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学校一の美少女がお母さんになりました。  作者: 九条蓮
ショートストーリー

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「もう、ちゅーしたの?」②

「ぶっ──⁉」

「けほっ、けほっ⁉」


 俺は味噌汁を盛大に噴き、弥織はお茶でむせた。

 二人して咳き込みながら、口元を押さえて悶絶する。味噌汁がテーブルの上に飛び散って、それどころではないのに、それどころではない。


「してない!」

「してません!」


 否定の声が、今日何度目かわからないくらい綺麗に重なった。

 してないのは嘘だ。告白の時、何回もした。でも、そんな事を五歳児に言えるはずがない。

 珠理はきょとんとした顔で、噴き出した俺達を不思議そうに見ている。何がそんなに驚く事なのかわからない、といった顔だ。


「つか、なんでそうなるんだよ?」


 俺はテーブルに散った味噌汁をティッシュで拭きながら、赤くなった顔を隠す様にして訊いた。


「だって」


 珠理は悪びれもせず、もぐもぐと咀嚼しながら説明を始めた。


「さっきから、おかーさん、いっぱいおにーちゃん見てる」

「え⁉」


 弥織がびくっとする。


「おにーちゃんも、おかーさんのこと見てる」

「うっ……」


 今度は俺が呻く。


「なのに、目があうとへんなかおする」


 珠理はフォークで肉じゃがの牛肉を刺しながら、淡々と続けた。


「なかよしなのに、けんかしてるみたい」


 子供の観察力というのは、時として大人のそれを遥かに凌駕する。俺達が必死に隠していたつもりのぎこちなさを、この五歳児はしっかり感じ取っていたのだ。


「でも、けんかじゃないなら……ちゅーしたのかなって」


 そして子供の論理というのは面白いもので、途中までは鋭いのに、最後だけとんでもない方向に着地する。〝喧嘩してないのに変〟イコール〝キスした〟という飛躍は、大人には絶対に辿り着けない発想だった。

 いや、結果的に正解なのが一番困るのだけれど。


「ほいくえんでね、なかよしのひとは、ぎゅーとかちゅーとかするんだって」


 珠理が付け足した。

 なるほど。保育園でそういう知識を仕入れてきたのか。木島先生、園児に何を教えているのだ。いや、園児同士の会話から自然と学んだのだろうけれど。

 俺はちらりと弥織を見た。彼女は顔を真っ赤にしたまま、箸を持つ手が完全に止まっている。

 そんなに見てたのか、俺──と思うと同時に、弥織もそんなに俺の事を見ていたのか、と思うと余計に顔が熱くなった。

 珠理に指摘されて初めて自覚するというのが、何とも情けない。


「と、とにかくッ……してないから! ご飯食べなさい!」


 俺は強引に話題を打ち切って、味噌汁を啜った。啜ったが、味が全くわからない。舌がバカになったのではなく、脳がバカになっている。

 弥織も「そ、そうだよ、珠理ちゃん。ご飯冷めちゃうよ?」と取り繕うが、声がひっくり返っていて全く説得力がなかった。

 そうして何とか平静を装って食事を再開しようとした矢先──


「じゃあ、これからするの?」


 珠理が、何の邪気もない透き通った瞳で、俺達を見上げてそう言った。

 食卓が、凍りついた。

 俺は耳まで赤くなるのを自覚しながら、箸を握る手が震えるのを必死に抑えた。

 弥織に至っては、もはや限界だったのだろう。


「し、珠理ちゃんっ……!」


 茹で蛸みたいに真っ赤になった〝おかーさん〟が、小さな悲鳴を上げる。


「そういう話はしなくていい! いいから食べろ!」


 俺が慌てて制止すると、珠理は「?」と首を傾げたまま、よくわからないと言いたげな顔で、もぐもぐと肉じゃがを口に運んだ。

 その後の夕飯が、果たしてどんな味だったかは覚えていない。

 ただ、とにかく長い夕飯だった事だけは確かだった。




 珠理を寝かしつけた後、静かになった居間で俺は食器を片付けていた。

 流し台に皿を重ねて、水を出す。蛇口から落ちる水の音だけが、夜の家に小さく響いていた。

 弥織はダイニングテーブルを布巾で拭き終えて、台所の入り口のあたりにいた。帰る前に、こうして少しだけ片付けを手伝ってくれるのはいつもの事だ。

 いつもの事なのに、今日はその沈黙が妙に重い。

 いや、重いというのとは少し違う。ぎこちないのだ。何か言わなければいけない気がするのに、何を言えばいいのかわからない。

 結局、先に口を開いたのは俺だった。


「……悪かった。なんか、俺が変に意識しすぎて」


 蛇口の水を止めて、ぽつりと言う。弥織の方は向けなかった。


「私も……その、同じだったから」


 弥織の声が、背中の方から聞こえてきた。少し間があって、小さな吐息が続く。


「いつも通りにしなきゃって思うほど、全然いつも通りにできなくて」


 その言葉に、思わず苦笑が漏れた。

 全く同じだった。付き合ったからって浮かれていると思われたくなくて、珠理の前ではいつも通りでいようと必死だったのに、その必死さが逆に全てを台無しにしていたのだ。


「珠理、よく見てるんだなぁ……」


 俺がそう言うと、弥織がふふっと柔らかく笑った。


「珠理ちゃん、依紗樹くんのことも、私のことも大好きだから。だから、ちょっとした変化にも気付いちゃうんだよ」


 大好きだから、気付く。それは多分、俺達の間にも言える事なのだろう。俺が弥織の小さな変化に気付いてしまうのも、弥織が俺の本心を見抜いていたのも、きっと根っこは同じだ。

 皿を洗い終えて、水気を切ってから振り返った。

 弥織が台所の入り口に寄りかかって、こちらを見ていた。豆電球のオレンジ色の明かりが、彼女の横顔を柔らかく照らしている。

 さっきまでのぎこちなさが、少しだけ和らいでいる気がした。珠理に盛大にやられた分、変に張り詰めていたものが抜けたのかもしれない。


「……じゃあさ」


 俺は少しだけ勇気を出して、言葉を紡いだ。


「今度は、珠理のいないところで、ちゃんと二人で話したい」


 弥織が、驚いた様に目を丸くした。

 その瞳が一瞬揺れて、それから──ゆっくりと、頬が染まっていく。


「……うん」


 小さく、でも確かに頷いてくれた。


「私も、お話したいな」


 そう言って目元を緩めた彼女の笑みは、〝おかーさん〟でも〝学校一の美少女〟でもない、ただの伊宮弥織の笑みだった。

 恋人になったからといって、何もかもが劇的に変わるわけではないのだろう。手を繋ぐだけで心臓が破裂しそうになるし、目が合うだけで挙動不審になる。五歳児に図星を突かれて二人揃って噴き出すし、いつも通りの食卓すらまともにこなせない。

 でも──そのぎこちなさが、きっと今の俺達には必要なものなのだと思う。

 昨日と同じ距離に、昨日とは違う意味が生まれた。ただそれだけの事なのに、世界はこんなにも違って見える。

 それを少しずつ、一つずつ、二人で慣れていけばいい。

 玄関で靴を履いた弥織が、振り返って俺を見た。いつもならすぐに「じゃあね」と言って出ていくのに、今日は少しだけ、その視線が長かった。


「じゃあ……また明日ね、依紗樹くん」


 何でもない別れの挨拶。これまで何度も交わしてきた言葉。

 それなのに、今日はその五文字が、昨日までとは全く違う温度を持っている気がした。


「ああ。また明日」


 俺がそう返すと、弥織はほんの一瞬だけ唇を噛んで──それから、逃げる様にして扉の向こうに消えていった。

 夜風が一瞬だけ吹き込んで、彼女のシャンプーの匂いが微かに残る。

 扉を閉めてから、俺はその場にしゃがみ込んだ。


「……心臓、持たねえだろ、これ」


 誰もいない玄関で、額に手を当てて呟く。

 顔が熱い。多分、真っ赤になっている。

 それを見られなかった事だけが、今日唯一の救いだった。

【作者より】


 SSなので第2部終わりの本編とは直接繋がってないですが、一応お付き合い後の設定でした。楽しんで頂けたでしょうか?

 ちょくちょくSSを投稿していくので、楽しんでいってください!

 6月発売の新刊もチェックしてくれると嬉しいです。

 カバーイラストは現在放映中のTVアニメ『灰原くんの強くて青春ニューゲーム』原作の装画挿絵を担当する吟先生に描いていただきました!

https://x.com/i/status/2045489947462025692

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