04.ドラゴン
「ここは……」
光の下に出ると、そこは山だった。
「まさかケルド山の反対側にでも出たんじゃ」
ユーインが周りを見回す。景色を眺めてみてもよくわからなかった。
ケルド山に登ったのはあの時の一度だけだし、反対側だとしたら見たって分かるはずがない。
「ううん。違う……ここ、地上だ」
ユズリハは大きく息を吸った。身体中にマナが満たされていく。
気付けば息苦しさを感じなくなっていた。
「地上……」
ユーインは呆然と立ち尽くした。こんなにも自然が溢れる、"普通"の世界だと思わなかったからだ。
もっと空は暗く、地面は血に濡れていて、凶悪な魔物が蔓延り、緑など一点もないような世界をイメージしてきた。
自分の想像力の乏しさに嫌気が指す。
「空が高い。空気がきれい。すごい、外の世界だっ……」
目を輝かせて大きく息を吸った。今まで地下の空や空気に疑問を思ったことはなかったが、本物を見るとやはり違うように感じる。
この辺に魔物がいないなら、ひっそりと暮らしていけるんじゃないか?と思った矢先だった。
ズドォォォォン────
山が生きていて、まさに今歩き出そうと立ち上がったのかと思うほどの振動を感じ、思わず尻餅をついた。
「な、何?」
揺れが収まったのかも分からないくらいの目眩を感じながらも、近くの木を支えに立ち上がる。
すぐ上、山頂で何かがあったようだった。砂煙が渦巻いているのが見える。
思わず足を一歩進めたところで、ユーインに腕を掴まれた。
「ここは魔物の巣窟だぞ。行くつもりか?」
地下なら好奇心と言える行動も、ここ地上では自殺になる。
それでも、ユズリハは頷いた。
「気になるの。行かせて」
2人が生まれ落ちてから17年、ずっと同じ街で暮らしてきた。
彼女のことは何でも知っているつもりだった。
だけど、こんな一面は知らない。
ユーインの知ってるユズリハは臆病で、みんなの後ろをおそるおそるついてくるような女の子だった。
先頭を歩くエルトが怪我をすれば治癒の魔法で治し、エレノアが愚痴を言えばニコニコ聞いて、オルティオと本の話で盛り上がり、そしてユーインとは何をするにも一緒だった。
それなのに。
(本当にユズ、なのか?)
透明感のあった飴色の瞳は、すっかり血のような真っ赤になった。
耳は尖り、牙も生えている。地下にいるときはのぼせていた頭が、外の空気に晒されて冷えてきたようだ。
冷静になって彼女を見ていると、あることにふと気付いた。
「あれ?腕治った?」
ユズリハの腕が人間の腕に戻っていた。細くて白い、いつも通りの腕。
掴んだときは気付かなかった。相当混乱しているのだろう。
「本当だ。いつのまに……」
ユズリハ本人も目を丸くして腕を見た。耳や歯も触って確認していたが、それはそのままでもあまり気にならないらしい。
「はははっ。もうなるようになれって感じだ」
「?」
「行こう。揺れの正体見にいくんだろ」
吹っ切れたように笑い、2人は山頂を目指した。
「マジかよ……っ」
ユーインは絶句した。ユズリハも、目を丸くして動けずにいる。
2人の視界に入ってきたのは、自分たちの何倍も大きいスカイブルーのドラゴンだった。
ドラゴンは山肌に打ちつけられたまま動かない。濃紺の瞳が、こちらをじっと睨みつけている。
まさに蛇に睨まれた蛙といったところだ。逃げることも、剣を抜くこともできない。
何時間も経ったかのように感じたが、実際には数分だったのだろう。
ドラゴンはこちらを睨むばかりで、襲ってくる気配はなかった。それに気付いたユズリハが一歩前に出る。
小声でユズ、と呼ぶ。彼女は聞こえているのか無視しているのか、ユーインを見ることなくドラゴンの眼前に立った。
「少しじっとしててね」
ドラゴンに微笑んだ後、ユズリハはドラゴンの背中の方に回り込む。
ドラゴンは警戒してかユズリハを視界から逃すまいと身を捩らせるが、グゥゥと呻いたきり、また動かなくなった。
その様子を見て、ユーインは金縛りにあったような体を、また動かすことができた。
ドラゴンが怪我しているんだと気付いた。
「あの子は怪我を治せるんだ。痛いことはしないから安心して」
そっと声をかけると、ドラゴンは渋々と言った具合で睨む目を閉じた。
少しして、ユズリハが背中から戻ってくると、ドラゴンが目を見開いた。
その理由がなんだったのかは分からないが、治癒魔法で楽になったのは確かなようで、ドラゴンは立ち上がることができた。
「怪我は治せるけど、流れた血は戻せないから無理はしないでね」
そう声をかけると、ドラゴンは低く小さく唸って高く飛び、あっという間に小さくなった。
ドラゴンがいた場所には大きな血だまりができていた。小さなプールくらいの大きさに広がり、どれだけ深い傷だったか想像ができた。
「怖くなかったのか?」
ユーインがおずおずと尋ねる。自分1人が怖かったことよりも、これまでのユズリハと別人のように思えたことが、何よりも怖く感じられた。
「最初は怖かったけど。でもすぐに怪我してるって気付いたから、早く治さなきゃって思ったの」
そう答えるユズリハの瞳は、慈悲に溢れる女神のようにも、命を掌握する魔王のようにも見えた。
考えすぎだ、と頭を振って、山頂から下界を見下ろす。ケルド山に匹敵する高さだ。遠くに小さく村があるのが見えた。
「ここは魔物の世界だ。人目につくところに顔を出せばとって食われるだろう。でも山にずっといるわけにはいかない。素性を隠しながら何とか街中で生き延びるのがいいと、俺は思う」
ユズリハは何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。それに気付いて、ユーインは言葉を促すように手を小突くと、彼女は一呼吸置いてから言い出した。
「私、こんな見た目になっちゃったし、もしかしたら魔族として馴染めるかもしれない。そしたら、一番危ないのはユーインかも」
ツンと高く上を向いた耳、赤く光る目、手足こそ元通りになったが、なんと今では頭に小さな角が2本生えていた。
「……」
少し考えたのち、バックパックから1枚の服を取り出した。フード付きのポンチョだ。
「これでいく」
「大丈夫かなぁ」
とりあえず下山してみることにしたのだった。




