ぽぽぽんっ
たちばな女性クリニック 処置室
父からの手紙の内容は、信じられないものだった。
常識が根底から覆された。
今でも完全には信じることができない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
父は、私がここにいることを知っていた。
今、処置室のパイプ椅子を三つ並べて、私と母と村田さんの三人で向き合っている。
母は手紙を読んで以来、ずっと黙っている。
怒っているのか、泣きそうなのか、よくわからない顔をしている。
村田紫さんは、これでも三十五歳らしい。
私と同い年だと言われた時、思わず聞き返した。
肌が綺麗すぎる。目が大きすぎる。姿勢が良すぎる。
スーツの上からでも、鍛えられた体つきがわかる。
何を食べたらこうなるのか、女性として純粋に興味がある。
しかも三人の子供がいると言った。
「すごいですねぇ。出産専用の病院なんて、邪馬台国じゃ聞いたことないです。本当にびっくりです」
村田さんが処置室をぐるりと見回す。
「あのへんな形のベッドとか、沢山の機械って何に使うんですか」
分娩台のことを言っているらしかった。
「出産の時に使うベッドです。お母さんが楽な姿勢で産めるように」
「楽な姿勢……」
村田さんが首を傾げた。
「どういう姿勢が楽なんでしょう。うーん、想像できないですね」
私は少し嫌な予感がした。
「あの、村田さん、三人産んでるんですよね」
「ええ」
「どちらの病院で?」
村田さんが少し考える顔をした。
「病院、ですか。邪馬台国に出産専用の病院はないですよ。名家の方は専用の部屋があるみたいですけど、私は一般ですし」
「では、どこで」
「自宅のお風呂場で。ちゃんと自分でやりましたから」
「……自分で」
「妊娠したって職場に言ったら、先輩がちゃんとやり方を教えてくれたんです」
村田さんが当然のような顔で続ける。
「まず、お風呂のお湯を張って。湯加減は少しぬるめがいいって言われました。それから大きく息を吸い込んで、強くいきんだら、三人続けて、ぽぽぽんって感じで」
ぽぽぽんっは、私の目玉だった。
母も完全に絶句している。
「それから、ハサミでへその緒を切って。消毒はしましたよ。それから赤ちゃんをお湯で洗って、バスタオルに包んで布団に寝かせて」
「ちょっと待ってください」
私はなんとか声を出した。
「三人、続けて、ですか」
「ええ。うちは三つ子でしたから。一人ずつ順番に」
「その間、お一人で」
「いえ、妹が手伝ってくれました。赤ちゃん洗うのとか、布団に運ぶのとか」
「……出血は」
「少しありましたけど、すぐ止まりました」
「痛みは」
「ありましたよ。かなり、でもアセトアミノフェンを貰ってましたからなんとか」
小児用バファリンで……
村田さんが少し眉を寄せた。
「でも、先輩から痛いのは最初だけって聞いてたので。本当に最初だけでした。三人目が出た後はすっきりして」
出産を便秘みたいに……
私は産婦人科医として十二年働いてきた。
難産で三日間付き添ったこともある。
帝王切開が間に合わなかった夜もある。
産後出血で手が震えた朝もある。
すっきり、という言葉を出産に使った患者は、一人もいなかった。
「それから、職場に電話して」
「職場に」
「一週間休みますって」
母がゆっくりと私の方を向いた。
何か言いたそうな顔をしている。
でも言葉が出てこないようだった。
私も同じだった。
「あの」
なんとか声を出す。
「邪馬台国では、それが普通なんですか」
「一般の方はそうですね。名家の方は違うみたいですけど」
「名家の方は、どこで産むんですか」
「専用の部屋があって、女性の介助者が数人ついて……でも、亡くなる方も多いって聞きます」
村田さんの声が少し落ちた。
処置室が静かになった。
私は手の中の封筒を見た。
そう、父からの手紙にはこう書いてあったのだ。
"娘が発展途上国より酷いところで出産しそうだ。死ぬから助けてくれ"
「村田さん」
私は封筒をテーブルに置いた。
「邪馬台国に行くには、どうすればいいですか」




