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第一章:北方の狼

 カイル王子の一声で国外追放されたアステリアが向かったのは、北の国境線で接する隣国ヴォルガルド帝国だった。その日のうちの慌ただしいものではあったが、堂々とフェルゼン公爵邸に帰宅し旅装を整え侍女と護衛をしっかり連れての出立である。国外追放なる刑罰は王国には存在しないが、主命とあらば自主的に追放という名の出国をしてやるのが礼儀であろうと公爵たる父は悪役じみた顔で嗤って娘を毛皮のコートとフェルゼン公爵家代表の委任状付きで送り出した。

 ヴォルガルド帝国――そこは、年中雪に覆われた峻厳な軍事国家。王国の人々からは「野蛮な北の狼の巣」と蔑まれている場所だ。

 しかし、アステリアは知っていた。かつて農耕を行うことが出来ずに獰猛な雪中動物を飼い慣らして遊牧と略奪を生業としていたがために蔑まれていた帝国は今、豊富な鉱物資源が続けざまに発見されて、鉱業と兵器を始めとする金属加工業を主軸産業とするための急速な近代化の波の真っ只中にあり、圧倒的な「頭脳」を欲していることを。逆に王国はその帝国の頭を押さえ付け、経済政策に先んじることで実質的な属国、資源の供出元として扱いたいのだということも。

 帝都ノヴォスの謁見の間。

 そこに座していたのは、若き皇帝ジークフリート・フォン・ヴォルガルドだった。二十二歳という若さで帝位に就き、祖父の代に遊牧から定住へと切り替え帝都を定めたことで鉱山の利権を奪い合って凄まじい勢いで腐敗したかつての有力部族であり、そのまま貴族層となっていた者達を、さっさと何代も重ねる前に粛清した「峻厳帝」である。

「サンクト・ベルシュタインの『氷の才女』が、我が国に何の用だ?」

 ジークフリートの灰色の瞳が、品定めするようにアステリアを射抜く。ここでも氷か、と内心肩を竦めながらも、アステリアはにこりと美しい笑みを形作る。追放者というには美しく保たれたシンプルながらも良質なドレスと昼の謁見に相応しい装飾品、そしてドレスの模様として織り出されたフェルゼン公爵家の紋章は、アステリアの身分保障であり、防具だ。

 そして今から差し出すものは、武器だ。

「陛下。私は貴国に、三つの富をもたらしに参りました。一つは物流の最適化、一つは新素材による防寒技術。そして最後の一つは……貴国の仇敵であるサンクト・ベルシュタイン王国の、完全なる経済的掌握です」

 アステリアは懐から、一通の分厚い書類を取り出した。それは彼女が独自に理論を構築した、王国の物流網の脆弱性に関する分析と、王国名義による借入金の相関図だった。

 王子妃として得た教養と情報をフル活用したものであるのは当然である。王国に露見すれば国家反逆罪は免れない――目の前の皇帝が王国に己をこの資料と共に突き返したならば、フェルゼン公爵家は丸ごと処刑台の露と消えるであろう。差し出した武器は当然に諸刃であり、同時にアステリアの独断ではなくフェルゼン公爵家の方針そのものである。

 王国とフェルゼン家、諸刃をどちらに向けるかを突き付けられたジークフリートは不敵に笑った。犬歯の目立つその笑みは、確かに狼を彷彿とさせた。

「面白い。だが、言葉だけなら誰でも言える」

 ほう、彼はフェルゼン家だけでなく、己の能力をもご所望と。淑女の笑みを僅かに崩し、軽く眇めた蒼眼でアステリアは皇帝の目を覗き込む。それだけでも不敬と取られてもおかしくない真っ直ぐな視線を、面白そうに受け止めたジークフリートは左手で捲った書類を持ったまま、右手の指を立て三、を示した。

「三ヶ月だ。三ヶ月以内に、帝国の北域に眠る銀鉱山の採掘量を二倍にしてみせろ。できなければ、お前を雪原に放り出す」

 ――面白い。先程掛けられた言葉を、アステリアは脳裏で反芻する。

 かの銀鉱山は未だ見つかったばかり、現在の採掘量は極めて少ないが埋蔵量は帝国のみならず周辺諸国でも屈指であろうと目されている。まずはその情報を持っているかどうか。既に、計られている。

「一ヶ月で十分です」

「ほう」

 その三指に一指で応えた女に、ざわりと謁見の間の空気が揺れた。

「その代わり、採掘量の倍加に成功した暁には、私を陛下の『直属執務官』として登用すると共に、我がフェルゼン一族に移住の許可と帝国臣民の権利を与えていただけますか?」

「……いいだろう。やってみろ。これよりお前をかの銀鉱山の最高責任者として任命し、これまでの担当者はアステリア・フォン・フェルゼンの元にて指示に従うことを命ずる。またその指示にて行った結果は個人の責を問わず、最高担当者がその皇帝に対する責を全て負うことを宣言する。指示書と共に官吏を二名送り、最高責任者を監査せよ」

 はっ、と短い返答と共にすぐさま人が動く。その迅速さは、いつしかサンクト・ベルシュタイン王国が失っていたものだ、とアステリアは思う。

「感謝申し上げます。……お約束の記録は」

 優雅なカーテシーを魅せながら言質が口約束に終わらないかと問うてみせれば、ジークフリートは面白そうに笑いながら顎で玉座の脇を示した。

「謁見の全ては書記官によって記録され、公式文書として残される。これを破棄、あるいは非公開文書とするには謁見に立ち会った全ての者の署名を必要とし、それでもいつの謁見がそうなったのかは記録として残される。それで、良いか」

「十分にございます、それではアステリア・フォン・フェルゼン、勅命を賜りましてこれより着任いたします」

「存分に励め」

 再び、カーテシーによる最敬礼。その足でアステリアは担当部署に顔を出し挨拶と幾つかの確認を済ませると、翌朝には再び馬車の住民となって一路銀鉱山へと向かった。

私「いやいやいや無理だよせめて3ヶ月にしといてくれよ!無理ぃ!!」

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