狭間 2
私だ。
放送で今、女の声で呼ばれているのは私。
昼休み以外の放送も滅多にかからない、生徒もあまり呼び出しをくらわないこの学校で、私は今繰り返し名前を呼ばれて呼びだされている。
この放送の声は誰だろう。
若そうだけど落ち着いている、通りの良い声。こんな声の人2年担当の先生の中にいたっけ?
6時限目が始まってしまうけど…
「呼ばれてるね」ハヅキモエノが上を指差して言った。
「次世界史だよね?私も世界史取ってるから、桜井先生に何か言われたら言っといてあげようか?」
「うん…」すごく行きたくないけどな。「じゃあ…行って来る」
ハヅキモエノがニッコリと笑って手を差し出した。
「美術の道具も持って行ってあげるよ」
2年の担任控室へ急ぐが、私の口の中には、高森に飲まさせられたお茶の変な味が蘇って来た。
…そうか、桜井が世界史の前に何か私に手伝わす気なんだな。
でも放送の声は女だった。いったい誰が私を呼んでいるんだろう。面倒くさいな。行きたくない。
そう思いながら教室が並ぶ長い廊下のずっと端の担任控え室へ向かうが、
廊下を歩いている子たちの話声が、急に耳の裏から聞こえて来ているような気がしてきた。
そして耳の奥の方、脳みそにまだ届かないくらいの所で、その子たちの声がわおん、わおん、と大きく小さく管を捲いている感じだ。
私は両耳を両手でわさわさと触ってその音を追い出す。
が、今度はふいに廊下がきゅうんと、縮んだ。
縮んだ!
倒れそうになってとっさに廊下の壁に手を着く。
この感じはそうだ、桜井に話を聞いて高森のお茶を飲んだ後階段を降りるときに味わったような感覚。あの時も階段がぐにゃぐにゃ曲がった。
…気持ち悪い。
廊下の空間が細い管になっていくような感じだ。廊下が細く長く伸びて行く。
が、それはまた気が抜けたように、ふわ~と広がる。
そしてまた縮む。
私は何かの、巨大な生物の腸の中にいるような感じ。
はぁぁぁぁぁ~~と大きく息をする。
どうししょう、すごく気持ち悪いし頭も痛い。廊下に人の姿は消えてしまった。
壁に寄りかかったまますぐそばの教室を覗くが教室は空だ。
誰もいない!
まだチャイムは鳴ってないはず。私には聞こえなかった。誰の声もしないのに、まだ私の耳の中は、わおん、わおん、と音がうなっている。
それともチャイムは鳴ったのだろうか?
急がないと。急いでここからどこかへ行かないと…
きゅうん、とまた廊下の壁と床が縮んできたように感じられて、私は胸を押さえて目を瞑りうずくまった。
どうしよう、誰もいない…すごく怖くて気持ち悪い。
…ヤグチ…
…ヤグチ戻って来て…
「薫!」
やけにはっきり呼ばれてうずくまったまま私は顔を上げる。
すぐそばにヤグチの顔があってびっくりした。心の中で呼んだら来てくれた!
ヤグチは私の肩を抱いていてくれている。
「薫」ともう一度呼ばれた。
「今、私放送で呼ばれて…」
「聞こえた。だから来た」
「…ありがと」
…呼んだら来てくれた…良かった…嬉しいしほっとした。
「なんかめまいみたいな感じがしたんだよ」と私は説明する。「急に…廊下が縮んだり広がったりしてるみたいな…、高森のお茶飲んだ後みたいな感じ」
ヤグチが背中をトントンと手の平でやさしく叩いてくれながら言ってくれる。
「わかったから、しゃべんなくてもいい」
そして立ち上がらせてくれようとするけど私には力が入らない。
ヤグチは私の腕を掴んでいた手をまた肩に回してくれた。
「大丈夫だから」と言ってくれて、ぎゅっと抱きしめられる。
そして一瞬、ほんの一瞬ヤグチの唇が私の唇に当たってきてすぐ離れ、
私はもう一度ぎゅっと抱きしめられた。




