オタク同士
藤堂直樹記念病院、ティールーム『あやめ』。
午後の光が、白いテーブルクロスの上に柔らかく落ちている。
麻田総理は、私が思っていたより小柄な人だった。柔和な笑顔で現れ、護衛もほとんど連れず、まるで近所の喫茶店へ来たような気安さで向かいの椅子に腰を下ろした。
「公女様、本日はお時間を頂き有難うございます」
「こちらこそ。帰国前にお会いできたことを嬉しく思います」
私は丁寧に頭を下げた。楊が傍らで微動だにしない。
お茶が運ばれ、ひとしきり当たり障りのない話が続いた後——麻田総理は、おもむろに傍らの紙袋を取り出した。
「つまらないものですが」
受け取った瞬間、手が止まった。
重い。
そして、袋の外からでも分かる、あの独特の装丁の感触。
取り出した瞬間、私の呼吸が、かすかに乱れた。
ローゼン・・・の初版、全巻セット。カバーを一冊めくると、扉ページに作家直筆サイン。さらに袋の底には、各店舗の購入特典が揃い、描き下ろしの色紙まで入っていた。
「……どこで」
思わず日本語が出た。
麻田総理は、お茶を一口飲みながら、穏やかに笑う。
「私もファンでね。サインは先生に直接お願いしました。喜んでいただけましたか」
喜んでいただけましたか、ではない。
私の推しが、バレている。
どこから漏れたのか——書店での同人誌の購入履歴か。散らしたはずなのに。
「……恐れ入ります」
平静を装いながら、私は色紙をそっと膝の上に置いた。動揺を悟られてはいけない。これは外交の場だ。
「ところで」
私は話題を変えるべく、窓の外へ視線を向けた。建設中の大阪湾メガループの橋脚が、遠くに見える。
「先日、メガループの路線図が更新されておりましたわね。JR桜島から和田岬ルートが加わっていたのですが、尼崎西の接続駅まで——いつの間に決まったのでしょう」
麻田総理は、湯呑みを置いた。
「いやあ、色々と要望がありまして」
「要望」
「地元の声というのは大事ですから」
それだけだった。それ以上は何も言わない。私も追わなかった。
権益の半分を持ってかれた。関西の政財界と違って中央は手ごわい。
少しの間を置いてから、私は少しだけ押してみた。
「総理。一つ、お願いがあるのですが」
「何でしょう」
「イプシロンロケットの技術資料を——」
「お茶、もう一杯いかがですか」
即座だった。話題ごと流された。
「……いただきます」
麻田総理は侍女に目配せし、それからごく自然な口調で続けた。
「ところで、公女様。男が口にするのも何なのですが、排卵日は生理の14日後ではなく、次の生理の14日前。排卵日は体温が0.3℃上がる。御存じですか?」
「それは」
私は、思わず言葉を遮っていた。
「……帝室の秘儀に近い話ですので」
麻田総理は、少しだけ目を細めた。愉快そうに。
「そうですか。こちらでは学校で教えているのですよ」
ああ、独占する価値のない情報でしたのね。伯母上に相談ですわね。
それから、表情がわずかに真剣みを帯びた。
「一つ、ご相談がありまして」
「はい」
「北中国の残党処理が、まだ終わっていません。内モンゴルを中心に軍閥が残っています。向こうから生殖資源への協力要請が来ているのですが——終戦処理が済まないうちに、安易に動くわけにもいかない」
私は、お茶を一口含んだ。
「漢として、どのようにお考えかを、非公式に伺えればと思いまして」
北中国。内モンゴル。雷鳳鳴の勢力圏は、漢の北の脅威でもある。
「……即答は、致しかねます」
「もちろんです」
「ただ——」
私は少し考えてから、続けた。
「伯母上に持ち帰ります。必ず」
麻田総理は、静かに頷いた。
それから、また紙袋を取り出した。今度は封筒が1つ。
「これはお礼といいますか——マジカルミ・・・のチケットです。20人分」
受け取りながら、私の指が止まった。20人。
「警護の方々も含めて、ゆっくりお楽しみください」
「……ありがとうございます」
「あと、後方の、柱の影の席です。一枚だけ」
「……これは」
「前に大きい方が座ると、邪魔でしょう」
私は一瞬、その意味を咀嚼した。
陣原琉のことだ。
「……総理」
「ライブは、楽しんでなんぼですから」
私は、外交上の礼儀を一瞬だけ忘れて、声を出して笑った。




