片耳ずつのイヤホンと、届いたバラード。触れそうな距離で、彼が伸ばした手の行方
宿を出て、徒歩十分ほどの道を、二人で魔術学院へ向かって歩く。
ジークは、私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれた。
さっきまではアンもいたし、普通に喋れていたのに、
今は何を話していいかわからない。
でも、不思議と気まずくはない。
春の夜の空気が、静かに私たちを包んでいた。
足音だけが静かな石畳に響く。
時々目が合う。 お互い少し笑って、また前を向く。
学院の前庭に着いた。
夜になると、学生たちが魔力を調整して灯した淡い光が揺れ、光る植物が風に揺れて、幻想的な景色が広がる。
(……ロマンチック……
ジークといるから、そう思うのかな……)
「じゃあ、ここに座るか」
「うん」
噴水のそばの石造りのベンチに並んで座る。
距離は前と同じくらい、肩が触れそうで触れない距離なのに、今日はやけに近く感じる。
ジークの体温が、ほんの少し伝わってきた。
離れた方がいいのかなと思ったけど……動けなかった。
リュックからイヤホンを取り出す。
(……本当は、また一緒に聴きたいと思ってた……
だから、ジークが言ってくれて嬉しかった……)
風が吹いて、髪が揺れる。
ジークが目を細めてこちらを見る。
「はい、耳に入れてね」
イヤホンを手渡す。
指が少し触れた。
ジークは丁寧に受け取って、耳にはめる。
「いい?流すよ」
「ああ」
画面をタップすると、イヤホンの向こうから、静かなイントロが流れ始めた。
━━そして、私の声が響く。
帰りたいのに 帰りたくない
あなたの隣が 帰る場所みたいで
春の風が胸を揺らして
言えない言葉がまた増えていく
私の声が、ジークの耳に届く。
春の夜風と、夜花の甘い香りが混ざり合う。
ジークが、ハッとしたように微かに息を呑んだのが分かった。
琥珀色の瞳が、夜の闇の中で激しく揺れている。
昼間の作詞指導で私が言った『矛盾する気持ち』。
それが、他ならぬ「あの見張りの夜」に、自分たちの間で生まれた感情なのだと気づいたみたいに。
夜風の中、同じ音を二人だけで聴いている。
片耳ずつ、同じ旋律を分け合うこの時間は━━
いま受けている魔術学院のどんな講義よりも、ずっと濃密で、特別な魔法だった。
(……ジークは今、何を思ってるんだろう……)
光る花びらが、スカートの裾にふわりと落ちた。
曲が終わっても、二人とも口を開かなかった。
夜風だけが静かに吹いている。
「どう、だった?
初めての見張りの夜につくったの」
「そうか、あの夜に……
こんなに切ない声をして歌うのだな……
……昼間、お前が言っていた『矛盾する気持ち』というのは、これのことか?
……少しだけ、お前の心に触れられた気がする」
「そう……」
恥ずかしくて、でも嬉しくて、胸が熱くなる。
しばらく二人とも無言だった。
「他にも、あるのか?」
「元いた世界で作ったのなら、あるよ」
「それも聴きたい」
「……わかった」
曲を選び、再生を押す。
ジークの横顔をそっと見る。
真剣に、静かに、聴いてくれている。
最後の一音が夜風に溶けて消えた。
「すごく、良かった。
作ったら、また聴きたい」
「うん……聴いてくれてありがとう」
ふと吹いた風に、体が震えた。
薄い上着の隙間から、冷気が肌に触れる。
「……寒っ」
思わず漏れた声に、ジークが反応した。
迷いなく伸ばされた彼の逞しい腕が、私の肩を抱き寄せようとして━━
(……えっ……!?)
頭の中が真っ白になる。
彼の体温。彼の匂い。
そして、触れられるかもしれないという衝撃。
目を閉じる暇もなく、ただ硬直していた。
心臓が跳ね上がる。
けれど、その指先が私の服に触れる寸前で、ピタリと止まった。
ジークは、自分の中に湧き上がったあまりにも強い衝動に驚いたように、目を見開いている。
ジークはグッと拳を握りしめ、切なさを堪えるようにして、ゆっくりと腕を引っ込めた。
「……冷えてきたな。帰るか。
お前が風邪でもひいたら困る」
「……うん。
帰りたくないけど……帰らなきゃね」
夜風がまた吹く。
二人とも何も言わず、 ゆっくり立ち上がった。
それが精一杯だった。
私の心臓は、うるさいほどに脈打っていた。
読んで下さり、ありがとうございます。
第38話はジークと美優の「秘密の音楽共有」回でした。
そして魔術都市の夜はいよいよ新しい展開を連れてくる……?
次回、39話は6/28(日)19時頃更新予定です。




