第三勢力
GOKOKUタワー。VIPラウンジ。
大阪湾の夜景が、床から天井まで広がるガラス越しに広がっていた。
三人は、それぞれカップを手に、ゆったりとソファに腰を沈めていた。
邪馬台国の国民の妹、藤堂静香。漢の次期皇帝候補、劉明月。フランクの王女、カトリーヌ。
テーブルの上には、トンボ博覧会のパンフレットと、分厚い調査報告書が並んでいる。
「トンボ博覧会への貴重な標本のご提供、ありがとうございました」
静香が頭を下げると、明月は微笑んだ。
「こちらこそ。誘ってくれてありがとう。楽しかったわ」
「私どもも貴重な経験でした」とカトリーヌが続ける。「進化系統学という考え方、この世界にはありませんでしたから」
静香はカップを置き、報告書を手に取った。
「その進化系統学を、邪馬台国の野生動物に適用してみたんです」
「結果は?」
「驚くべきものでした。邪馬台国の野生動物の種類は、日本より約3割少ない。しかも偏りがある。人間に有害な動物がほとんどいないんです」
明月が目を細めた。「確かに。熊も狼も見たことがないわ」
「大型肉食獣がいない。鹿は完全に家畜化されていて野生のものがいない。猪も同様です。猪がいないのに豚はいる」
カトリーヌが首を傾げた。「どういうこと?」
「豚の話をしますね」
「日本に『三元豚』という豚がいます」
静香は指を三本立てた。
「三種類の純粋な品種を、特定の順番で掛け合わせて作る豚です。ランドレース、ヨークシャー、デュロック。まずランドレースとヨークシャーを掛け合わせて雑種の母親を作り、そこにデュロックの父親を掛け合わせる。これが三元豚です」
「三元豚どうしを掛け合わせればいいのでは?」
「できますが、あえてしない。子の品質がばらつくんです。だから毎回、元の三品種の純血の親から作り直す。手間はかかりますが、異なる品種を掛け合わせることで生まれる『雑種強勢』——純血種より優れた特性が出る現象——を毎回最大限に引き出せる。味が良く、丈夫で、成長が早い。旧世界で長年かけて設計された、人工的な品種なんです」
明月が静かに言った。「設計された品種」
「そして、邪馬台国の豚の遺伝子を調べたところ——構成が、三元豚とほぼ同じだったんです」
沈黙が落ちた。
「野生の猪がいないのも当然ね」と明月が呟く。「最初から猪は存在しなかった。豚だけが、最初から『置かれた』んだから」
「鶏も同じです。世界中に広まっているのに起源が不明なまま。邪馬台国では一種類しかいない」
カトリーヌが腕を組んだ。「この世界が、誰かによって設計されている」
「可能性として」
「漢字もそうかもしれない」と明月が続けた。「漢、満州、邪馬台。三国の漢字は似ているけれど成り立ちが分からなくて、長年の謎だったのよ」
静香は頷いた。「日本の資料によれば——漢が使う字は台湾系の繁体字、満州が使う字は中国大陸の簡体字、邪馬台国が使う字は日本独自の字体の流れ。三つとも旧世界の異なる地域から、この世界に移植されたかのように」
「そして」と静香は続けた。「もし日本列島が何万年も前にこの世界に転移してきたなら、邪馬台国はそもそも存在しないはずなんです。旧世界から日本列島、現在の邪馬台国が消えるんですから」
明月が目を閉じた。「つまり、日本はパラレルワールドから来た。なのに、月にも日本と同じ世界の痕跡がある」
「だから、その謎を解く鍵が、月にある」
カトリーヌが背筋を伸ばした。声のトーンが変わった。
「本題に入りましょう。日本とメリケンに、月を独占させるわけにはいかない」
「手持ちのカードを確認しましょう」と明月。
「フランク側は——ラムダロケットのコピーに成功しました。ミューロケットの試作品ももうすぐ完成します」
「その技術者たちは……フランク文庫経由の方々ですか」と静香が複雑な顔で聞いた。
「ええ」とカトリーヌは涼しい顔で答えた。「官能小説の作家の皆さんと、そのお仲間。宇宙関連企業の引退技術者が何人も含まれていましたの。余生に生きがいができたと、大変熱心で」
静香は何も言わなかった。言えなかった。
「ヒドラジン—四酸化二窒素の液体ロケットの設計図も手に入れています。燃料製造も可能です」
「台湾発射場のデータもあるわ」と明月が続けた。「低軌道への衛星投入プログラムは解析済み」
「邪馬台国は合成アンモニアから窒素酸化物を生産できます。推進剤の原料として、それから、日本の関連工場で働いてる諜報部員からの情報も」と静香。
「諜報部員からの情報は漢も出すわ。断片情報でも、AIで繋ぎ合わせればかなりのことが分かるはず」
カトリーヌがまとめた。「技術、資金、人員、三国で手を合わせれば対抗できる」
三人は顔を見合わせた。
「半年後は無理でも」と明月が静かに言った。「2年後なら、月に辿り着ける」
「本国に持ち帰って、早急に国際宇宙開発機構を立ち上げましょう。他の国も加えて、日本とメリケンが月を独占しない包囲網を」
二人は静香を見た。
静香は少しだけ間を置いてから、静かに微笑んだ。「邪馬台国も、参加します」
それから、窓の外の夜景を見た。大阪湾の向こうに、星が見える。その向こうに、月がある。
豚を設計し、文字を移植し、種を選別した、何かが——月にいる。
「では、乾杯しましょう」
三つのカップが、静かに触れ合った。




