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 第二十一章 知らない代償



 時間外の病院の受付は。


 とても静かだった。


 私はひとり。


 声をかけられるのを待っていた。


 次の診察は。


 明日か明後日。


「どちらか、都合の良い日に来てください」


 最後に。


 先生からそう言われた。


「お待たせしました」


 時間外の処置だったため。


 今日は会計ができない。


 なので。


 預かり金を支払って。


 私は病院をあとにした。


 最近は。


 スマホやクレジットカードで。


 支払うことが多く。


 現金をほとんど持ち歩かない。


 けれど。


 こういうとき。


 現金は必要なのだと思った。

 

 外に出ると。


 もう暗くなっていた。


 車に乗り込んで。


 エンジンをかけた。


 40分の帰り道。


 先生の言葉が。


 頭の中で何度も繰り返された。


 もしかしたら、その猫が持ち込んだのかもしれませんね。


 ハンドルを握る手に。


 力が入った。


 みーちゃんは。


 毎晩、山に出かけている。


 草むらを歩いて。


 どこかで寝て。


 朝になると帰ってくる。


 マダニが付いていても。


 おかしくない。


 それを。


 家に持ち込んだのかもしれない。


 外を歩く猫には。


 そういうリスクがあることを。


 考えていなかった。


 でも。


 みーちゃんと一緒にいられることが。


 嬉しくて。


 幸せで。


 だから。


 そこだけを見て。


 リスクを考えていなかった。


 ふと。 


 お爺ちゃんの顔が浮かんだ。


 高熱を出して。


 そのまま逝ってしまった。


 私も。


 同じようになるのだろうか。


 1週間から2週間。


 その間に。


 症状が出るかもしれないし。


 出ないかもしれない。


 分からない。


 ただ。


 待つしかない。


 暗い山道を走りながら。


 胸の奥が。


 じわじわと重くなっていった。


 でも。


 持ち込んだのが。


 みーちゃんだったとしても。


 だからといって。


 みーちゃんのせいとは限らない。


 考えてみれば。


 自然農法の私の畑は。


 雑草だらけ。


 防犯カメラに。


 たぬきやアナグマが映る。


 そんなこともあった。


 畑にマダニがいても。


 不思議ではない。 


 家に着くと。


 いつものように。


 駐車場にみーちゃんが座っていた。


「ミャー」


 いつもと同じ声で。


 私を迎えてくれた。


 涼しくなったこの時間。


 普段なら。


 もう出かけている。


 それなのに。


 私を待ってくれていた。 


「ありがとう、みーちゃん。家に入ろう」


 一緒に家に入って。

 

 着替えていると。


 みーちゃんが。


 私の後ろに回った。


 処置をしたあとの。


 ガーゼに鼻を近づけて。


 じっと見ていた。


「心配してくれてるの?」


 みーちゃんは。


 しばらくそこから動かなかった。


「大丈夫よ。ありがとうね」


 そう伝えると。


 みーちゃんはトコトコと。


 廊下に歩いて行き。


 ゴローン。


 もふれ屋さんを開店。


「あー、触っていいのね」


 急いで着替えて。


 隣にしゃがんだ。


 そして。


 ゆっくりと手を伸ばす。


 自由に触らせてくれるこの時間は。


 私とみーちゃんの絆。


 けど、今は。


 ただ撫でるためじゃなかった。


 私は、捜していた。


 そして。


 顎の下をさすったとき。


 指先に。


 何かが当たった。


 イボのようなもの。


 嫌な予感がして。


 背中がぞくっとした。


 顔を近づけて。


 よく見てみる。


 それは。


 血を吸って。


 大きく膨らんだマダニだった。


「みーちゃん……」


 予想はしていた。


 服を着ている私にも付くのだから。


 当然。


 みーちゃんに付いていても。


 おかしくない。


 そう。


 だから、覚悟はしていた。


 だけど……


 ショックだった。


 マダニが運ぶ病気は。


 猫にも感染する。


 命を落としても。


 おかしくない。


 受付で待っているとき。


 ネットで。


 そう読んだ。


 すぐにでも取りたかった。


 だけど。


 素人が取るのは危険。


 そう思っているうちに。


 みーちゃんは。


 撫でる手を止めた私を見たあと。


 むくりと起きて。


 縁側のサッシ戸から。


 外へ出て行った。


 みーちゃんが出て行ったあと。


 私はパソコンを開いた。


 マダニについて。


 もっと調べたかった。


 検索すると。


 たくさんの情報が出てきた。


 マダニは。


 草や葉の先で。


 じっと待ち伏せする。


 動物や人の。


 体温や呼吸。


 振動などを感じ取り。


 身体が草に触れたとき。


 素早く這い移る。


 獲物が通るまで。


 何日も。


 じっと待ち続けるらしい。


 畑も。


 駐車場も。


 庭も。


 草刈りが。


 まるで追いついていなかった。


 マダニにとって。


 最高の環境。


 そう。


 みーちゃんが悪いわけではない。


 せめて。

 

 家の周囲ぐらい。


 きちんと対策するべきだった。


 次の日の朝。


 みーちゃんは。


 いつものように。


 ひょっこり戻ってきた。


 おそるおそる確認すると。


 マダニは。


 まだ顎の下に。


 付いていた。


 7時半になるのを待って。


 みーちゃんを。


 車に乗せた。


 片道1時間半。


 動物病院に。


 ちょうど開院時間の。


 9時ごろに到着する。


 意外にも。


 前回とは違い。

 

 みーちゃんは。


 移動中。


 ほとんど鳴かなかった。


 寒さの厳しい冬を。


 寂しい古民家で。


 ともに乗り越えた。


 それが。


 信頼に繋がっている。


 そう。


 深く感じた。

   


 動物病院に着いて。


 受付を済ませた。


 朝一番だというのに。


 待合室には。


 私たちのほかにも。


 たくさんの犬や猫が。


 飼い主さんと一緒に。


 順番を待っていた。


 不安そうにおろおろと動く犬。


 以前から不思議に思っていた。


 彼らは。


 ここが病院だと。


 分かっている。


 まるで。


 病院を怖がる。


 子供みたいだ。



 名前を呼ばれて。


 診察室に入ると。


 先生は。


 キャリーの中のみーちゃんと。


 私の顔を見比べて。


「あっ!」

 

 と、小さく声を上げた。


 そして。


 左手を胸の前に引き寄せた。


 前回、入院の時。


 みーちゃんに引っかかれた。


 あの傷を。


 まだ覚えていた。


「だ、大丈夫です。今日は車の中でもおとなしかったので」


 私がそう言うと。


 先生は。


 苦笑いを浮かべた。


「そうですか」


 その声には。


 まだ少し警戒が混じっていた。


 マダニの説明をすると。


 先生は。


 みーちゃんの顎の下の毛をかき分けた。


 そして。


 細い鉗子を。


 根元へ差し込んだ。


「押さえて」


 看護師さんが。


 みーちゃんの身体を支える。


 みーちゃんは。


 少しだけ抵抗したけど。


 暴れることはなかった。


 先生が。


 ゆっくりと器具を引く。


 やがて。


 血を吸って膨らんだマダニが。


 皮膚から外れた。


「取れましたよ」


 マダニは。


 私の時と同じように。


 小さなビニール袋に入れられて。


 看護師さんが。


 持っていった。


 先生は。


 刺されていた場所を確認して。


 消毒液を含ませた綿で。


 丁寧に拭いた。

 

「マダニの予防薬は、何か使っていますか?」


 その言葉で。


 ハッとした。


「い、いいえ。何もしていません」


「では、今日ここで付けておきましょうか」


「はい。是非、お願いします」


 先生は。


 小さな容器を取り出した。


「これは、首の後ろに付けるタイプのお薬です」


 そして。


 私のほうを見た。


「3ヶ月分お出しします。やり方を見ておいてください」


「は、はい」


 私は。


 先生の手元に。


 視線を集中させた。


 みーちゃんの首の後ろの毛を。


 指で左右に分ける。


 皮膚が見えたところへ。


 透明な薬を。


 ゆっくり垂らした。


「これだけです。ノミとマダニへの効果は、約一か月続きます」


「はい」


 薬で濡れた毛が。


 細く束になっていた。


 こんな薬があるだなんて。


 知らなかった。


 そう……


 やっぱり。


 私のせいだと思った。



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