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学校一の美少女がお母さんになりました。  作者: 九条蓮
ショートストーリー

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なかよし

 弥織が珠理を迎えに来てくれる様になったのは、もう随分前からの事だ。

 最初の頃は俺一人で保育園まで行って、帰りにスーパーに寄って、家に帰って夕飯を作る。それが毎日のルーティンだった。そこに弥織が加わって、三人で帰るのが当たり前になるまで、そう時間は掛からなかったと思う。

 だから、放課後に保育園の前で弥織と合流する事自体は、もう特別でも何でもない。

 ──はずなのに。

 保育園の門扉の前に立つ弥織を見つけた瞬間、胸の奥がきゅっと締まる感覚がして、思わず足が止まりそうになった。

 風に揺れる長い黒髪を片手で押さえながら、彼女はスマホを覗き込んでいる。その何気ない横顔を見ているだけで、鼓動が妙にうるさかった。

 以前なら、ここで「おう」と声を掛けるだけで済んでいた。それがここ数日、彼女の姿を目にするたびに一瞬息が詰まる様になってしまった。付き合う前も十分意識はしていたはずなのに、関係が変わった途端に、意識の仕方まで変わってしまったらしい。

 告白をして、もうキスだってしたのに。それなのに、その後の方がよほど緊張しているのだから、我ながら呆れてしまう。


「あ、依紗樹くん」


 弥織がこちらに気付いて、顔を上げた。ぱっと笑顔が咲いて、それからほんの一拍の後、少しだけ視線を泳がせる。

 その一拍が、彼女も同じなのだと教えてくれていた。


「珠理、まだ中だと思う。行こうか」

「うん」


 二人で園の中に入る。教室の前まで行くと、窓越しに珠理の姿が見えた。

 彼女は遊戯道具箱の前にしゃがんで、何かを一生懸命片付けている。園服の裾が少し乱れていて、亜麻色のツインテールが揺れていた。

 木島先生が声を掛けると、珠理がぱっと振り返った。俺達を見つけるや否や──妹の顔がぱあっと輝く。

 ただ、その視線が真っ先に向かったのは、俺ではなく隣の弥織だった。


「おかーさん!」


 珠理がとてとてと走ってきて、弥織のお腹に飛びつく。弥織は慣れた様子でしゃがみ込み、妹と目線を合わせた。


「おかえり、珠理ちゃん。今日は何してたの?」

「あのね、きょうね、えがじょうずってナツミちゃんにほめられたの!」

「ほんと? すごいね、珠理ちゃん」


 弥織が珠理の頭をよしよしと撫でる。珠理は嬉しそうに目を細めて、もっと撫でてと言わんばかりに頭を差し出していた。

 俺も何か褒めてやろうと思ったのだが、弥織が既に珠理をぎゅっと抱き寄せていて、何となくタイミングを逃してしまった。

 ほんの少しだけ寂しい。でも、その寂しさすらどこか心地良かった。

 二人の姿を見ていると、まるで最初からこうだったみたいに見える。弥織が珠理に向ける笑顔には一切の嘘がなくて、珠理が弥織に甘える姿には一切の遠慮がなかった。

 本当に、当たり前みたいだ。

 ──こんな子が、俺の恋人なんだよな。

 そう思った途端、また胸がきゅっとなって、俺は視線を逸らした。

 保育園を出て、三人で帰路につく。

 五月の夕方は、風がやわらかい。まだ暑くはないけれど、陽が傾き始めると少しだけ肌寒くて、空気が金色に染まっていく時間帯だった。

 珠理は俺と手を繋いで歩いていた。いつもの帰り道、いつもの風景。弥織は俺達の隣を歩いていて、珠理が話す保育園での出来事に相槌を打っている。

 ただ、しばらくすると珠理の足取りが重くなってきた。繋いだ手から伝わる力が弱まって、歩幅が狭くなっていく。

 ちらりと妹の顔を見ると、小さなあくびを噛み殺していた。


「眠いか?」

「ねむくない」


 珠理は律儀にそう答えるのだが、目がとろんとしている時点で説得力は皆無だった。

 今日は保育園でたくさん遊んだのだろう。珠理はあまり自分から我儘を言わない子だけれど、身体は正直だ。足元がふらついて、俺の手にしがみつく力だけが強くなっている。


「珠理ちゃん、抱っこしよっか」


 弥織が少し前に回り込んで、珠理の前にしゃがんだ。目線を合わせて、いつもの柔らかい笑顔を向ける。

 珠理は数秒だけ迷う様な顔をしてから──こくん、と小さく頷いた。

 弥織が珠理を抱き上げる。妹は弥織の肩に顔を預けて、両腕を彼女の首に回した。園服ごしに、珠理の小さな手が弥織の制服をきゅっと掴んでいる。

 その仕草を見ると、何だか胸の奥がじわりと熱くなった。

 弥織が珠理を抱っこしている姿は、この一か月で何度も見てきた。もう見慣れてきたはずだった。なのに、今はその光景がいつもより眩しく映る。

 恋人とか、そういうのを抜きにして。弥織が珠理に向ける無条件の優しさが、俺にとっての救いだった。それは告白する前もした後も変わらない。

 ただ──今はそこに、もうひとつ別の気持ちが混ざっているだけで。

 こんな子が、俺の隣にいてくれている。

 その事実を噛み締めるたびに、胸が痛いくらいに熱くなるのだ。


「荷物、持つよ」


 俺は珠理のリュックと、帰りにスーパーで買った袋を全部自分の手に移した。


「ありがとう」


 弥織がこちらを見て、ふっと笑う。その笑顔に、また心臓が跳ねた。

 ──頼むから、そんな顔しないでくれ。こっちの身がもたない。


       *


 夕暮れの住宅街を、三人で歩く。

 珠理は弥織の肩にもたれて、だんだんと静かになっていった。さっきまで保育園の話をぽつぽつと喋っていたのが嘘の様に、呼吸が穏やかになっている。

 弥織は両腕で珠理をしっかりと抱えていた。五歳児とはいえ、細身の彼女にとってはそれなりの重さだろう。時折珠理の体勢を直す様に腕の位置を変えているのが、横目でわかった。

 代わろうか、と言い掛けたそんな折。向いの道路から、男女の声が聞こえてきた。


「もう、またリョウくんったらえっちなこと考えてる~」

「いや、何も考えてねーって。ほんとに」

「嘘だ~」


 高校生カップルだった。

 ふたりは仲睦ましげに、手を繋いでいた。

 カップルとして、とても自然な光景だ。

 俺たちもせっかく付き合えているのだし……と思ったところで、弥織と自分の手を見てみる。

 俺の右手に珠理のリュック、左手にスーパーの買い物袋。弥織の両手は珠理で塞がっていた。 

 どう考えても、物理的に無理だ。

 付き合っているのだから手を繋ぎたいだなんて、そんな事を思ったところで、今この状況ではどうしようもない。

 手を繋いだのは、あの水族館の日以来だろうか。あの時は感情の勢いもあったけれど──確かに、俺達は自然に手を繋げたように思う。なのに、こうして隣を歩いている帰り道では、その選択肢すら存在しないらしい。それが何だか、妙にもどかしかった。

 とはいえ、手が空いていたとして繋げたかと言われると、それはそれで怪しいのだが。珠理がいるからとか、恥ずかしいからとか、色々言い訳をして結局踏み出せなかった気もする。

 でも、繋げない状況だからこそ──余計に、繋ぎたいと思ってしまう自分がいた。


「……重くないか? 代わるよ」


 何か言わなければ気がおかしくなりそうで、俺は当たり障りのない事を訊いた。


「大丈夫だよ」


 弥織が柔らかく微笑んで答えた。

 額にはうっすら汗が浮かんでいて、実際のところは大丈夫ではないだろうと思う。珠理は五歳児の中では小さな方だが、それでももう結構な重さだ。だが、彼女は俺からの申し出を先回りする様に「珠理ちゃん、起きちゃうから」と付け足した。

 その笑みが柔らかくて、心臓が騒ぐ。

 弥織にとっては自分の疲れよりも、珠理なのだ。

 はぁ……本当にもう、〝おかーさん〟なんだよなぁ。

 諦めたように肩を竦めてみせると、視線を前に戻す。

 住宅街の道は真っ直ぐで、夕陽が路面をオレンジ色に染めていた。二人分の影が長く伸びて、その間に珠理の小さな影が重なっている。

 信号のない横断歩道に差し掛かった時、左手から車が近付いてくるのが見えた。反射的に俺は弥織の側に半歩寄せる。珠理を抱えた彼女を車道から遠ざける為だ。車が通り過ぎた後も、寄せた分だけ弥織との距離が近いままだった。

 彼女の肩が、俺の腕にそっと触れる。

 ほんの一瞬。制服の布越しに伝わる体温。

 びくっと心臓が跳ねて、俺は思わず離れそうになる。が、離れなかった。離れたくなかった、と言うべきか。

 弥織もこちらをちらりと見たが、何も言わずに前を向いた。ただ、その耳が少しだけ赤くなっていたのを、俺は見逃さなかった。

 互いに黙ったまま歩く。肩と肩が時折触れる距離なのに、手は繋げない。でも、触れるたびに腕がじんと熱くなって、その熱が胸の奥まで広がっていく。

 ──手が、空いていたらな。

 そう思って、すぐに自分で苦笑した。空いていたって、どうせ俺にはその勇気がない。あの告白の夜に何度もキスしたのに、手を繋ぐのを怖がるなんて、順番がおかしいにも程がある。

 自分でもわかっている。わかっていて踏み出せないのが俺だった。ヘタレと言われても仕方ない。

 角を一つ曲がって、もうすぐ家が見える頃、弥織が立ち止まった。

 珠理が眠りながら少しずり落ちかけたのだ。弥織は「よいしょ」と小さく呟いて、珠理を抱え直そうとしている。

 俺は咄嗟に買い物袋をリュックと同じ手にまとめると、空いた左手を差し出した。珠理のお尻のあたりを下から支えようとしたのだ。

 弥織も同じタイミングで珠理を持ち上げ直していて──その拍子に、彼女の手が俺の手に触れた。

 珠理の小さな身体を挟んで、二人の手が重なった。

 支えようとした俺の手の甲を、弥織の手のひらが覆っていた。握っているわけではない。ただ、珠理を抱え直す動作の中で、偶然のように触れただけだ。

 でも──弥織は、その手をどけようとはしなかった。

 珠理の体勢はもう安定している。支える必要はなくなっていた。なのに、俺の手の甲を覆った彼女の手は、そのまま動かない。

 弥織の横顔をちらりと見ると、彼女は前を向いたまま、耳の先まで赤くなっていた。


「……少しだけ」


 彼女が小さく言った。声がかすれていて、殆ど吐息の様だった。

 何か返さなければと思うのに、喉が詰まって言葉が出てこない。

 ただ──代わりに、その声を聞いた途端、胸の奥で何かがぷつりと切れてしまった。

 我慢していたものが、溢れてくる。


「貸して」


 気付いた時には、そう声に出していた。

 弥織が「え?」と瞬きする間に、俺は右手の荷物を全部まとめて地面に置くと、両手を差し出していた。


「珠理。俺が持つよ」

「でも……」

「大丈夫。そいつ、そうなったらもう起きないから」


 もっともらしいことを言って、弥織の腕から珠理を引き取る。眠っている妹はむにゅっと声を漏らしたが、目を開ける事はなかった。そのまま俺の肩に小さな頭を預けて、園服の胸のあたりをきゅっと掴み直す。

 珠理を左腕でしっかりと抱え直してから、右手で弥織の手首にそっと触れた。

 弥織が息を呑む。

 珠理を渡す為に腕を差し出していた彼女と、受け取った俺の距離は──殆どなかった。

 彼女の顔が、すぐそこにある。夕陽に染まった頬と、驚きで見開かれた大きな瞳。長い睫毛の先が、僅かに震えている。

 考えるよりも先に、身体が動いていた。

 空いた右手で彼女の手首を引き寄せて、唇を重ねる。

 ほんの一瞬の口付けだった。

 夕暮れの住宅街で、眠った妹を片腕に抱えたまま、恋人にキスをする──冷静に考えたら相当おかしな状況だ。それは自分でもわかっていた。

 でも、我慢できなかったのだ。

 全く、さっきまで自分をヘタレだと思っていたくせに、いきなりこんな風になるのだから、困ったものである。

 でも、これは弥織が悪いと思うのだ。

 彼女のあの囁くような声を聞いて。あの『少しだけ』を聞いて。指先だけ触れていればいい、それで十分だと言ってくれる彼女の慎ましさに、俺の方が耐えられなくなった。

 少しだけなんかじゃ、足りない。

 唇を離すと、弥織は目を見開いたまま固まっていた。顔が、耳が、首まで真っ赤に染まっていて、口がぱくぱくと動いている。

 俺もようやく自分がした事の重大さに気付いて、一気に血が頭に上った。


「わ、悪い。その、珠理が重そうだったから……」


 ごまかそうとした言い訳が、あまりに苦しい。珠理が重そうだったからキスしました、なんて理屈がこの世のどこに存在するのだ。


「……それ、理由になってないよ」


 弥織が、かすれた声でそう呟いた。

 俯いていて表情は見えなかったが、手首を掴んでいた俺の手を──振り払わなかった。それどころか、彼女の指先が俺の手の甲を辿る様にして、そっと指に絡まった。

 握り返されている。

 それを理解した時、心臓が喉から飛び出しそうになった。


「ごめん。ほんとは……我慢、できなかった」


 もう言い訳をする気力もなくて、正直にそれだけ言う。

 弥織は暫く黙っていたが、やがて小さく息を吐いて、繋いだ手にほんの少しだけ力を込めた。


「……もう。誰かに見られてたらどうするの?」


 少し怒ったように、こちらを上目遣いで見上げて訊いてくる。

 でも、そのその声音は怒っているそれとは別物だった。

 弥織はすぐに俯いて、視線を逸らした。耳まで真っ赤にしている。

 俺も似た様なものだろう。顔が熱くて仕方ない。

 何も言えないまま、俺は地面に置いた荷物を弥織に持ってもらい、左腕に珠理、右手に弥織の手、という格好で歩き出した。荷物は弥織が空いている方の手にまとめてくれていた。

 お互いに、片手で支えるには少し重い。それでも俺たちは、手を繋ぐ方を選んだ。ほんの少しの間。あそこの信号までの間。そんな、暗黙の了解をどこかに持って


「……なかよし」


 唐突に、声が聞こえた。

 俺でも弥織でもない、もっと小さな声。俺の肩に顔をうずめていた珠理が、半分眠ったまま、ぽつりと呟いたのだ。

 足が止まりそうになった。声を出したら珠理を起こしてしまうから、何も言えない。

 ちらりと弥織を見ると、彼女も俯き加減になっていて、唇をきゅっと噛んでいた。

 このタイミングで、なんつーことを……。

 珠理はきっと、寝ぼけているだけだ。夢の中で何かを見ていて、たまたまその言葉が漏れただけだろう。

 でも、その一言が──俺達のこの小さな一歩を、そっと肯定してくれた様に思えたのだ。

 家の前に着いて、門扉の前で立ち止まる。

 もはや大分前に手は離していたのだが、それでも俺の手のひらには、まだ彼女の体温が残っていた。


「あー……さっきの、聞こえた?」


 珠理を起こさない様に、小声で訊いた。


「……うん」


 弥織が照れた様に頷く。豆電球みたいにほんのりと赤い頬が、夕暮れの残光に照らされていた。

 彼女はふと自分の右手を見下ろした。さっきまで俺と繋いでいた手を、もう片方の手でそっと包み込む様にして。

 その仕草が無意識なのか意識的なのかはわからなかったけれど、俺はそこから目が離せなかった。


「その……さっきのは、ほんとに悪かった。いきなりで」


 今更だけど、謝っておかなければならない気がした。住宅街の路上でいきなりキスするなど、普通に考えてどうかしている。


「謝らなくていいよ?」

「え?」

「その……びっくりしたけど。嬉しかったから」


 弥織は俺の方をちらりと見てから、また視線を逸らした。

 予想もしていなかった言葉に、思わず固まる。

 まさか、肯定してもらえるとは。

 喉の奥が熱くなって、ただ黙って彼女を見つめる。


「じゃあ……ご飯、作っちゃおっか」


 言って恥ずかしくなったのか、弥織が自分で笑って、小さく肩を竦めた。


「……だな。お願いします」


 そうして、三人で家の中に入っていく。

 恋人らしい事なんて、まだ全然上手くできない。

 我慢できずに路上でキスしてしまうし、手を繋いだだけで全身が沸騰しそうだった。格好悪いし、不器用だし、五歳の妹の寝言に救われている時点で、もう色々終わっている気がする。

 でも──こういう帰り道を、これから何度も重ねていけたらいいと思った。

 三人で歩いて、珠理を抱っこして、荷物を持って、夕暮れの住宅街を行く。

 そのどこかで、手が触れて。

 どこかにチャンスがあったら、またキスをして。

 たったそれだけの事が、こんなにも胸をあたたかくしてくれるなら。

 それはきっと、俺達にしか作れない想い出なのだろう。


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 あっ、おとーさんおかーさん……ちゅーしてたー!
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