皇帝と公女②
南京皇城、明珠帝の私室。
明月が話し終えると、部屋にはしばらく静かな時間が流れた。
乳母車の中では幼い娘が穏やかな寝息を立てている。
明珠帝は、その寝顔を見つめたまま、不意に口を開いた。
「明月、日本で会った王女たちは、どう見えた」
「皆、それぞれ優秀でした。ですが……最も警戒すべきは、藤堂静香様です」
「表向きは、何も決めておられません。
しかし、一言口にされるだけで、周囲が勝手に動き始めます。
ご本人は、それを当然のように受け入れながら、決して自分の手柄にはなさいません。
腹黒い、と言えば語弊がありますが——面倒くさがりなのに、国家に対しては不思議なほど誠実です。
並外れた構想力で、大局的な国益を取りに行く。
生来の人たらしで、キャラを作っている
底が見えません。
同世代で、初めて恐ろしいと思いました。」
明珠帝は静かに笑った。
「それは──汝の自己紹介ではないか。」
明月が目を丸くする。
「伯母上?」
「否定するか?」
明珠は続けた。
「普通の皇帝は有能な働き者だ。私のようにな。それで十分、国は動く」
「……」
「だが最上の皇帝は、有能な怠け者だ。必要な時だけ動き、普段は周囲に任せ、手柄も譲る。汝はずっと皇位から逃げ出そうとしているが、周りが逃がさない。それが答えだろう」
明月は、何も言えなかった。
「日本での汝の活躍は、既に方々に喧伝済みだ」
「……それは、響子大臣の功績として広まっていると」
「だから余が訂正しておいた。漢の次期皇帝・劉明月の功績と。安心せよ、皇位継承者の資質を疑う者は、もはやおらぬ」
「……伯母上、それは」
「逃げ出したかったなら、妹の月瑤を連れて行って身代わりにすべきだったな。そこは藤堂静香殿の方が上手じゃった。響子殿を身代わりに立てて、自分は逃げた。汝は詰めが甘い」
明月は、返す言葉がなかった。
「3年後に、帝位を継承させる
それまでにもう一人、生んでおけ。即位までは、日本には好きに滞在してよい。」
「……伯母上」
明月は、絞り出すように言った。
「私は、まだ19です。3年後でも22です」
「余は14の時に皇帝になった。汝より早い」
明月はしばらく呆然としていた。
やがて観念したように立ち上がり、深く一礼する。
「……承知いたしました。」
陣原琉が乳母車を押し、明月の後に続いた。
扉が静かに閉まる。
部屋には明珠帝だけが残った。
考えるのは幼馴染のこと。
北中国から取り返した、20年ぶりに再会した幼馴染。
抱きしめて互いに涙を流した。今は、それだけしかできなかった。
だが、
「あと三年か……」
自然と笑みが浮かぶ。
果たすべき義務を果たし、皇位を降りる。
それからは、誰にも急かされることなく、大切な人と静かに暮らす。
25年前、世界中の名家の娘達が憧れた藤堂美里。静香の母君の様に。
「その日まで、もう少しだけ働くとしよう。」
窓の外では、南京の街が夕暮れに染まり始めている。




