ぎっくり腰じゃなかった!? ――『星砂の眠り』とマリアを救う薬
「……そろそろ、お見舞いに伺いましょうか」
アンの静かな言葉に促され、私たちはマリアの部屋へと向かった。
廊下を進むにつれ、なんとなく緊張してくる。
ギックリ腰で療養中。
そう聞いていたけれど、リサが「長すぎる」と心配するくらいだ。
いったい、どんな様子なんだろう。
「マリアンネ様、失礼いたします。ご友人の方々がお見えになりました」
「どうぞ、入ってちょうだい」
扉の奥から、聞き覚えのある柔らかな声が返ってきた。
「お久しぶりです、ミュウ、ジーク、アン、リサ」
「マリア!」
アンが駆け寄る。
ベッドに上半身を起こしたマリアは、いつものように微笑んでいた。
けれど――
「……マリア?」
私は思わず足を止めた。
顔色が、あまりにも悪い。
以前より肩も細くなっているように見える。
「こんな格好でごめんなさいね……」
「そんなの気にしないで! でも……ギックリ腰って聞いてたのに……」
私はベッドのそばまで歩み寄った。
「どうしてこんなに顔色が悪いの?」
「お医者様には過労と言われたのですけれど……どうしても腰が重くて、身体に力が入らなくて」
「そんな……マリア……」
伯爵が痛ましそうに目を伏せ、静かに口を開いた。
「腕利きの治癒師にも診せたのだが……原因不明の衰弱としか分からなくてな」
その時だった。
マリアが動かした腕。
その袖口から――
キラッ。
小さな光がこぼれ落ちた。
淡い光の粒が、床に落ちる前にふわりと消える。
「……今の、何?」
「また出てしまいました……」
マリアは困ったように自分の袖を見る。
「少し前から、ときどきこぼれるのです。綺麗ですけれど……何なのかしら」
「綺麗って……」
私はその光を目で追った。
まるで、夜空の星を細かく砕いたみたいだった。
「……ちょっと待って」
アンの声が変わった。
「アン?」
アンはマリアの手首をそっと掴む。
鮮やかな青色の瞳が、こぼれた光をじっと見つめている。
「……この光……」
小さく呟きながら、アンが眉を寄せる。
「どこかで見たことがある……」
しばらく考え込んでいたアンが、突然顔を上げた。
「思い出した!」
「えっ?」
「師匠の家にあった本!」
アンは勢いよく立ち上がった。
「『失われた禁忌疾患録』に載ってた!」
「禁忌疾患録……?」
伯爵が怪訝そうに眉を寄せる。
アンはマリアの袖口からこぼれた光を指差した。
「この光……間違いないと思う」
そして、少しだけ声を落とした。
「これは――『星砂の眠り』」
「……!」
伯爵夫妻と執事が息を呑む。
「そんな病名は聞いたことがない」
「当然です」
アンの表情から、いつもの幼さが消えていた。
「百年以上前に、ほとんどなくなった病気ですから」
「では……まさか」
伯爵夫人が震える声で尋ねる。
「マリアンネは、その病に……?」
「まだ断定はできません」
アンは首を横に振った。
「でも、この症状と光は本に書かれていたものと同じ。もしそうなら、普通の治癒魔法では治せない」
「……そんな」
伯爵夫人が口元を押さえる。
私は思わずマリアの手を握った。
「アン、どうしてそんな病気になるの?」
「昔の魔法文明では、魔力をものすごく使う人がいたんだって」
アンは言葉を選ぶように話し始めた。
「魔力を使いすぎると、身体の中にある魔力の核に負担がかかることがあるの。それが長い時間をかけて壊れていって……最後には、魔力そのものが身体の外へ漏れ出してしまう」
アンの視線が、マリアの袖口へ落ちる。
「だから、あの光が出てる」
「……冒険者になる前、私は治癒魔法をたくさん使っていました」
マリアが小さく呟いた。
「そのせい……なのでしょうか」
「たぶん」
アンが頷く。
「今まで身体が頑張って抑えてたんだと思う。でも、もう限界が近いのかもしれない」
「アン……」
私は思わず息を呑んだ。
「治す方法はあるの?」
「あるよ」
即答だった。
アンは顔を上げた。
「『月下独酌』の蜜」
「月下独酌……?」
「人狼族の里にある聖樹にしか咲かない花。その蜜が、壊れかけた魔力の核を再結晶化させるの」
「それがあれば……マリアは助かるの?」
「治る可能性は高いよ」
アンは一度だけマリアを見た。
「でも――急いだほうがいい」
「どうして?」
「魔力が漏れ続ければ、身体の中に残っている魔力が少なくなっていくから」
アンの小さな手が、ぎゅっと握りしめられた。
「このまま進行したら……眠ったまま、目を覚まさなくなる」
「……!」
部屋の空気が凍りついた。
「そんなの、絶対に嫌!」
私は立ち上がった。
「取りに行こう!その蜜!」
「うん!」
アンも力強く頷く。
「私の記憶を信じて。人狼族の里へ行けば、きっとある!」
「そうと決まれば、急ぐぞ」
ジークが立ち上がった。
その声には迷いがない。
「人狼族の里まで、どのくらいかかる?」
伯爵が苦しげに眉を寄せる。
「東の荒野を越えねばならん。人狼族は外部の者に警戒心が強い。道中にも魔物が多く、普通なら往復だけで数日はかかるだろう」
執事も痛切な面持ちで言う。
「過酷な荒野には魔物も多く、大変危険にございます……」
「……数日」
私は考えた。
普通なら。
だったら――
「私の車なら、もっと早く行けます」
「車……?」
「私の世界の乗り物です。荒野でも走れるようにしてあるので。
マリアンネさんは大切な仲間ですから!」
伯爵は目を見開き、やがて短く息を吐いて深く頷いた。
「……かたじけない。何か用意できるものはあるか?」
「大丈夫です!すぐに薬を持って戻ってきます!」
「ミュウの『クルマ』なら大丈夫! 私たちなら、すぐに行って帰ってこられるよ!」
「では、私も……」
マリアが身体を起こそうとする。
「マリア!」
「私も一緒に行きます。私の病なのですから――」
「駄目だよ」
アンがきっぱりと言った。
「マリアはここで待ってて」
「でも……」
「薬を取りに行く人が、患者さんを連れて行ってどうするの」
「……ふふ」
マリアが弱々しく笑った。
「そうね。アンの言う通りだわ」
「絶対に持って帰ってくるからね!」
「はい。信じています」
マリアは私たちに向かって、ゆっくり微笑んだ。
「皆さん……本当に、ありがとう」
「待っててね、マリア」
私はその手をぎゅっと握った。
「絶対に助けるから!」
「はい……」
私たちは急いで部屋を出た。
屋敷の廊下を早足で駆け抜ける。
「大変なことになったわね……わたくしの方で何か出来ることはあるかしら?」
「大丈夫だよ、リサ。でも……明日の講義とレッスンを休むって、先生たちに伝えてもらえる?」
「わかったわ。充分に気をつけてね、三人とも」
「ありがとう! 行ってくるね!」
アンがぽつりと呟いた。
「昔、師匠がね。“古い病気ほど、忘れられた頃に厄介な顔をして戻ってくる”って言ってた」
「へえ……」
「だから、難しい病気の本までいっぱい読まされたの」
アンは少しだけ笑った。
「当時は、こんなの何に使うんだよって思ってたけど……」
そして、小さな拳を握る。
「今、役に立った」
「うん。アンが勉強してて、本当によかった」
「……えへへ」
アンが照れくさそうに笑った。
「師匠にも教えてあげたいな。ちゃんと覚えてたよって」
玄関へ着くと、執事が深く頭を下げた。
「皆様……どうか……お嬢様を……よろしくお願いいたします……!」
「任せてください!」
私たちは力強く頷いた。
ローゼンタール伯爵邸の扉が開く。
その先には、これから向かう東の荒野。
そして――人狼族の里。
マリアを救うための旅が、始まろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
物語が進み、1話あたりのボリュームが増えてきたため、
読者の皆さまが読みやすいように、
次回から週1更新(日曜19:00)に調整させていただきます。その分、1話の密度や読み応えはさらに上げていきますので、
これからも楽しんでいただけたら嬉しいです。次回から人狼族の里へ向けて出発します。
どうぞよろしくお願いいたします!
次回は【8/30(日)19:00】に更新予定です。




