ワンタンメン
「エースコックのワンタンメン♪」
鼻歌を歌いながら、立花静香(35才)は片手鍋の様子を鋭い目で見つめていた。
高級ホテルもどきの院長室(100平米・メイド2人付き)という、精神がすり減る空間から一時的に解放された静香が向かったのは、自宅の小さなキッチンだった。
静香のワンタンメンには、母から受け継いだ伝統がある。
スープは最初から入れる: これが鉄則。多めのキャベツと人参を少し入れ、スープと一緒にクタクタになるまで煮込む。その方が野菜の芯まで味が染みて格段に美味くなる。
麺は真ん中、箸でほぐす: 味の染みた野菜たちを優しく脇に寄せ、主役の麺を中央へ。
きっちり30秒の半熟卵: 麺がほぐれた瞬間に卵を落とし、そこから正確に30秒。黄身がとろりと溶け出すパーフェクトな半熟に仕上げる。
仕上げのコショウと「直食い」: 仕上げにコショウをこれでもかとドバドバ振りかける。そして、丼ぶりなんて気取ったものは使わない。テーブルに置いた片手鍋から、直接ズルズルとすする。
「……最高やわ」
熱々の麺をハフハフと口に運びながら、静香は至福の吐息を漏らした。10億円の年報を積まれて飲む部屋焙煎のブルーマウンテンより、この100円の袋麺の方が五臓六腑に染み渡る。
「あー、ネギあったら、塩ラーメンにしたんやけどな。まあ贅沢言うたらあかんか」
片手鍋を抱えて完全に「実家のような安心感」に浸る院長であった。
一方、病院の売店。
大阪副領事代理代行こと九条院響子(35才・妊婦)もまた、静香と同じく「食べ慣れたB級グルメ」を求めて、ひっそりと棚の前に立っていた。
少し悩んで、エースコックのワンタンメンに手を伸ばそうとした、その瞬間。
ニュッと、横から別の「小さな手」が伸びてきて、同じ袋を掴んだ。
響子が驚いて横を見ると、そこにいたのは漢朝の次期皇帝候補、劉明月公女だった。大きな瞳が、まっすぐ響子を見つめている。
「あら」と、明月は流暢な日本語で言った。「奇遇ですね」
(奇遇なわけない、出来過だ……!)
響子が内心でツッコミを入れつつ、「明月公女様」と頭を下げると、明月は花が開くように可憐に笑った。
「響子さんもワンタンメン、お好きなんですか。私もなんです。では一緒に食べましょう」
「……いつそういう話になりましたか」
「今ですよ♪」
断る間も無く、明月は嬉しそうに歩き出し、無表情な侍女の楊がその後をトボトボとついていく。響子の手にはワンタンメン。完全に行き場を失った。
通された明月の部屋は、響子の部屋よりもさらに広い、100平米超のVIPルームだった。
侍女の楊から無言で片手鍋を受け取った明月は、「月児でいいですよ、響子さん」と微笑む。皇族を愛称で呼べという無茶振りに胃を痛めつつ、響子は本題を切り出した。
「……月児様。私に何か御用ですか」
明月は振り返り、真っ直ぐな瞳で言った。
「お友達になりたいんです」
「それだけですか」
「はい♪」
(邪馬台国のしがない降格外交官相手に、一体何を企んでいるんだ……)と響子は身構える。
しかし、その直後、響子は別の意味で恐怖することになった。
帝室の若き天才(?)による、初めての「調理実習」が始まったからだ。
明月は片手鍋をIH調理器に置き、水を入れ、スイッチを入れた。ここまでは良かった。
問題はその後だ。袋を破るやいなや、乾燥麺と「粉末スープの袋」を一緒に鍋にブチ込んだ。
「あ」
慌てた明月が指を突っ込み、ぬるま湯の中から濡れそべったスープの袋を引っ張り出す。袋を真ん中から2つにちぎり、指先を汚しながらスープを鍋に入れる。
侍女が絞ったお手拭きで明月の指をきれいにした。
響子は何も言わなかった(言えなかった)。
さらに明月は、もやしの袋を力強く掴むと、洗うこともせずそのまま鍋へ一気に放り込んだ。響子は静かに目を瞑った。
極めつけは沸騰した後である。卵を手に取った明月は、鍋の縁でカーンと勢いよく割った。
結果、黄身は無惨に破裂し、卵の殻の破片が鍋の底へと沈んでいった。
「あ……」
明月は2秒ほどフリーズした。しかし、そこは未来の女帝。すぐに営業スマイルに切り替え、その「何か色々混ざった液体」を、これ見よがしに超高級な景徳鎮のラーメンどんぶりへと移した。
「初めてお料理作りましたの♪」
響子がどんぶりの中を覗き込む。
濁りきったスープ。完全に崩壊した黄身。ゆらゆらと底に沈む卵の殻。そして、ほぼ生煮えの状態で浮いている大量のもやし。
100万円の器に盛られた、100円のワンタンメン(崩壊の姿)。
二人はテーブルに向かい合って座った。
明月はおそるおそる箸を持ち、フーフーと麺をすすった。その瞬間、彼女の大きな目が丸くなった。
「……美味しい」
「そうですか」
「美味しいですよ、これ!」
歴史ある南漢宮廷の山海の珍味を食べて育ったはずの公女が、生まれて初めて食べる「ジャンクなワンタンメン(殻入り)」に、心の底から感動している。その嘘偽りのないピュアな笑顔に、響子も毒気を抜かれた。
響子は自分の器を引き寄せ、卵の殻を箸で器用に避けながら、麺を一口すすった。
……まあ、味はエースコックだ。間違いない。
「明月公女様」
「月児です♪」
「月児様。……そろそろ、本当のご用件をお聞かせ下さい」
明月は箸を置いた。
少しだけ、お淑やかに考えるような間があった。
そして、これまでの皇族としての仮面を完全に脱ぎ捨て、目をキラキラと輝かせながら、ためらいなく本音を口にした。
「日本のマンガとかアニメはお好きですか?」
響子はラーメンの器を持ったまま、完全に石化した。
「……は?」
窓の外では、17メートルの「父二人」の黄金像が、午後の光を浴びて一段と神々しく、そして虚しく輝いていた。漢朝の次期皇帝候補が、はるばる日本へ「極秘出産」しにやってきた真の目的(オタ活)が、今、100万円のどんぶりの前で白日の下に晒された瞬間だった。
お暇なら、AIに聞いてみて下さい(駄)
①静香のワンタンメンを実際に作ったらどうなるか?
②「あー、ネギあったら、サッポロ一番塩ラーメンにしたんやけどな。まあ贅沢言うたらあかんか」 →「あー、ご飯入れて、おじやにしたら美味いやろなぁ……いや、さすがにそれは食べ過ぎか」だったら?
③粉末スープ、麺、玉子、ご飯の投入順序を宗派ごとに分類せよ




