EP-2 ファーストコンタクト(Day +0/午後)
邪馬台国外務省特使の九条院響子は目の前の光景に眩暈を覚えていた。
「どうぞ、お口に合えばよろしいのですが」
若々しい、張りのある声。差し出されたのは、湯気を立てるコーヒーと透明なフィルムに包まれた羊羹だった。
それを出したのが、**「若く、健康で、制服を完璧に着こなした男性自衛官」**であるという事実が響子の思考を麻痺させる。
(……この艦には、一体何人の男がいるの? どこを見ても、通路を歩いても、屈強な男たちが溢れている。)
「砂糖は……お使いになりますか」
艦長を名乗る男が、細長い紙袋を指で示した。
彼自身はそれを破り、ためらいなくコーヒーへと全量を落とす。
白い結晶が沈み、ゆっくりと溶けていく。
羊羹を一口、含む。
甘味が、舌の上で炸裂した。
「……これは」
言葉が途切れる。
砂糖は嗜好品ではない。管理物資だ。配給に近い扱いを受けることすらある。
それがこの密度。この量で。
(持ち帰るべきだ)
即座に判断する。だが同時にその発想自体が場違いであることも理解していた。
「お口に合いませんでしたか」
「……いいえ。信じられないほど、見事な味ですわ」
砂糖や甘味は貴重である。60g近い痺れる程甘い羊羹と貴重なコーヒー。殺される前の情けと言われた方が分かり易い。砂糖は使わず持って帰ろう。
「ええ、グラニュー糖ですが。お嫌いでしたか?」
「……いいえ。信じられないほど、素晴らしい味わいですわ」
響子は隣の随行員たちが、羊羹を一口食べて言葉を失うのを見た。男と砂糖。軍艦と思えない豊かさの塊だった。
会談は、驚くほど滑らかに進行した。
言語はほぼ同一。語彙と発音に差異はあるが、意思疎通に支障はない。
そして何より、「日本」という共通の名が、奇妙な連帯を生んでいた。
「明日の予備会談ですが、空港の相互訪問でよろしいでしょうか?」
現世界側の代表が、簡潔に言う。
「こちらは福岡空港で貴国代表団を受け入れます。そちらは羽田で我々の調査団を」
響子は即座に頷いた。
「異論はありません」
一拍置く。
「……ただし、本格的な接触に先立ち、感染症リスクの評価が必要です。血液サンプルの交換を提案します」
「妥当です。準備しましょう」
即答だった。合理的判断に迷いがない。
現世界の官僚が冷静に答える。響子はここで賭けに出た。審議会から「もし可能であれば、何としてでも」と厳命されていた要求だ。
「……加えて、もう一点。その……**『精液サンプル』**の提供をお願いしたいのです」
響子の声が僅かに上ずった。断られて当然。下手をすれば不敬として会談が決裂する。彼女は拳を握りしめ、罵声を浴びる覚悟をした。
ところが。
「……精液、ですか。」
一瞬、室内の空気が止まった。
「なるほど、そっちの感染症の検査も必要ですね。わかりました。」
彼はゆっくりと頷いた。
「佐藤三曹。悪いがサンプルの提供を頼む」
「はっ、了解しました!」
現世界の指揮官が、部下の若手自衛官に事務的な口調で命じた。命じられた佐藤と呼ばれた青年の表情には戸惑いがある。
隣に座っていた静香が採取容器を手に立ち上がる。
「採取容器の使用方法をご説明いたします」
即応だった。判断が速く躊躇がない。
さすが名家の姫君である。
二人は短く会釈を交わし、そのまま室外へ消える。
(……簡単すぎる)
響子の背中に、冷たい汗が流れた。
要求の重さを、理解していないはずがない。それでもなお、この処理速度。
価値の基準がここでは違う。
男は守るべき希少資源ではない。奪い合う対象でもない。供給されるものだ。
響子はゆっくりとカップを持ち上げた。
コーヒーを飲み干す。
苦味が舌を焼く。その奥に確かな甘み。
未来は楽園か。
それとも——
「……明日が楽しみですわ。福岡でしたね」
声は安定していた。震えは外に出ていない。
だが内側では、均衡が崩れ始めている。
自分たちが“正妻”としてこの秩序を守るのか。
それとも、この圧倒的な物量に呑み込まれ、社会そのものが書き換えられるのか。
答えは、まだ出ない。
ただ一つ確かなのは。
この苦味は、もはや嗜好ではない。
——選択を迫る味だった。




