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第4話 聖女は、台詞を言えなかった

 旧鐘楼の倉庫は、空だった。


 マルタさんが先に確認し、建物を借りた商人を探す手配をした。

 上の通路は古く、踏めば危ない。

 私の図と似ていたが、荷物用の出口は、木の箱で塞がれていた。


「使っていた痕跡はある。寝具と食器。人は、いない」


 ロアンが報告した。

 私は、落胆している自分に気づいた。


 合わなかったから。

 予想が外れたら、彼を救えない気がしたから。


 けれど、そこに囚われた少年がいないのは、いいことなのかもしれない。

 誰かの危険を、自分の正しさのために必要としてはいけない。


「ほかに、調べる場所を覚えているか」


 私は考え、首を振った。

 背景の絵。短い説明。事件のあとに届く報告。

 ゲームでは、そこまでだった。


 その午後、リネットが来た。

 取り調べを受け、証言に食い違いがあるため、監察局内に滞在している。

 私に話したいことがあると言ったそうだ。


 ロアンとマルタさんが、立ち会った。

 リネットは、いつもの白い衣装ではなかった。

 灰色の服で、髪も結んでいない。


 私は、ゲームの絵を思い出した。

 聖女は、常に華やかな姿だった。

 寝起きの顔を、私は知らなかった。


「エステル様」


 彼女は椅子へ座らず、立っていた。


「私は」


 唇が、動かなくなった。

 手が、強く握られた。


 私は、紙を見た。

 リネットから謝罪される場面はない。

 悪役令嬢が死んだあと、彼女は少しだけ泣き、王子に慰められる。


 今は、泣き方が違った。


「椅子へ座ってください」


 マルタさんが言った。

 リネットは座り、何度か、息を吸った。


「エステル様を、見ていません」


 部屋が静かになった。


「杯に何かを入れるところも、厨房に入るところも」


 ロアンは、彼女の顔を見た。


「昨日の証言を、撤回するということだな」

「はい」

「偽りの証言は、君自身の責任にもなる」


 彼女は、うなずいた。

 その手が、また、強く握られた。


「弟が、います」


 私は、顔を上げた。


 弟。

 知らない。

 リネットは孤児として、教会に保護されたという設定だった。

 家族の話は、詳しく書いていなかった。


「ユーゴ。十六歳。王太子殿下の侍従でした。でも、この前、辞めさせられて」


 ロアンが、その名前を記録した。


「今、どこにいる」

「知りません。私が、お話を間違えなければ、会わせると」


 彼女は、そこで顔を両手で覆った。


「殿下が、言いました」


 私は、喉が乾いた。

 ゲームの中で、王太子は優しかった。

 いつもリネットの前で、優しい台詞を言った。


 エステルは、悪い女だった。

 誰もが、そう説明した。


 私は、聖女の視点で、その説明を書いた。

 毒を盛る瞬間は、描かなかった。

 誰が何を見て、誰の言葉でそう決まったかを、疑わなかった。


 ロアンが、静かに尋ねた。


「殿下に言われたことを、最初から聞きたい。君の言葉で」


 リネットは、時間をかけて話した。

 眠くなる薬だと言われ、食事の前に飲まされたこと。

 目を覚ますと、毒を盛られたと言われたこと。

 弟の話と、一緒に。


 王宮の医師の報告とは、その薬の性質も合っていた。

 殺すための毒は、杯にも、彼女の体にも確認されていなかった。


 まだ、それだけでは、全部を証明できない。

 けれど、調べる道ができた。


 私は机の端に、新しい紙を置いた。

 証人の少年、と書く代わりに、名前を書く。


 ユーゴ、十六歳。


 画面の外で、この子は、姉を待っていた。

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