序章:冷徹、そして滑稽な断罪
サンクト・ベルシュタイン王国の王立士官学校、その卒業記念舞踏会――かの王国には引退した貴族や知識人が見込みある平民であったり係累の子息令嬢なりを集める私塾から、裕福な平民向けの専門学校や女学校、文官武官をそれぞれ目指す平民や貴族の通う官吏学校、貴族家の夫人となる予定の令嬢達が家政を学ぶ淑女学園と数多の教育機関が黎明期を越えて発展しつつあったが、その中で高位貴族の令息令嬢、特に爵位と領地を継ぐ嫡子は最高権威である王立士官学校の卒業が求められている。
サンクト・ベルシュタイン王国も貴族家ごと、領地ごとの騎士による防衛からようやく中央集権化を進め常備軍の設置へと漕ぎ着けたが、未だその基盤は脆弱。ゆえに領主となる嫡子に最新の戦術理論を叩き込み、領地の騎士団にて防衛させるのが最良との判断であった。
無論、嫡子以外の入学も歓迎される。彼らは下級貴族や平民から為る文官武官、特に武官の上に立つ士官として未だ歴史の浅い常備軍に貢献することが期待され、官吏学校よりも高い地位を狙えるとあって下級貴族でも優秀な者は士官学校への入学を目指した。また領主貴族の配偶者が騎士団を率いることもある。この国の爵位継承は古くから女性を排してはいないが、男子優先の継承順を定める家の方が多いのは確かである。かつてならば淑女学園で家政を学んで嫁ぐ令嬢が大半であったが、中央集権を目指す国策によって貴族の令息なり令嬢なりは王城や軍、国政機関で働くことが増え、それに伴う領主貴族の臣下たる下級貴族や嫡子以外に家を支えるために残る兄弟姉妹が減ったため、領主代行を務められる配偶者の存在は重要性を増している。ゆえに高位貴族の嫡子と釣り合う令嬢もまた、士官学校へ進学することが増えた。
フェルゼン公爵令嬢であるアステリア・フォン・フェルゼンは、サンクト・ベルシュタイン王国が第一王子の婚約者である。軍事大権は国王の手にあると定められ、王族もまた軍の重職に着くことが求められる時代。アステリアもまた当然に士官学校へ通い卒業することを求められ、記念舞踏会に先立って行われた卒業証書授与式にて優秀な成績を収め卒業証書を受け取っていた。
煌びやかなシャンデリアの光の下、アステリア・フォン・フェルゼンは静かにその時を待っていた。相手はごく内密に事を運んだつもりであろうが、高位貴族である彼らは当たり前のように使用人を人の数に入れていなかったらしい。
無論、普段の生活からして使用人が一人も傍にいないなどということは滅多にない。彼らに仕える使用人もまた主の生活に溶け込み気配を消すことに慣れている。使用人の目を人の目と思わないことは、精神衛生上必要な技能であった。
しかし常に忘れていてはいけない。それもまた当然のことである。なぜならアステリアは『この時』に至る企みを、あっさりとその場にいた使用人から聞き出したのであるから。
――聞き出した上で、アステリアは上に諮った。王子の上、すなわち王と王妃である。そして己の上、フェルゼン公爵夫妻である。
収めて見せよ。
それが彼らのアステリアへの答えであった。
「アステリア! 貴様との婚約を、今この場を以て破棄する!」
大広間の空気を震わせたのは、この国の第一王子、カイル・ド・ベルシュタインの声だった。彼の腕には、男爵令嬢のリリウムが怯えたように寄り添っている。
「……理由は、お伺いしても?」
アステリアの問いに、カイルは吐き捨てるように言った。
「貴様の冷酷非道な振る舞いだ。リリウムへの嫌がらせ、教科書の汚損、さらには彼女を階段から突き落とそうとしただろう! 聖女のように慈悲深いリリウムに引き換え、貴様はまさに『氷の化け物』だ」
アステリアは内心で溜息をついた。己の見た目が氷を彷彿とさせ、士官学校では大のために小の犠牲を厭わぬ戦術を得意とするがゆえに「氷」は彼女の形容詞のようになっていたが、化け物と面と向かって罵られたのは流石に初めてだ。この場に向けた企みの席では己の名前代わりにそう言われていたのは把握しているが。
フェルゼン公爵家は王家が中央集権化を志してより代々、王国の財務と外交を支える「盾と矛」である。内政と軍事は未だ領主貴族を頼る部分が多すぎるが、徐々に王家へ軍事力も影響力も集めるようにと数代前の王弟が臣籍に下りて起こしたフェルゼン公爵家は動いている。特に近代化の波に飲まれて経営が立ち行かなくなった小領地は、領主には爵位を残し仕官にて家を立てる形にした上でフェルゼン公爵家がまとめて統治しており、アステリアが嫁ぐ際に化粧料という名目で王家直轄領にそれらを組み込むのもこの縁組の目的であった。
肝心の縁組相手である第一王子がそれを教わっていないはずもないのだが、この場でそれを指摘すれば王族の恥を曝す不敬と言われかねない。かといっておそらく頭の中からその事がぽんと抜けてしまったか、最初から入れ忘れたカイル王子にそれを教えてやらなければ不忠と誹られかねない。詰みである。
なお王子妃か、今の継承順位のままカイルが即位すれば王妃となる彼女自身、幼少期から睡眠時間を削って政務を学び、カイルの無能を補うために裏で奔走してきた。残念ながらその奔走は彼にとって使用人と同じく透明で見えないか、何なら彼の楽しい少年時代やら学生生活を邪魔する雑音に過ぎなかったのだろう。
「リリウム様への嫌がらせですか」
溜息を扇で隠し、しかし声に呆れを隠すことなくアステリアは口を開く。
「私が彼女の提出課題の代筆を拒んだことや、国費を投じた茶会の予算オーバーを指摘したこと、あるいは、彼女が禁足地の書庫で貴方様と密会していたことを報告した件を指しておいででしょうか?」
ざわ、と揺れた空気、騒めきはアステリアに優しいというわけでもないが、王子の味方でもなかった。言うなればドン引きであった。
なお最初に告げられた他の罪状については反論する気もなかった。忘れているようだが、人の目は常にあるのだ。王族が通学するような学校なのだから当然に軍による警護の範囲内である。何なら手洗いにすらそれぞれ同性の士官による警備がある。何人もで詰められるほどの広さはないので一人であるが、それゆえに高位貴族の間にも入って仲裁できるよう伯爵家以上の出身者が手洗いの警備担当となっている。魔道具による清潔を保っているとはいえあまり愉快な任務ではないので二時間交代だ。官吏学校の武官コースや士官学校にはそれなりに泥臭い実践や実習もあるとはいえ、入学まで嫋やかに育てられた令嬢も多かろうと思えば苦労も忍ばれて、アステリアは手洗いを使うたびにひそりと目礼を取ったものである。
そう、手洗いにすら人目のある場所で、自ら稚拙な行為で男爵令嬢をわざわざ傷めつけたりなどするはずがない。が、なぜか押し付けられた課題は突っ返したし、諌めはした。むしろリリウムに引っ付いているカイルを諌めたつもりだった。国費の予算オーバーを男爵令嬢のせいにしても仕方ない。そもそもなんで彼女を主催者にした茶会が通ったのか……フェルゼン家の係累を避けて財務担当の文官に無茶を言ったのである。通してしまった文官は当然罰されたが、弱い立場の平民出身者を家族や故郷を人質に脅したことがわかっていたので当人は左遷で済んだ。罰されるべき王子や側近については国王夫妻が揉み消した――あまりの国家への背信である。
「黙れ! 詭弁を弄するな!」
脅しで要求を通す王子に詭弁とか言われるの釈然としませんこと、と再び溜息を隠すアステリア。
カイルの背後には、彼の側近である騎士団長の息子グスタフや、宰相の息子ヨアヒムも控えている。彼らもまた、アステリアに「正論」で詰め寄られた過去を恨んでいるようだった。なお騎士団長は常備軍への移行を拒み近衛騎士の特権を死守しようとするフェルゼン家の政敵なのでアステリアと敵対するのはわからなくもないが、中央集権を進めているはずの王家として彼を側近に置いているのは実の所カイルにとって致命的なはずである。宰相はまだ発足して間もない宰相府にて内政の中央集権化を進める気鋭の新興貴族なのだが次男のヨアヒムがこの有様だ。第一王子のコントロール役として送り込んだのであろうが、本人にちゃんとその自覚はあるのだろうか。
「アステリア、お前は国外追放だ。フェルゼン公爵家も、次席であるお前の弟に継がせるよう手配してある。今すぐこの国から失せろ!」
わぁ。国外追放をなんだと思ってるのかしら、このひと。
アステリアは、自身の父——フェルゼン公爵——が、王家に貸し付けている莫大な債権を盾にして自分を王家から守ろうとはしないことを知っていた。父は「役に立たない駒」を即座に切り捨てる男だ。――その役に立たない駒がアステリアを指しているとは、限らない。
「承知いたしました、カイル殿下」
そしてアステリアもまた、詰み盤面を作ってくれた勝手に動く役に立たない駒は捨てさせてもらうことにした。
「……ですが、一つだけ忠告を。この国を支えていたのは『愛』ではなく『数字』です。この学校が貴族学校や教養学校ではなく、士官学校であるのは、ただ撒き散らす愛ではなく、事実に基づく数字によって集め、管理し、造り、戦い、守るためなのです。それを忘れないでくださいませ」
アステリアは優雅に一礼し、踵を返した。背後で卒業資格を剥奪すると騒ぐカイルの怒声とリリウムの可憐に鈴を鳴らすような声音の底に勝ち誇ったような響きを潜ませた笑い声が聞こえたが、アステリアの瞳に未練はなかった。
私「士官学校ってなんだよ……なんで士官学校なんだよ……Geminiちゃんが特に意味なく士官学校にしたせいで設定めっちゃ付け足したやん長すぎんだろ……」




