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宇宙の入り口

メリケン、フロリダ州。パトリック空軍基地。発射台。


ニナは、ドラゴンのコックピットに収まりながら、計器盤を確認していた。全身に貼り付けられたセンサーが、心拍数を拾っている。118。自分でも驚くほど落ち着いていた。

地上管制から声が入る。

「アームストロング大尉、体調は」

「問題ない」

「点火回路、正常。推進剤温度、正常。固体ブースター点火まで、3分」

ニナはヘルメットのバイザーを下ろした。

眼前に広がるのは、夜明けの地平線だ。

発射台の周囲には、カメラと計測機器が林立している。技術者たちが走り回っている姿が、コックピットの小さなガラス越しに見えた。

翼つけたからって、打ち上げ花火に人間乗せようなんて、技術のやつら頭がイカれてる。

ニナは、そう思いながら——

同時に、笑っていた。

「点火まで60秒」

心拍数が、少し上がった。

「30秒」

ニナは背もたれに深く押しつけられるように姿勢を正した。

「10、9、8——」

腹の底から、振動が来た。

「——点火」

世界が、白くなった。

Gが、全身を押しつぶした。

訓練で経験した最大Gの倍以上。視界の端が暗くなる。腹筋に力を込め、足を踏ん張り、意識を繋ぎ止める。喉の奥から何かが出そうになるのを、歯を食いしばって堪えた。

「高度1万。速度マッハ2」

管制の声が、遠く聞こえる。

「高度3万。速度マッハ4」

振動が、変わった。

固体ブースターが分離した衝撃。ドラゴンが、一瞬だけ揺れた。

そこから先は・・・・・

驚くほど、静かだった。

エンジンの音が、別の次元に退いていく。機体が加速するにつれて、周囲の空気が薄くなっていく。空の色が、変わり始めた。

青が、薄くなる。

濃くなる。

暗くなる。

「高度8万2千。速度マッハ6・8。目標高度まであと1万8千」

ニナは、窓の外を見た。

太陽が眩しいのに、空が真っ黒だった。

真っ黒な空に、太陽だけが白く燃えている。星が見えた。昼間なのに、星が見えた。

地平線が、曲がっていた。

ゆっくりと、確実に。地球の縁が、丸く弧を描いている。

地球って、本当に丸かったんだ。

頭で知っていたことが、目に入ってきた瞬間に、別の何かになった。

歴史上初めて、メリケンの人間が見た景色だった。

わずかな宇宙飛行。


そして、帰還シーケンス。

機体が大気へ突入する。

振動。

激しい摩擦熱。

機体表面温度一〇〇〇度。


警報。「左翼温度上昇」


機体の振動が激しくなる。

高度3万メートル。マッハ6

警報。「左翼前縁温度限界」


バキン!!

主翼が破断。


ニナが脱出レバーに手を伸ばす間もなく、射出座席が作動する。

視界の隅でドラゴンが砕け散った。


何もない空の中に、一人で放り出されていた。

スピンしている。

地球と空が、交互に視界を入れ替えていく。

落ち着け。

体を伸ばした。手足を広げて、スピンを殺す。ゆっくりと、回転が収まっていく。

安定した。

眼下には、白い雲の平原が広がっていた。

頭上には、真っ黒な空と、白い太陽。

ドラゴンはもう見えない。

ニナは、落下しながら、高度を予想する。

パラシュートの開傘高度まで、まだある。

このまま落ちる。

自由落下。

風の音すら、しない。

ただ、落ちていく。


雲を突き抜ける。

地表が、近づいてくる。

多分、今が高度1万メートル。

「開傘」

パラシュートが、空気を掴んだ。

全身が、引っ張り上げられるような衝撃。

そこから先は、静かだった。

揺れながら、ゆっくりと降りていく。

遠くに、基地が見えた。

ニナは、落下しながら上を見た。

真っ黒な空は、もうなかった。

青い空だった。

普通の、青い空。

パラシュートが、風に揺れながら、後ろに広がっている。


フロリダの赤土の上に、ニナ・アームストロング大尉は座っていた。

20分ぐらい空を眺めていた。

救援ヘリが来てくれた。

「アームストロング大尉、怪我は有りませんか?」

「生きてる」

「……大尉」

仲間の声が、わずかに震えていた。

「新記録だ。高度2万9千8百メートルからの緊急脱出。メリケン新記録だ」

ニナは、少しだけ笑った。

「上出来ね」


空を見上げた。

青い空だった。

その向こうに、真っ黒な空があることを、ニナは今だけは知っていた。

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