を交わした。
*
カイの訪問には、回を重ねるごとに、不思議な贈り物が伴うようになった。
王都でしか手に入らない学術書。南方の珍しい果実の種。精密な測量器具の設計図。
全てが、アークライトの仕組みを進化させるものばかりだった。
「これは?」
「南方大陸産の耐乾品種の苗だ。リリアンが開発中の麦と掛け合わせれば、収穫量は四割増が見込める」
「ちょ、ちょっと待って。こんな珍しい苗、どうやって……」
「入手経路は問うな。最近、王都にいる間も、リリアンの村に役立つものを、ずっと探している……。それだけで、毎日が楽しい」
カイの顔が、わずかに得意げだった。
「……カイって、本当に何者なの?」
「帝都における情報管理者の一人、とだけ認識しておけ。これ以上の詳細データの開示は、許可できない」
「……またそういう堅苦しい言い方! まあいいよ、無理に聞かないから。カイが何者でも、私にとっては大事な友人だし」
カイは一瞬、ぽかんとした顔をした。形の良い目が、丸くなる。
「……友人、か。俺にそういう存在ができたのは、初めてだ」
照れ隠しのように視線を外す仕草が、美貌に不似合いで、リリアンは思わず小さく笑った。
*
リリアンが王都を追放されてから、5年。
「……素晴らしいな」
カイの瞳が、大きく見開かれた。
見渡す限りの、黄金色の海。
リリアンが、カイの支援も得て生み出した独自品種の麦――『アーク・ウィート』が、乾季の終わりの陽光を浴びて、穂先を重く垂らしていた。
熱風が吹くたびに、数百メートルの麦穂が一斉にさざ波のように揺れ、地平線の彼方まで続いていた。
「カイのアドバイスのおかげ」
リリアンは麦畑のあぜ道を歩きながら、穂先に手を伸ばした。
「……うん。完璧。今年は過去最高の品質ね」
金色の絨毯を、二人で連れ立って歩く。
農民たちが、生き生きと働いていた。額に汗し、土にまみれ、しかしその表情は明るい。リリアンの姿に気づくと、軽く手を振り、笑顔で会釈して、また自分たちの仕事に戻っていく。
「……君は、この集落の長なんだろう。住人たちは、君に怯えも媚びもしないんだな」
カイが、小さく呟いた。
「だって、この麦畑を耕したのは彼ら自身だもの。私に与えてもらった土地じゃない。自分たちの手で荒野から切り開いた大地だから……胸を張って、自由に働いている」
「……リリアン。この麦畑は、俺が今まで見た中で最も美しい風景だ」
カイの声が、低く響いた。
風が吹いた。
カイの銀髪が風になびき、麦の金色に溶ける。
「……美しい場所ばかりじゃ、ないよ。アークライトが成長すればするほど、噂を聞きつけて帝国中から逃げてくる難民が後を断たな……わっ」
あぜ道の凹みに躓き、リリアンは片膝から倒れ込んだ。膝の皮膚が擦りむけ、じんわりと血が滲む。
「リリアン!」
カイが、リリアンを抱き起こす。
「大丈夫、ちょっと擦りむいただけ……」
カイが、自身の左手をリリアンの擦りむいた右膝に、軽く押し当てた。カイの熱が、リリアンの肌に伝わってくる。
「……完了した。もう大丈夫だ」
カイが手を離した。リリアンの膝には、傷跡一つ残っていない。
「え? 無詠唱で、ここまでの治癒スキル……?」
すごい、と口にしそうになって、リリアンは黙る。生まれただけで与えられるスキルを褒めても、カイは喜ばない気がした。
「……ありがとう」
カイは相変わらず無表情だったが、その耳が、じんわりと赤く染まっている。
類まれなる治癒スキルを持つ家系に、リリアンは心当たりがあった。カイの家について、問い質す必要は、無いけれど。
「ねえ、カイ……。もしも、美しくない場所を知っても……アークライトを嫌いにならないで、いてくれる?」




