情報交換
東京、邪馬台国駐日大使館。その一室は、華やかな紅茶の香りと、妙齢の女性たちのくだけた笑い声に満ちていた。
「本当に、今回はとんだ災難でしたわね、直子さん」
九条院響子―改め、邪馬台国特命大臣に任命された藤堂響子は同情を込めて言った。
その隣では、邪馬台国駐日大使の香澄が深く頷いている。
慰められているのは、日本の現総理大臣・麻田の娘である直子だった。
「いいえ、完全に私の不注意です。高速を使えばよかったのに、小銭をケチってオービスに引っかかるなんて……。おかげで週刊誌に書き立てられて、本当に大事になってしまいましたわ」
「あの道だと空いてたら高速と同じですものね。制限速度の基準が変ですからね。お気になさらず」
香澄がフォローするように言うと、直子はため息交じりに紅茶を啜った。
「おまけに野党の皆さんも、ここぞとばかりに国会で父を追及するでしょう? 正直、ひどすぎます。他に議論すべき大事な国益がいくらでもあるはずなのに」
「ふふ、でもあちらの追及、論点がズレすぎていて完全に自滅しているではありませんか」
香澄の指摘に、直子も「それはそうなのですけれど」と同意した。
「父も『古典的な古い野党より、最近台頭してきた“なろう!”の連中のほうがよっぽどしんどい』と愚痴をこぼしていました。しかも来月の総選挙、古い野党から『なろう!』に鞍替えして出馬する現職議員が山ほどいそうで、与党側も全く油断できない状況なんです。……あ、それよりも!」
直子は身を乗り出し、響子を羨望と称賛の眼差しで見つめた。
「響子さん! 先日の邪馬台国での国政選挙、初出馬にして比例代表トップ当選、そしてそのまま特命大臣就任なんて、本当に凄すぎます! 日本でもニュースになっていましたよ」
その言葉を聞いた瞬間、響子の顔からサーッと血の気が引いた。彼女はカップをソーサーに戻すと、ひどく納得のいかない、鬱屈とした表情で呟いた。
「……あれは、絶対に何かの陰謀です」
「陰謀、ですか?」
「そうです! 私はただ、名前を貸すだけでいいと言われたから承諾しただけなんです。選挙運動なんて一秒もしていませんし、そもそも選挙期間中も日本で走り回っていたんですよ!? それなのにトップ当選だなんて、裏で大きな力が働いているとしか思えません。私を絶対に逃がさないという、邪馬台国上層部のどす黒い意志を感じるというか……」
「まあまあ、響子さん」
香澄が楽しそうに笑う。
「自己評価が低すぎますよ。あなたは今や、日邪の架け橋として活躍して、一般女性なのに35歳で出産。30代一般女性の『希望の星』なんですから。おまけに、あの伝説の直樹様の本当の娘だったと公表されたのも、日本中がひっくり返るほどの衝撃でしたわ」
「あれも本当に、いつの間にか藤堂名乗れって命じられて……知ってますか?静香様って、かなり腹黒いんですよ」
響子は自分の「形にしてしまう不幸な才能」が、恐ろしいスピードで外堀を埋めていく事実に胃を痛めていた。そして、暗躍する妹にも。
「それはそうと、直子さん」
香澄が表情を改め、居住まいを正した。
「筑波の大学へ、邪馬台国から2名の留学生を受け入れる件、ありがとうございます。
「こちらこそお礼を申し上げます。非常に優秀な成績で、受け入れ先の教授も大変喜んでおられますよ」
「まあ、それは良うございました」
香澄はホッとしたように微笑む。
「お二人とも、あちらの名家のお姫様だと伺っておりますが、今は日本への渡航や留学の準備でお忙しいのではないでしょうか?」
直子の素朴な疑問に、響子がどこか遠い目をして答えた。
「ええ、それはもう、非常に『忙しく』準備をされています。……現在は、ド田舎の田んぼで、猛特訓中だそうです」
「特訓……? 留学の準備で、田んぼですか?」
直子が目を丸くする。
「はい。泥水にまみれながら、補虫網を片手に、『昆虫採集』の特訓を死ぬ気でやっておられます。ターゲットは主に、素早く飛び回るヤンマ科のトンボだそうです。いかに美しく、優雅に、一発で網に仕留めるかという、宮廷作法並みの訓練を朝から晩まで……」
直子は一瞬、言葉を失った。
「留学、ですよね? そこまで、なさるのですか?」
「なさるのです。婚活に命かけてますので、そして、こちらも、その『努力』の一部でございます」
響子は、バッグからチケットと豪華なパンフレットの束を取り出し、直子の前に恭しく差し出した。
パンフレットの表紙には、デカデカとこう書かれていた。
『邪馬台国・トンボ大博覧会 ―― 国内外の貴重なトンボ、奇跡の歴史的多数展示』
直子はパンフレットを開き、その監修者リストに目を走らせた。そして、ある名前に突き当たった瞬間、すべての点と線が繋がり、思わず「あっ」と声を漏らした。
「これ……監修者に、日本の親王殿下の指導教授のお名前が入っているではありませんか」
日本の親王殿下は、幼少期からトンボの研究に並々ならぬ情熱を注いでおられる。異世界で有名とは知らなかったが。その殿下の指導教授を抱き込み、これほどの博覧会を邪馬台国で企画する。さらに、そこへ留学準備としてトンボ捕りの特訓を重ねた、邪馬台国の若く美しい名家の姫君たちを配備する。
「……邪馬台国の皆さん、本気なんですね」
でも、国内では見つかりにくいし、邪馬台国の姫君が沢山産んでくれたら助かるなあと、一瞬だけ不敬な空想をする直子。
「是非とも、殿下にご来場賜りますよう、麻田総理からもご協力とご推薦をお願いしたく存じます」
響子は、邪馬台国上層部から「これを日本の総理の娘に渡して、皇室ルートを開拓してこい」と丸投げされた任務を、完璧な営業スマイルで遂行した。
直子は額に手を当て、少しだけ呆れたように笑った。
「父には相談してみますけれど……こればかりは、お約束はできませんよ? 皇室の警備や外交日程は、政府の一存だけでは動きませんから」
「ええ、もちろん、お約束はいただけなくて結構です」
香澄がすかさず、柔らかく、しかし逃げ場を塞ぐように言った。
「総理のご令嬢である直子様に直接直談判したという『事実』さえあれば、邪馬台国の上層部も納得いたしますから。直子様がこの場にいてくださるだけで、私たちにとっては大きな前進なのです」
それを聞いた響子は、ふと、国会で的外れな追及を繰り返す日本の野党を思い出してぽつりと言った。
「そう考えると、日本の野党の方々は本当にセンスがありませんね。総理の娘というお立場が、その場にいるだけでどれほど強力な外交カードになるかも理解せず、ただスピード違反の件でギャーギャー騒ぐだけなんて。私たちは、直子様に『約束してくれ』とも言っていないのに、こうして笑顔でお茶を飲むだけで大きな成果を得ているというのに」
「響子さん、本人を前にそれを言わないでください。非常に困ります……」
直子は、邪馬台国の「藤堂響子」という女性の、無自覚ながらも極めて合理的で冷徹な交渉術に、背筋が少し寒くなるのを感じるのだった。
お茶会の空気は、ふっと静寂に包まれた。
直子と響子は、どちらからともなく、テーブルの下から重厚な封筒を取り出した。
二人は笑顔のまま、一切の躊躇なく、その封筒を交換する。
「こちらが、ご要望のあった資料です」
直子が静かに言った。
「やんごとなき未婚適齢男性のリストと身上書になります。」
響子もまた、別の分厚い封筒を直子の手元へ滑らせる。
「こちらは、ヨーロッパとメリケン関係の機密資料。上流階級の家系図の裏表です。これからの外交戦略に、必ずやお役に立つかと」
二人は、何事もなかったかのように再び紅茶のカップを手に取り、微笑み合った。
つい先ほどまで「小銭をケチったスピード違反」や「田んぼでのトンボ捕り」の話をしていた女子たちの手元で、特級の情報が、極めてスムーズに物々交換された瞬間であった。




