絹の約束
五匹のモモンガが、リリアンの肩に集まっている。七年間、ずっと冷たかった場所が、ふかふかの温もりで埋まっていく。
その時、フェイが動いた。
リリアンの右肩——七年間の定位置から、すっくと立ち上がった。帰還した五匹の間を、小さな四肢で、ぽんぽんと歩いていく。一匹一匹と視線を交わしながら。
そして、リリアンの左肩先に陣取り——胸を、張った。
小さな体を目一杯反らして、ふかふかの胸を突き出した。ふさふさの尻尾がぴんと天を指す。帰還した五匹が、一斉にフェイを見上げる。
『ずっと側にいたのは、フェイだ』
声にならない宣言。
——寝坊して主を選び損ねた、一番小さな一匹が、群れの頂点に立った。
リリアンの目が、じわりと熱くなった。
「みんな」
リリアンは、声を絞り出した。
五匹の丸い瞳が見上げる。フェイも振り返る。
「——嬉しいよ。本当に」
一度、言葉が途切れた。こらえて、続けた。
「でもね。私は——アークライトのものなの」
アレンの空になった肩を見た。傷だらけの手を見た。何も言えずに、唇を噛んでいる十七歳の少年を見た。
「エヴァンスには、もう、戻れないの。だから、皆は、アレンの側に」
群れの長を、両手でそっと包み込んだ。ふかふかの額に唇を寄せる。
「……アレンのスキルは強すぎて、自分の体を傷つけてる。どうか、制御を助けてあげて」
群れの長の大きな瞳が、揺れた。
「私にはフェイがいるから。この子だけで、十分すぎるくらい温かいの」
肩の上で、フェイが得意げに顎を上げた。
——やがて。
群れの長が、リリアンの手のひらから、ふわりと浮き上がった。一匹、また一匹と続く。リリアンの肩が——一つずつ、軽くなっていく。
七年前と、同じだ。ふかふかの温もりが、離れていく。
ただし、今回は。
「元気でね」
笑っていた。泣きながら、笑っていた。
五匹のモモンガが、まっすぐにアレンの元へ飛んだ。空っぽだった肩に、一匹ずつ、着地していく。
アレンの目から、涙がこぼれた。
「姉上——」
「大事にしてね」
リリアンの左肩には、フェイだけが残っていた。
——世界で一番小さくて、世界で一番誇らしい守護妖精が、リリアンの首筋に、ぐりぐりと頭を押しつけた。
「エヴァンス公爵。お帰りの馬車を手配いたします」
「不要だ」
父が立ち上がった。
なぜか父は、記憶にあるより一回り小さく見えた。リリアンが成長したからか。父が縮んだからか。
父が、踵を返した。継母が無言でその後に続く。アレンが最後に残り、深く深く一礼してから、去っていく。
(——終わった)
七年間、心のどこかで覚悟していた再会が、終わった。
思い描いていた場面とは、違った。
昔は——追放された直後は——復讐を夢想したこともあった。いつか強くなって王都に凱旋し、父の前に立ち、「見て、私はこんなに立派になった」と叫ぶ場面を。
けれど、復讐の夢想は薄れた。井戸を掘り、種を蒔き、仲間と笑い合う日常の中で、過去への怒りよりも、未来への希望のほうが、ずっと大きくなっていったから。
だから今日、父の前に座った時——怒りは、なかった。
——なかった、はずだ。
なのに。
(なんで。なんで、こんなに、胸が痛いの)
涙が、一滴だけ、頬を伝った。
——ただ、悲しかった。
七年かけて父を心の中から追い出したはずなのに、あの人の肩が数ミリ下がっただけで、胸が軋む自分が、まだここにいることが。エヴァンス領の再建を考えた時、関連の知識が、まだ体内に残っていたことが。
フェイが、涙の跡をふかふかの尻尾で拭った。温かかった。
*
父との交渉が終わった翌日。
リリアンは、エヴァンス家へ送る封書に、アークライト産の絹で仕立てた衣服一式入れようとして――やめた。
(私と未だに親しいと思われたら、エヴァンス家でのアリスの立場が悪くなるかも……)
リリアントは乳母兄弟でもある、侍女のアリスが、まだエヴァンス家で働いている事実は、把握していた。
――結局、エヴァンス家が贔屓にしている仕立て屋宛に別便で送り、アリスが店に立ち寄った時に渡してもらうことにした。
七年ぶりの手紙は何度も書き直して、最後に殆どを、消した。
名前さえ書かず、一行だけ。
「約束、覚えてる?」
*
二ヶ月後。エヴァンス領の管理権引き継ぎのため、実務官がアークライトを訪れた。
馬車から三人目が降りた瞬間、リリアンの手から書類が滑り落ちた。
——若葉色の、アークライト産の絹のブラウス。
襟元に、小さなモモンガの刺繍。
アリスだった。
「お久しぶりでございます、リリアン様」
七年の歳月は、少女だった乳母兄弟を、背筋のぴんと伸びた女性に変えていた。でも笑い方は、変わっていない。
アリスが、自分のブラウスの袖口に軽く触れた。
「覚えてるに決まってるじゃありませんか。流石ですわ、リリアン様。――楽しみにしておりました。ずっと」
リリアンの目から涙がこぼれた。総監として、実務官の前で泣くわけにはいかないのに、止められなかった。
「私も。信じてた。ずっと……ずっと」




