8.神官長のアンクレット
サミュエル・アマリア――神殿が生み出した王への贈り物は、実に純粋で柔い心の持ち主だった。
「西に遊びに行こうか、サミュエルや」
祖父の誘いに一も二もなく飛び乗ったサミュエルは、己の選択をすぐに後悔することになる。
彼は未熟で、神殿から一歩先を一人で歩いたこともない、箱に入れられた子どもだったのだ。
だから祖父の手を離して自由に街を歩くことの恐怖を知らなかった。想像もできやしない。
見たこともない色と形の街、楽しげに笑う人々。外の世界を知らない少年はすぐに夢中になった。
そうして、気付かぬ内に一人になってしまう。
中央から引き連れてきた神官兵が一人残らず倒され、彼は連れ去られてしまった。
連れ去った騎士の鎧にどこの家紋の紋章もなかったことが、サミュエルくん誘拐事件の捜査が暗雲に乗り上げた一端となる。
蛇のような、まとわりつく魔力の男に、サミュエルはもう何年も、それこそ時間の感覚がなくなる程に長く閉じこめられている。
最初、この温室らしき所に入れられた時、サミュエルは奇妙な息苦しさを覚えた。
温室で育てられていた植物が全て凶悪な毒を持っていると気付いたのはその直後のことだ。
サミュエルは幼少期より毒を摂取して生きてきた。空気中には常に微量の毒がまぶされ、食事も毒入りで、少しずつ量を増やされる生活。
そんな生活を繰り返していたサミュエルの体は毒を吸収し、体内で浄化する。
彼の目から出る液体は大地に染みこんで毒花を腐らせ、新たな植物を芽生えさせた。
それでも彼の力は次第に弱まり、今にも掻き消えてしまいそうになっていた。
アマリアの血を継ぐ者は皆、王族が暮らす中央の区域から一歩でも外に出ると力が弱まるのだ。
それこそが、サミュエルが大聖堂の外へ出してもらえずに幼少期を過ごした理由だ。
遠ければ遠い捏、長ければ長い程。体は弱り、魔力は掌から零れるように失われていくのをサミュエルは痛感した。
遠い天井、太陽どころか月の光さえ遥か彼方先。
もう二度と陽の光の下へは行けないのだろうか。
(僕の王様は、あそこにおわす……)
焦がれる程に想う人。
先王アドルフ様と同じ銀の御髪、お顔と似ておられるのだろうか?
長い監禁生活を支えたのは、自分がお仕えする人のことばかり。
「いいかい、サム。お前はね、特別な子なんだよ」
自分で頭を撫でながら、おどろ気な祖父の言葉を思い出しては慰める。
いつか、エドワード様が僕を迎えに来てくださる。たとえ、彼が自分よりももっと幼い時に攫われ、行方が分からなくなったとしても、僕たちであればと信じ続けた。
そうでもなければ心がガラスのように砕けてしまいそうだったのだ。
毎日、民の為ではなく彼のことばかり想って祈る。
僕の王様が元気でありますように、寂しくないように、僕を迎えにくれますように――。
そして、その祈りは神様に届いた。
彼は、ついにサミュエルの前に現われたのだ!
「大丈夫か!?」
両開きの扉を開け、飛びこんでくる人は大聖堂の壁面に描かれた天便や女神様よりも美しく、生命力に溢れていた。
大きく広げられた腕の中に駆けこんでいき、彼の温かな胸に頬を擦り寄せる。
(王様だ……僕の、王様)
蝶へと姿を変える蛹のように羽ばたけるのだと――そうサミュエルは確信した。
愛してやまない祖父たちの言葉は天啓だったのだ。
だが、世界は瓦解した。
天井は脆くも崩れ落ち、足場も頼りなく石へと姿を変える。
(嘘――こんなの、うそ)
手を伸ばしても届かない。
悪い夢から起きる時のように、全てが失われていくしかなかった。
(やっと、やっとお会いできたのに……!)
ついにサミュエルは背中から真暗闇へと落ちていく。
繋ぐ手も、羽もない。羽化することは叶わなかったのだと、己の不幸を嘆いた。
自分で手を握って、無情な神へと最後の神を捧げる心づもりをする。
だが、光が差してきた。時の流れが遅く感じられる。
「……ル、サミュエル・アマリア!」
ああ、神様が迎えに来て下さった。
僕だけの神様が、 手を伸ばして降りてくる。
力強くこちらを見る空の瞳、天使の翼のように広がる白銀の御髪。
おとぎ話に出てくる精霊よりも、大聖堂に飾られている女神様の絵画よりも美しい人が。
抱きしめられたサミュエルは、神の胸に頬を寄せる。
温かく柔らかな皮ふの下、甘美な誘いがあった。
身じろいだ彼の《《そこ》》にサミュエルは口で触れる。とろりと喉を流れ落ちていった甘露は、濁っていたサミュエルの体内を浄化――いや、まさしく作り変えた。
(これが王様のカ……)
息を吐いて顔を上げたサミュエルは、すぐ目の前にいる王様に微笑みかける。
「僕は、サミュエル・ママリア。あなたの為の神宮」
アマリアは王家の存続と国の繁栄を司る。
他の者とは違って、ただの岩などには祈らない。
(ああ、今なら使える)
だから、この人とならなんでもできる。
自ら指を絡み合わせて手を握って、目を閉じた。
【第二の賢人――サミュエル・アマリア】
頭の中に声が響き、自分の望みが届いたことを知る。
サミュエルは胸の真ん中から溢れてくる光を放つ。
それは二人を守る結界へと姿を変え、幻を解いて人の欲望を破砕していく。
「今より僕はあなたの一部。あなたと命を共にし、あなたで命を繋ぎます」
末永く繁栄をお約束いたしますと誓った神宮に、王へなる者は瞬き、そして「なんの話だ……?」と困惑を口にした。
*** *** *** *** ***
ジェネアスに助けられてすぐ、思い出したのは子どもの存在だった。
肩を震わせて泣き、クレマに苛まれる己を見て懇願をする幼い子どもを。
「ジェネアス! 俺、行く所があるんだ!」
そう言って起き上ると、彼ははあ? と寝転んで腕を床について上体だけを起こした。
「もしかしたら怪我してるかもしれなくって、ついてきてくれないか?」
「いいッスけど……」
はあ、と息のような声を出して億劫そうに立ち上がろうとした親友に手を伸ばす。
「どうもぉ」と握られた手で引っ張り上げ、首を傾げる。
「ジェネアス、どうやって幻覚魔法を突破してきたんだ?」
「いやあ、変な屋敷だなあと思ったんスよね。計測しながら歩いて、数値のおかしな所を蹴破って来たッス」
「魔法使いには考えつかない方法だな……」
「数値まで計って作る魔法使いなんて早々いないッスからね」
嘘だろと言うエディスに、ジェネアスはけろりと言ってくる。それが魔法使いにとって、とんでもなく頭の痛いことだということも知らずに。
「あ、ここじゃないッスかね?」
腕を掴んできたジェネアスが、なんてことない両扉の部屋を指差す。
「なんか、ここだけ天井の高さとか歪なんスよ。ほら、扉も重厚っぽい見た目してるのに叩くと音が軽いッス。こういうの大体当たりなんスよ」
「そんな簡単に分かるのか……」
こえーよお前と言うと、ジェネアスはそうッスかね? と首を傾げる。
(そういや、さっきトリエランディア大将への指示もミリ単位で言ってたような……)
エディスは口の端を引き攣らせて親友の隠された能力に恐怖を覚えた。
扉を開けて中に入ると、悍ましい色――恐らくは毒性の強い花や樹木に囲まれた少年の姿が見えてくる。
だが、少年が座っている所の床が崩れた。バランスを崩した彼がひっくり返って、背中から落ちていく。
「おいおいおい、嘘だろ!」
走っていって、穴に飛び込む。下の階も同じく庭園のような構造をしていて、随分と天井が高い。
「サミュエル・アマリア……!」
空中で手を握り、祈るように目を閉じている彼の名前を叫んだ。
手を掴んで引き寄せた子どもは、わんわん大声を上げて泣く。怖かったなと頭を撫でてやると、ますます声が大きくなった。
「お会いしたかったです……っ」
迎えに来てくれるのを待っておりましたと大粒の涙を零す少年は、エディスの胸元に擦り寄ってきた。
どうやって地上に降りようかと考えていると、ぺろりと胸元を覆う小さな布を捲り上げられて「え゛ッ」という声を発する。
「待て待て! お前、なにしようとしてんだ」
服を引っ張って抵抗したが、それでも少年は止まらずエディスの胸に口づけてきた。
柔い唇で乳首を包み込んで、吸い上げられたエディスはなにをと狼狽える。
だが、突如少年の体が淡く光り、彼を中心として強烈な熱が弾けた。
顔を腕で覆って目を閉じたエディスは、光が落ち着いてから再び瞼を上げる。
ふわりと、地上に二人で降り立った。
未だ眩む視界の中、光の瞬きを籠めた淡い金髪の少年と見つめ合いながら草の上に座り込む。
「これは……」
呆気に取られたエディスは、二人の周りにできた障壁にぽかんと口を開ける。
ドーム型に張られたそれから星のような形の飾りが落ちては、エディスの体内へと消えていく。
浄化と祈り――神聖な治癒の魔法がエディスに安らぎを与える。クレマに折られた足の指に触れると、完治していた。
辺りに生えていた毒花や、クレマの魔力まで一掃されている。恐るべき神聖力だ。
(やっぱコイツがアマリア家の子息か……)
まさかこんな所に監禁されてるなんてなと頭を掻いてため息を吐く。
最悪の状況だが、おまけにしては上等すぎる。
「僕の、王様……」
熱にうかれたように潤んだ瞳で近づいてくるサミュエルの体を後ろに押す。
だが、彼はエディスの手を握って腹の上へと乗り上げてきた。
「僕はあなたの特別なのです」と口にして。




