穴 1
あぁ~~、と思う。
嫌だあぁぁぁぁぁぁ!!!見たくなかったなぁ。
見たくないし、私、フクロウ持って来なかった!!
「どうしよう…」とヤグチを見るときょとんとした顔をしている。
「何もねぇな。思わせぶりに古臭いカーテンとかかけやがって」
「えっ!?」
私はゆっくりと私の見ている穴を指で示した。
真っ黒い油絵具で縁取られた、その絵具よりもさらに暗く深い穴を。
それに最高に気持ちの悪い事には、穴の縁を掴んでどうにかして穴を出ようとしたような人の手の痕が無数に付いているのだ。
気持ち悪っっっ!!
「ここに」とヤグチが言う。「お前には何か見えてんの?」
私は返事をする代わりに、繋いでいたヤグチの手をぎゅっと握った。たぶんヤグチが痛いくらいに。
最悪だ。私にしか見えないなんて。
「穴がある」と私は穴に声が届かないようにヤグチにささやく。
「ここに?」
私がしたようにヤグチも指をさすが、それは私に見えている穴と微妙にずれている。
背伸びをしてヤグチの耳に口を近付け、そっと自分の見ているものをヤグチに話した。どういうわけか私はその穴に、私には穴が見えているという事がばれてはいけないと思ったのだ。
覗き込んでも底の見えない暗い暗い穴。
ヤグチは私の顔とヤグチには見えていないキャンバスと穴を交互に見ていたが、最後には「わかった」と言ってくれた。
そして私に聞く。初めて聞くような真面目な声で。
「それでお前はどうしたい?」
私がどうしたいか?
帰りたいに決まってるよ!
帰りたい!ここから抜け出したい。
口に出して言おうとしたところで「薫ちゃん!」と呼ばれた。
肩が大きくうねるくらいビクリとした。
「もう!探したって!」
美術準備室の入口に息を切らしたハヅキモエノが現れ、それでも私をニコニコ顔で見ていた。
ちっ、とヤグチの大きな舌打ちだ。
「ハヅキさん…ごめん。探してくれてありがとう」
消え入りそうな私の声に少し眉をひそめながらも「うん」とハヅキモエノは、まだ肩で息をしながら優しくうなづいてくれた。
ハヅキモエノを手招きして穴を指さした。
「ハヅキさん…見える?」
「見えるよ」
「見えるの!?」大きな声を出してしまい、慌てて口に手をやる。
ヤグチも驚いた顔をしている。
「ホントに?ヤグチ君にはこの穴が見えないって…」
「穴?見える見える」ハヅキモエノが軽く言う。
「本当に?」もう一度聞いてしまう私だ。
「ほんと、ほんと。薫ちゃんの見えるものなら全部見える」
「…」
ニッコリとハヅキモエノが微笑む。
「…それは見えてないって事?」
「大丈夫」とハヅキモエノは言った。
何がだよ?
「な?」とヤグチが言った。「めんどくせぇから二人だけの方が良かったろ?」
う~~~ん…どうしたら…
見なかった事にするって言うのはどうかな。
フクロウも持って来てない事、ヤグチに言ったら絶対呆れるに決まってる。
私も今、この床の上にはやっぱ何も見えてなかった~~って二人に明るく言ってみる…そして何事もなかったように帰る…
そうか!バカじゃん私!目を覚ませばいいんだよ、はぁ~~良かった、夢で良かった…
そう思う私に呼応するように暗い穴が息をしたのが私にはわかった。
真っ黒い大きな口だ。縁が微妙に伸びたり縮んだりしている。
怖っっ!!
ダメだ吐くダメだ吐くダメだ吐く…
今穴からは何のにおいもして来ないが、昨日の放課後見せられた私の中の暗い闇の中にいた、頭の大きな犬の腐った息を思い出して、私は吐きそうになっていた。
ヤグチが私の肩を抱いて支えてくれている。
ヤグチ、来てくれてありがとう。私を探してくれて。
でも私は打診してみる。
「私、今すぐこの夢から覚めてもいいかな?」
「んん~~」とヤグチが唸る。「オレも一緒のモン見えたらいいのにな。
めんどくせぇ。おかしいよな、昨日はスケートリンクだって一緒に見えたのに」
それはきっと、これが私の心に繋がってる穴だからだよ。
「スケートリンクって何?」ハヅキモエノが聞くが今説明したくない。
「それにね、ヤグチ君、私フクロウ持ってきてない」
「マジで!!」
「だって今思い出したもん」
夢ってそういうとこあるよね。すぐ前の設定忘れたり、出来てた事がまるで出来なかったり…どんなに逃れたい事からも絶対に逃れられなかったり…
と言い訳をしたいが、そんな事をしたら余計に呆れられそう。
「あ~~!」ヤグチが大きな声を出すのでビクリとする。
穴も一瞬反応して少し縮んだような気がした。
「オレが朝ちゃんと言えば良かった…つか、やっぱオレがずっと持っとくんだった」
私のために悔んでくれてるヤグチをしり目に、私は今のこの夢から覚める事を考える。
この夢から覚めた私はどこにいるんだろう。
そしてそこはやはり夢の中かもしれない。
きっと家には帰れない。帰れない気がものすごくする。
この夢から覚めた後の場所で、ヤグチもハヅキモエノもいなかったらどうするんだろう。
例えば次に目覚めた時に、たった一人この穴の中にいたとしたら…
また、ヤグチの手をぎゅううっと握ってしまう。
ヤグチは痛いとも言わずに、そのまま私を引き寄せて抱きしめてくれた。
今せっかく3人そろってるのだ。私がこんなにバカなのに、ヤグチもハヅキモエノも私を探してくれた。
だから、穴があるなら入るより他、ないんじゃないかな。
「そうだね」と後ろから暗い声がした。
無言で振り向く私たち。
美術準備室の入口には、イカ墨パスタでも行儀悪くがっついて食べたんじゃないかっていうような、真っ黒な唇をしたキタが立っていた。キタは静かに続けた。
「ヤマネが入るより他ないって思ってるんだから、入った方がいいよ」




