もう一人の静香
たちばな女性クリニック(旧立花産婦人科)
午後の診察が終わり、シャッターを下ろしたのを見計らったように、インターフォンが鳴った。
邪馬台国の外交官。二十代半前半くらいに見える。すごく美人。
紺のスーツをきちんと着ていて、日本語で「立花静香さんはいらっしゃいますか」と言った。
女性をロビーに通して名刺を交換した。
”邪馬台国駐日大使館三等書記官 村田紫”
「突然お伺いして申し訳ありません。邪馬台国大使館の書記官で、村田紫と申します。」
邪馬台国。
転移してきた異世界の国の名前は、もう珍しくない。
テレビでも新聞でも毎日出てくる。
ただ、その国の人間が、この小さな産婦人科に来る理由が思いつかなかった。
「何の御用でしょうか」
「奇妙なことを伺いますが、この名前に心当たりはございませんでしょうか?」
白い封筒。差出人の名前は
立花 誠。
父の名前だった。
足元が、ゆっくりと傾くような感覚があった。
父は13年前に大腸がんで死んでいる。
「……これは」
「差出人の名前をご確認いただけましたか」
村田さんが静かに言った。
「……父の、名前です」
声が少し掠れた。
村田さんが封筒を両手で差し出した。
「お受け取りください」
私は封筒を受け取った。
「よろしければ、今ここでお読みいただけますか。」
「……少し待ってもらえますか」
「もちろんです」
私は診察室に戻った。
村田さんが心配そうにこちらを見ていたが、何も言わなかった。
診察室の椅子に座った。
封筒を膝の上に置いた。
しばらく、そのまま見ていた。
父が死んだのは13年前だ。
異世界が転移してきたのは7か月前だ。
順番が合わない。
でも
立花 誠
この名前を知っている人間が、異世界にいる。
私はゆっくりと封筒を開けた。
一度読んで、最初から読み直した。
三回目を読んでいる途中で、やめた。
これ以上読んだら、声が出る気がした。
私は便箋を折り直して封筒に戻した。
深呼吸を一回した。
ロビーに戻った。
村田さんは立ったままだった。
「……読みました」
「そうですか」
村田さんは何も聞かなかった。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「はい」
「その人は……まだ生きていますか」
言葉が途切れた。
「はい、そう聞いております。」
私は頷いた。
「明日、も一度、お会いすることはできますか」
それだけ言った。
村田さんが頭を下げた。
「もちろんです。」
自動ドアが開いて、彼女は出ていった。
私は直ぐに母に電話した。




