月面着陸
月周回軌道。
ワイバーンは月の影へ入った。
窓の外から青い地球がゆっくりと消え、代わりに巨大な灰色の球体が視界を埋めていく。大気も雲もない。無数のクレーターと山々が、太陽の光で鋭い陰影を刻んでいた。
ラヴェル・カーター少佐は、しばらく言葉を失っていた。
「……これが、月」
ニナ・アームストロング中佐も窓の外を見つめる。
「写真で見るのとは、全然違うわね」
やがて月の縁から地球が姿を現した。
黒い宇宙の中に浮かぶ、青い球。
「綺麗……」
ラヴェルが呟く。
「地球が?」
「うん。こんなところまで来たのに、帰りたいって思わせるくらい」
ニナが笑った。
「帰るのよ」
「もちろん」
二人は月を見つめた。
ここから先は観光ではない。
人類が知らないものを探すために来たのだ。
「ワイバーン、月周回軌道投入完了」
管制から報告が入る。
月面地図に航路が表示された。
アポロ11着陸地点。その近くにあるKAGUYA 2。
一時間後、月面着陸船を分離する予定だった。
そのとき、ニナがキャビンの壁を見た。
そこには一枚の段ボールが貼られている。
赤と青の手書き文字。星条旗風の飾り。ファスナーを下げた作業着姿の金髪女性。
「HELP!」
「LOST NASA GIRL」
「NEED RIDE TO JAPAN!」
「PLEASE PICK ME UP! ’_‘ 」
ラヴェルが苦笑する。
「縁起でもないでしょ?……本当に使うことになったら嫌だし」
「それは言えてる、でも、持ってくんでしょ?」
「置いてくよ。私こんなに胸大きくないから」
ニナが笑う。
「私ならちょうどいいかな?」
「じゃあ、あげる」
月面着陸船が分離。
小型の着陸船がワイバーンから離れていく。
月面が急速に大きくなった。
「高度500。速度正常」
ラヴェルは操縦桿を微調整する。
そして――ドン。
四本の脚が、月面に触れた。
舞い上がった月の砂が、ゆっくりと落ちていく。
ラヴェルは計器を確認した。
「……着陸」
その言葉を口にした瞬間、彼女は初めて、自分が本当に月にいることを理解した。
ハッチを開く。
梯子を降り、最後の一段を踏む。
月面に足跡が残った。
風はない。
音もない。
聞こえるのは、自分の呼吸だけだった。
「……静か」
少し離れた場所には、メリケン星条旗を立てる。
そこには、旧世界のアポロ11号とは別の星条旗が立った。
ラヴェルは敬礼した。
「メリケン、月面到達」
そして歩き始めた。
目的地は一キロ以上先。
KAGUYA 2。
月面を進むたび、身体が軽く跳ねる。細かい月の砂が舞い上がる。
やがて、遠くに銀色の機体が見えた。
「……見えた」
KAGUYA 2。
角張った船体。大きな着陸脚。側面には、
「KAGUYA 2 2041 JAPAN」
上部の帰還船は見当たらない。
そして、その横には、旧世界の月面車、TOYOTAと書かれたルナクルーザー。
6輪駆動の装甲車。天井は一面が太陽電池。海兵隊の水陸両用車を銀色にした様だった。
「大きい……」
ルナクルーザーのハッチを確認する。
電源は死んでいたが、手動で開けることができた。
ラヴェルが中へ入る。
「……広い。8人乗りかな」
内部には複数の座席、収納、作業スペース、機器類が並んでいた。
ラヴェルは一つずつ撮影する。
「電源は入らない」
「コンピューターは完全に死んでる。なら、持って帰る」
カバーを外す。
内部には基板と記憶装置が並んでいた。
「メモリがある。回収できる」
慎重に取り外し、専用ケースへ入れる。
「他にも持って帰れるものを」
ラヴェルは通信モジュール、センサー、小型コンピューター、基板を選んでバッグへ詰めた。
やがてバッグは膨らんだ。
「そろそろ戻る。重量もギリギリ」
KAGUYA 2とルナクルーザーを振り返る。
着陸船へ向かって歩き始める。
誰もいない月面。
いや、今頃は日本の若狭宇宙飛行士も同じように南極のアルテミス基地の探索をしているハズだ。
その先には、まだ誰も知らない秘密が眠っている。
そしてラヴェルは、その秘密の一部を背負い、着陸船へ戻っていった。




