葛藤
次の日――
「真奈、今日は朝から落ち着きなかったな」
「え?」
終業時間が間近に迫って来た頃、橘さんから声をかけられた。
「ずっと時計ばっか気にして、そわそわしてた」
「……すみません……」
「別に謝る事じゃないけど」
「……」
「もしかして、昨日あいつに言われた事考えてた?」
「え……?」
「ごめん。聞こえてたんだ」
「そう……だったんですか……」
「で、どうするの? 今日この後、約束守りに行く?」
「それはまだ、答えを出せてなくて……」
「真奈の素直な気持ちは? 行きたい? 行きたくない?」
「行きたくないと言ったら、嘘になります。けど行きたい気持ちはありながらも、私には行く勇気が出ないんです……」
「どうして?」
「それは……」
「?」
「………」
続く沈黙。
「そっか、やっぱり俺には話してはくれないんだな」
橘さんが寂しそうに漏らした声に、私は慌てて彼を見た。
「橘さん?」
「俺は、いつまで待てば良いのかな? 真奈はいつになったら、俺の事頼ってくれる?」
「………」
「今みたいに、泣きそうな真奈を見る度に何とかしてやりたいって、そう思うのに、事情を何も話してくれなきゃ何もしてやれない。好きな子が悩んで苦しんでるのに、ただ見守る事しか出来ないなんて悔しくて仕方ないよ」
「………」
「ねぇ、君はいつも一人で何を抱えているの? いつになったら、あの涙のわけを俺に話してくれる? あの時、待つなんてカッコイイ事言ったけどさ、待ってるだけって、結構辛いんだよ」
「っ……」
橘さんの言葉が、私の胸に棘となって突き刺さる。
――『待ってるだけって、結構辛いんだよ』
――『待つよ。真奈の気持ちに整理がついて、また夢を追いたいって自然に思える日が来るまで待ってるって、決めたの』
――『私は信じてる。真奈は逆境なんかに負けない強い子だって、そう信じてるから。ゆっくりで良い。真奈のペースで歩けば良いさ』
――『良いよ。今はまだ聞かない。いつかで良い。真奈が自分から話してくれるのを待つよ。いつか真奈が俺の事を心から頼ってくれる日がくるのを、俺は……待つよ』
――『この5年間、あいつはずっと桜井の無事を信じて待ってたんだ。桜井は必ず戻ってくる。元気にこの町に戻ってくるって、ずっと、ずっと……信じて待ってたんだ。今だって……その浩太からも逃げるのか?』
橘さんの言葉に、今まで沢山の人達が私にかけてくれた言葉達が思い起こされる。
私は今、どれだけの人を待たせているの?
――『今の桜井は周りの優しさに甘えて、ただ逃げてるだけだ』
沢田君にあの日言われた言葉。
私の胸に突き刺さって離れなかったあの言葉の本当の意味が、少し見えた気がした。
その時、「どうなってるんだ?!」と、工場から社長の怒鳴り声が聞こえてきて、私の肩がビクンと震える。
「どうしたんだろ? 社長があんな大声で怒るなんて」
橘さんが不思議そうな顔で工場へと繋がる事務所のドアを見た。
「……」
「……」
私達はお互い顔を見合わせると、どちらからともなく工場へ向かって足を進めた。
恐る恐る工場への扉を開ける。
「社長? どうかしたんですか?もの凄い大声が事務所にまで響いてましたけど」
「橘、悪いが休憩なんかしている暇がなくなった」
「何か問題でも?」
「今、スズヨシ工業から注文した部品はまだか? って催促の連絡があった」
「え?スズヨシ工業からの依頼なんてありましたっけ?」
「わからん。その依頼はこっちにまで回ってきてない。注文の伝達ミスだ。くそっ!ただでさえ忙しいこの時期に……こんなミスが起こるなんて……」
「っ………」
社長と橘さんの話に、ドキッとした。
その電話を受けたのは私だったから……
昨日、お昼少し前に、スズヨシ工業さんからとにかく急ぎで、大量の部品の注文をお願いしたいという電話を受けた。
今は忙しい時期だから社長と相談してみますと伝えて電話を切った。
その後すぐに、昼食の買い出しを頼まれて、その電話の話は一旦後に回して買い出しに出た。
その時、会社の外で沢田君に会って……
沢田君の誘いに動揺して……
受けた依頼の事を今の今まですっかり忘れてしまっていた。
全部、全部私のせいだ……
自分のしでかしてしまった事の重大さを理解して、一気に血の気が引いて行くのを感じた。




