おばさんとの大喧嘩
その日、バイトを終えて家に帰ると、おばさんが物凄い形相で居間から飛び出して来た。
「真奈っ!」
「は、はい?!」
その剣幕に、私は何事かと肩を震わせる。
「紗耶香から聞いたよ。あんた、看護学校に行かずに就職するつもりなんだって?」
おばさんの質問に、私はコクんと小さく頷いた。
「真奈、一度ちゃんと話をしようか。ちょっとこっち来な!」
「………」
おばさんに強引に腕を掴まれて、私は居間に連れていかれた。
居間では紗耶香がテーブルに座っていて、その紗耶香の隣に私は座らされる。おばさんは私の向かいの席に。
「単刀直入に聞く。真奈が就職を希望する理由は何だ?」
「それは……」
「あんた、学費の事気にしてるのか?」
「………」
「そんなに簡単に看護師になるって夢を諦めるのか? 小さい頃から看護師になりたいって言ってたじゃないか。義兄さんが入院してた時、お世話になった看護師さんに憧れて、自分もあの人みたいな患者さんに寄り添える看護師になりたいって、言ってたじゃないか。看護師になりたいって夢は、真奈にとって、その程度のものだったのか?!」
おばさんの言葉が、棘となって私の胸に突き刺さる。
違う。そんな簡単な気持ちじゃない。
だけど、今まで応援してくれた親の後ろ盾が無くなってしまった今、私が看護学校に通える道はない。どう足掻いたって……
だったら諦めるしかないじゃないか。
「何とか言いな、真奈!」
再度、私からの返答を促すおばさんの強い口調。
それでも無言を貫きながら、私は机の下で拳を強く握りしめていた。
何も知らないくせに……
私が、どれだけ必死に看護師になりたいという夢を諦めようとしているか、何も知らないくせに……
「ね、真奈。あんた、看護科のある高校に合格したって教えてくれた時さ、夢に近付いたって、あんな嬉しそうに話してたじゃん。あんたがどんだけ看護師の夢に真剣だったか、私知ってるよ」
「………」
隣から紗耶香が、優しい口調で口を挟んで来た。
「夢と呼べる物をまだ一つも見つけられない私には、夢に向かって頑張ってるあんたが、キラキラ輝いてて凄く眩しかった。憧れてた」
「………」
「そんな私が憧れてたあんたが、こんな簡単に夢に背を向けちゃう、情けない人間だったなんて私、信じたくないよ……」
「…………」
紗耶香の言葉がまた、棘となって私の心に突き刺さる。
情けない……人間……?
そんな言われ方をするなんて……悔しくて仕方ない。私の目に沢山の涙が滲む。
「っ!真奈?!」
私の涙に気付いたのか、紗耶香が慌てた様子で私の背中をさする。
私はその手を勢い良くはねのけて大声で叫んだ。
「私だって……私だって本当は諦めたくない!」
「だったら――」
おばさんが何か言いかけた言葉を遮って、私は癇癪を起こす。
「だけど、行けるわけないんだよ! 親がいない私に、高校卒業後も学校に行くお金なんて、あるわけないんだから! もう良いの! 諦めるって決めたんだから」
「真奈っ……」
「待ちなさいっ! 真奈!!」
そう泣き叫びながら、その場から逃げ出そうと椅子を立ち上がった私の腕を、おばさんと紗耶香に同時に掴まれる。
「……離して、 離してよ!」
「ダメ! 離したらあんた、逃げ出すだろ!今、あんたの将来について大事な話をしてるんだから、逃げるなんて許さない!」
「……私の将来なんて、おばさん達には関係ない! もう、良いから離してよ! 私の事なんてほっといて!!」
私の言葉に、二人の瞳が悲しげに揺れたのを見て、私ははっと我に返った。
傷付けてしまった。
私の事を心配して気遣ってくれただけの優しい二人を、私は酷い言葉で傷付けてしまった。
もの凄い自己嫌悪に襲われる。
「……なさい……ごめん……なさい……ごめんなさいっ!」
二人に顔向け出来なくて、二人の悲しそうな視線に耐え切れなくて、私は「ごめんなさい」を何度も繰り返しながら、私を掴む二人の手を強引に振りほどいて、自室へと駆け込んだ。
大嫌い。本当に今の情けない自分なんて大大大嫌い!
こんな思いをするくらいなら、夢なんて持たなければ良かった。
こんな私なんて……あの地震でお母さんの代わりに死ねば良かったのに……
心の中でそう叫びながら、自室に駆け込んだ私は、布団にもぐり込むと必死に声を殺して泣いた。
***
次の日――
目を覚ますと私は、私が寝ていた布団の隣、この部屋の窓際に設置されているベッドに視線を向けた。
だがそのベッドの上に、主である紗耶香の姿が今日は無い。
姿どころか、皺一つない敷布団の冷たいシーツ。
几帳面に畳まれたままの掛け布団。
ベッドに寝ていた形跡すらない事に気付く。
どうやら昨日紗耶香は、この部屋には戻っては来なかったみたいだ。
「…………」
やっぱり、昨日の事が原因で私は紗耶香を怒らせてしまったのだろう。いや、呆れさせてしまったのか。もしかしたら、嫌われてしまったのかもしれない。
「……謝らなきゃ。紗耶香とおばさんに……ちゃんと謝らなきゃ」
私は急いで制服に着替えると、部屋のドアに手をかける。
そして、ドキドキとうるさいほど脈打つ心臓を抑えつけながら、私は意を決して扉を開く。
「………っ」
部屋から出ると、いつものように居間のテーブルで紗耶香とおばさんが二人揃って朝食を取っていた。
「あ、真奈。おはよ」
「おはよう真奈、今日はいつもより早いんだな。ほら、こっちに来て真奈も一緒に朝ご飯食べよう。おいで」
「…………」
いつもと変わらない二人。
昨日の事なんてまるで無かったかのように、いつも通りの優しい二人がそこにはいた。
どうして?
「真奈? どうしたの? そんな所でぼーっと突っ立って」
「………どうして? 昨日、あんな酷い事を言ったのに、どうして二人は怒る事も、呆れる事もせずに、こんなにも優しく私を受け入れてくれるの?あんな酷い事言って……二人に嫌われたかと思っ……」
泣きじゃくる私は、最後まで言葉を紡ぐ事が出来なかった。
「ちょっと真奈? あんたまた、何泣いてるの」
「嫌いになるわけないだろ。あんたは私の大切な姪っ子なんだから」
「おばさん……紗耶香……ごめんなさい……酷い事言って……本当に……ごめん……なさい」
二人は揃って泣きじゃくる私の背中をさすってくれる。優しく宥めてくれる。
「ほら、もう泣かなくて大丈夫だから。分かってる。あの言葉は、真奈の本心じゃないって事くらい、ちゃ~んと分かってるから」
「……おばさん」
「夢を諦めるなんて、今はただ、気持ちの整理が出来てないだけなんだろ?」
「……」
「だからね、待つよ。真奈の気持ちに整理がついて、また夢を追いたいって自然に思える日が来るまで、私達は待ってるって決めたの。ね、お母さん」
紗耶香の言葉に、おばさんが小さく頷く。
「何も高校卒業してすぐ、看護学校に行かなきゃ看護師になれないってわけでもないしな。遠回りするのも良いかもしれない。けど真奈、あんたならきっと、どれだけ遠回りしても、いつかきっと看護師になりたい。その小さい頃からの夢に辿り着けるって、私は信じてる。真奈は逆境なんかに負けない強い子だって、そう信じてるから。ゆっくりで良い、真奈のペースで歩けば良いさ」
「……おばさん……」
「でも、これだけは覚えておきなね。私も紗耶香も、いつもあんたの傍で、あんたの事を応援してるって事。一人で何でもかんでも背負い込もうとしなくて良いんだ。私達の事、もっと頼ってくれて良いんだよ。あんたは一人じゃない。私達がいる。単身赴任中でここにはいないが、旦那だっている。あたしら四人で家族なんだよ。だから関係ないなんて寂しい事は、もう二度と言わないでくれ」
おばさんがかけてくれる言葉が、頑なな私の心にも沁みて、私はみっともなく泣いた。




