第十三章 雨上がりの空
みーちゃんは大雨の中、佇んでいた。
私が飛び出すと、驚いたように後退りした。
しまった。
何があったか分からない。
けど、理由があるはず。
そっと。
いつもと同じように……
「いらっしゃい、みーちゃん」
雨に打たれながら、明るく声をかけた。
私を見つめている。
鼻をひくひくしながら。
まるでご挨拶。
私も真似して鼻をひくひく。
「さぁ、入って。いつもと違うご飯あるよ」
縁側を見つめるみーちゃん。
ゆっくりと歩き出した。
どこか弱々しい。
それでも、縁側にジャンプした。
私も中に入り、窓を閉めた。
バスタオルを取って戻ると、みーちゃんは部屋に入って、ストーブの前にいた。
「寒かったでしょ」
静かにバスタオルをかけて、そっと拭いてギョッとした。
痩せてる……
毛が濡れているからではない。
あきらかに痩せてる。
私の髪から雫が畳に落ちる。
みーちゃんの毛からも何かが畳に落ちた。
汚れたもみ殻。
奥様の言葉を思い出した。
もしかして。
どこかの倉庫に閉じ込められてた?
この辺りには、普段使われていない倉庫がたくさんある。
人がめったに立ち入らない山の中にも。
たまたま開いてる時に入って、閉められた。
手足は黒く汚れていた。
明らかに元気がない。
どうすればいいのか……
もしその通りなら、何日も食事をしていない。
水も、雨が降る今日まで飲んでいない。
ご飯をあげればいい。
そんな単純な話ではない。
横になっているみーちゃんを見つめながら。
街の動物病院に、片っ端から電話をした。
十数件もあるのに、どこも出てくれなかった。
それでも、もう一度かけ直した。
すると、1件だけ出てくれた。
あと20分で閉めると言われた。
「一時間半かかりますが、お願いします。お願いします!」
必死で頼んだ。
「……分かりました」
私の熱意に押されたのか、それとも、優しい方で断れない性格なのか、承諾してくれた。
バスタオルにくるんだまま、みーちゃんを抱っこした。
私を見つめている。
抗う力もない。
初めての抱っこが、まさかこんな形だなんて。
雨で濡れた部屋着。
ノーメイクのまま。
助手席に乗せて出発した。
大雨。
そして夜。
視界は最悪。
くねくね道。
できるだけ揺らさない。
スムーズに。
みーちゃんをいたわりながら急いだ。
こういう時、田舎は不便。
街のように、何でもあるわけではない。
一時間半後。
やっと到着。
カーテンはかかっているけど、中には灯り。
「すみません。電話したものです」
みーちゃんを抱えて、ドアをノックした。
すぐに開けてくれた。
症状は電話で伝えてある。
診察台に寝かされたみーちゃん。
先生が皮膚をつまんだ。
「……戻りが良くないね」
歯茎を見て、お腹をそっと触る。
次に聴診器を当てた。
私は、震えながら見ていた。
祈るように手を合わせて。
「何日いなくなってたの?」
「一週間ぐらいです」
先生は何度か頷いた。
「点滴します。それと、入院です」
覚悟はしていた。
「まずは三日。様子を見ます」
みーちゃんを見つめた。
目が合った。
離れたくなかった。
けど、私には何もできない。
先生にお任せするしかない。
信じてる。
寒さの厳しい山で、たくましく生きてきたみーちゃんの強さを。
離れる前に。
後ろ脚に手を添えて、心を通じ合わせた。
外に出ると、雨はまだたくさん降っていた。
車に乗り込んでも、しばらくエンジンをかけられなかった。
ただじっと、みーちゃんのいる病院を見つめていた。
出発しても、何度も車を停めた。
涙を拭うために。
家に着くと、照明は点けっぱなし。
ストーブまでも。
鍵すら閉め忘れていた。
けど……
みーちゃんが心配で、何も気にならなかった。
大雨の音が騒がしい。
眠る気のなかった私には、ちょうど良かった。
次の日。
あれほど降っていた雨は、朝にはやんでいた。
雨上がりの山の匂い。
街では味わえない優しい感覚。
田舎には、田舎の長所がある。
ヤッケを着込んで、長靴を履いて出掛けた。
行先は。
あの廃神社。
久しぶりの雨。
地面がぬかるんでいた。
ところどころ、水が流れていた。
土砂災害が頭をよぎった。
それでも。
息を切らしながら、目指した。
「はぁ、はぁ…… 着いた」
朝日が、雨水を纏ったご神木を輝かせていた。
手を合わせて、深く頭を下げた。
「お願いします。みーちゃんを助けてください。お願いします」
私は無神論者。
困った時だけ神だのみ。
なんて都合がいいんだろう。
そんな私の願いなんて、叶えてくれる義理はない。
けど、今回だけは、本当にお願いします。
これからのみーちゃんが、少しでも安心して暮らせるように、私にできることは何でもします。
どうか、どうか。
お願いします……
頭をあげて帰ろうとした。
その時、突風が吹いた。
ご神木が纏っていた雨粒が、風に乗って舞った。
一瞬だけ、とても美しい虹が見えた。
私は、もう一度ご神木に手を合わせてから家に戻った。
畳に座って、病院が開く時間を待った。
スマホを握りしめて。
何度も時計を見た。
9時。
すぐに電話した。
「もしもし」
先生が出てくれた。
「あの、昨日夜に連れていった三毛猫ですが……」
「あー、はい」
絶対音感のある私は、声のトーンを心地よく感じた。
それってもしかして……
「昨日より、だいぶ反応がいいですよ」
やっぱり!
「少しですが、自分でご飯も食べました」
よかった……
「強い猫ですね。普通ならもっとぐったりしてるはずなのに」
うん。
みーちゃんは強い。
厳しい山で生きてきた子。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
何度もお礼を言った。
「もう大丈夫だと思います。そうですね…… 明後日に迎えに来て下さい」
「はい!」
電話を切った。
涙が溢れた。
昨日とは違う涙。
体から力が抜けていく。
張り詰めていた糸が、ほどけた。
気づいたら、ベッドに倒れ込んでいた。
そして。
目が覚めたら、夕方。
壁に掛けた時計を見た。
この家に合わせて買った、教室にあるみたいな古いデザインの時計。
まだみーちゃんがいる病院は開いている。
どうしよう。
もう一度、電話して容体を聞いてみようかな。
いや、お忙しいだろうし、何度も申し訳ない。
けど、気になって仕方がない。
喉を押して声を変え、他人の振りして電話してみようかしら。
まって。
番号通知でバレてしまう。
先生は人が良さそうだったから、気づかない振りをしてくれそう。
そこまで気を使わせるのも悪い。
なら非通知で。
いや、そうじゃない。
先生とみーちゃんを信じよう。
そう決めたけど、ずっとそわそわ。
落ち着かない。
たった二日。
信じられないぐらい長く感じた。
退院の日。
前日に用意していたキャリーケースを積んで出発。
朝9時に病院に着く予定。
感動の再会が、もうすぐ。
病院に着いた。
時間はピッタリ9時。
我ながらたいしたもんだ。
キャリーケースを持って中に入る。
受付で退院の手続きをしていると、先生が現れた。
私を見て、苦笑い。
なぜ?
「こちらへどうぞ」
キャリーケースを持って中へ。
ケージがいくつも並んだ入院室に通された。
その一角に。
会いたくてたまらなかったみーちゃんがいた。
「みーちゃん!」
私と目が合った。
途端。
「フギャー! ファー!!」
金属の柵の間から手を伸ばし、振り回し始めた。
先生の隣で、呆然と見つめる。
さらに、柵に噛みついた。
「ウゥゥー! ファー!!」
先生が、ぽつりとつぶやいた。
「元気になってから、目が合うたびにずっとこんな感じで……」
左手を軽く上げて見せてきた。
そこには、バンドエイドが貼ってあった。
すみません。
うちのみーちゃんが。
本当に強い子で……
5月10日の掲載はお休みいたします。
次回は、5月17日の掲載になります。
宜しくお願いします。




