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聖女、魔王として生きる  作者: 小辰テオ


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02.決意

そのままただ茫然と3時間が経った。

彼女に何が起こっているか皆目見当つかないまま、何もしてやれなかった。

冷たい水で濡らしたタオルを、熱を持った手足に当ててやり、氷を袋に詰めて額に乗せてやることだけが精一杯だった。

ユーインは片時も彼女の側を離れなかった。ずっと心配そうに見つめている。

「ユズ…」

タオルを交換しようとするエレノアの背中が、ぞわりと粟立った。

3人の様子を伺うが、変わったところはない。気付いているのは彼女だけ。

「どうかしたか?」

エルトがエレノアの肩に手を置く。ブルブルと震えていた。その言葉で、自分が震えていることに気付いた。

「ユズの体から、禍々しいマナを感じるの」

マナ。それは魔法を使うエネルギーであり、その人を作り上げる要素でもある。

火、水、風、地の四元素を含み、人は必ず一つの元素を持つ。

例外として、全く魔術が使えないエルトや、呪術という特殊な技を使うオルティオは四元素を持っていない。

また、ユズリハのような治癒を使う魔術師は、聖という別格の元素を持つ。

そのユズリハから禍々しいマナを感じるとは、一体どうなっているのだろうか?

「う……」

「ユズっ!」

小さく呻き声をあげ、身を捩らせる。

顔を横に向けたかと思うと、大きく口を上げて血を大量に吐き出した。

「うわぁぁぁっ、ユズが死んじゃうぅ!」

「黙ってろ!」

錯乱して泣き出すオルティオに、エルトは怒鳴り声をあげた。しかし彼の心境も、オルティオとあまり変わりなかった。

ユーインはユズリハの体を、まるで赤ちゃんを抱っこするかのように抱き上げる。顔を少し床に向けさせて、吐いた血が喉に詰まらせないようにした。

「みんな、先に街に戻っててくれないか。全員いなくなったら街はパニックになる。俺とユズは他の街を巡る旅でもしてると伝えてくれ」

「そんなことできるわけないでしょう!だって、こんな状態のユズ……放っておけないわ……」

エレノアはしゃがみこんで涙を流した。

大量の血を見て、全員、絶望的になっていた。その吐き出し方はそれぞれ違った形で現れた。

混乱して号泣するもの。悲観して涙を流すもの。ただ言葉もなく立ち尽くすもの。

そして、最期は2人きりになりたいと願うもの。

「このままここで回復を待つより、無理にでも街まで運んで、お医者様や街の魔術師に見せた方が良いんじゃないかしら……」

エレノアがそう提案するも、エルトは首を振った。同意をする言葉はないが、オルティオも渋い顔をする。

「何が原因かは分からないけど、こんな姿になってしまっているユズを連れて帰ったら、何されるか分かんないよ……」

ユズリハの外見は、病気や怪我で変わってしまったのとはまるで別物だ。

全員言葉には出さないが、こう思っているだろう。


────"魔族"のようだ、と。


「じゃあお医者様をここに連れてくるとか」

責めるような口調のエレノアの言葉に、エルトはぐっと拳を握りしめた。

医者や魔術師にどうにかできるとは思えない状態になっていることは、エレノアにも分かっていた。

魔物の危機に脅かされることのない生活を送り続けて数百年が経っている。病気や怪我に対する医療技術は発展してきたが、魔術や呪術の方面は全く磨かれて来なかった。

そしてこれはただの病気や怪我ではない。

「……分かった。俺達は一旦街に戻る」

「エルト!」

「全員ここにいても仕方ねえだろ。街に戻って調べたり、しばらくここにいられるだけの食料や医薬品なんかを持ってくるよ」

不服そうな2人を引き連れて、エルトは街に戻っていった。

「絶対死ぬなよ」と一言残して。


3人が引き上げてからは時間の流れが無限に感じられた。

血まみれで呻くユズリハの背中を擦っている間はまだ良かった。

「う、ぐぁ……っ」

おそらく本人に意識はあまりないのだろう。少しでも心が穏やかになればと握った手は、力いっぱい握りしめられて骨が折れた音がした。

それでも彼女の手は離さずにいた。この手を離したら、きっと彼女は自身の身体を傷付けるだろう。

血液ではなく血の塊を吐いてからは、目や鼻、耳、穴という穴から血が流れ出るようになった。

青白かった顔色は既に真っ白になっている。貧血によるものだろうか。血だらけの顔を、血だらけになったタオルで拭く。

「服も着替えさせてやりたいんだけどな……ごめんな」

首筋のあたりの血を優しく拭いながらそう声かけると、ユズリハがゆっくりと目を開けた。血の色のような真っ赤な瞳が、ユーインを見つめる。


「ゆ、イン」

掠れる声で、彼女は名前を呼んだ。

「ユズ!大丈夫かっ!?」

血だらけの口元が微笑む。

「ごめ、ごめんね」

真っ赤に染まった異形の手で、ユーインの服を撫でる。

そこにはユズリハが汚した血がべっとりと付いていた。

もはや元の服の色が分からないほどに血に濡れた服は、彼女の惨状を表している。

「そんなの、どうだっていいよ……」

言われるまで、服のことなんて全く気にしていなかった。大切な友人がこんな目に遭ってるというのに、服のことを気にする男なんているわけない。

彼女の肩をギュッと抱いた。肩は細いのに、腕は何倍もの太さに腫れ上がっている。

はぁはぁと肩で苦しそうな息をしている彼女は、それでも意識がないときより幾分か楽そうではあった。


どれくらい経ったか分からないほど、この空間は時間が止まっていた。

時折3人がきては小さく悲鳴を上げるのも、もはや笑い話になりそうなほど予想できた反応だった。

3人は、ユーインとユズリハが眠れる寝袋や着替え、食料を運んでくれた。

そして何より、エルトがこっそり医者から拝借してきた簡易点滴キットが効果あったのだろう。ユズリハの顔色はだいぶ良くなり、体を起こせるくらいには回復した。

「私、どうしちゃったんだろうね……」

隣に座るユーインの体に寄りかかりながら、自分の異形の手を見つめた。

赤黒く変色したその腕は、まるで自分のものではないような感覚に陥る。

「3人が調べてくれているけど、手がかりが掴めないって言ってた。未知のウイルスとか呪いとかなのかもしれないな」

それでも、今こうして意識を取り戻して生きてくれているだけで嬉しかった。

ユズリハは全く覚えがないだろうが、他の4人は死まで覚悟していたくらいだ。

「ユーイン、あのね」

彼女はうつらうつらとしている。

体調が回復してきたと言っても、長い間血を失ってきた代償は大きい。それにまだ吐血は続いている。体の変化も少しずつあった。

体力の消耗が激しく、眠りについている 時間の方が多かった。

ちら、と彼女を見ると、どうやら眠ってしまったようだ。彼女を起こさないように、横にして自分も仮眠を取った。


次に起きた時、ユズリハの姿はなかった。

血の気が失せた。一瞬で頭の中が真っ白になって、梯子のある場所まで向かう。

もう、そんなに体力が戻ったのか?それならいいことだ。でも1人で行くのはまだ早いのではないか。

ぐるぐる巡らせていると、小部屋の奥、祭壇の向こう側から彼女の姿が現れた。

「あっ、起きたんだね。おはよう」

にっこりと微笑む彼女はいつも通りの可憐さで、この数日間のことが嘘のように思えた。

「勝手に行くなよ!心配するだろ!」

「あはは、ごめん〜」

「もう体は大丈夫なのか?」

ユーインが尋ねると、ユズリハはくるりと回ってみせて。

「うん。走ったり運動したりはちょっとしんどいけど、歩くくらいなら大丈夫そう」

もう血を吐くこととないようで、服は昨日着替えたままの、綺麗な水色のトップスに白いパンツを履いていた。血の汚れは一滴もない。

安堵の息を吐くと、とりあえず簡易テーブルにハーブティーを注ぎ、座った。

「ねぇ、ユーイン」

彼女の声色が変わる。

ユズリハはユーインの対面に座り、じっと見つめた。ユーインはお茶の用意に専念してるふりをして、目を合わせない。

「ここの奥に、地上に繋がる通路があったの」

「……」

何も聞こえないふりをする。

通路があったのは、ユーインも確認していた。ユズリハの容体が安定してきた頃に、奥がどうなってるか見に行ったのだ。

「私、ここを出る」

「魔物まみれの地上にか?」

その声には怒気がこもっていた。

「なんかさ、私、魔物のほうが近いんじゃないかな、今って」

ユズリハが自嘲気味に笑うと、それすら苛立ちの対象になった。

「外じゃ……人間は生きていけないんだ」

長年言い伝えられてきた魔族への恐怖。地上の邪気を含んだ大気。

平気で腹を裂いてはらわたを食らうようなやつらがうじゃうじゃと蔓延る地上に出るなんて、ただの自殺行為でしかない。

「ごめんね。ずっと見てくれていてありがとう」

「ユズ」

「3人にも会わずに行こうかなって思ってるの。だからお礼を伝えてほしい」

「ユズ」

「顔合わせると、辛くなっちゃうから」

「ユズ!」

ユズリハは驚いて顔を上げた。

そのとき初めて自分が俯いていたことに気付いた。

「俺が一緒に行かないわけないだろ」

「……え?」

彼女はきょとんとする。あの魔族溢れる死の大地に?

「ユズが死ぬつもりでもそうじゃなくても、ずっと付き合うよ。離れるつもりないから」

"死ぬつもり"────この言葉にビクッとした。

そうだ。自分は死のうと思ってたんだ。

異形の体。体調は良くなってきたけど、どことなく重く苦しい。酸欠のような状態が続いている。

高い山の中にある地下空間だからかと思ったが、なんだか様子がおかしい。二重人格になったかのような、自分の意思とは違う"声"が聞こえる。

"地上に出ろ"と。

しかし、地上に出たら十中八九自分は死ぬだろう。言い伝えが本当ならば、魔物は残忍かつ狡猾で、人を騙し殺し喰い荒らす奴らばかりだ。

だけどそれしか道はなかった。この息苦しさを感じながら、この異形の姿を抱えながら、街に戻って奇異の目に晒されながら生きるのは、死ぬより辛い。

「意味、分かってる?」

「分かってるよ。ユズが馬鹿みたいな理由で死のうとしてるって意味だろ」

「……馬鹿って何」

「馬鹿だろ!」

ユーインだって分かってるつもりだった。

街の人たちに姿を見せたら、どんな目で見られるかって。

魔物に怯えることない生活をずっと続けてきた人間が、いきなり彼女の異形の姿を見てどう反応するかって。

そう考えたら、みんなに愛されてきた17歳の娘が死にたくなる気持ちも理解できた。

出来たが、それでもやっぱり納得できない。

「一人では絶対行かせないから」

ふん、と鼻息を荒くして、周辺の荷物を片付け始めた。


ユズリハは唖然としたものの、ようやっと立ち上がり荷物を準備した。

随分とゆっくり過ごさせてもらったものだ。好物のハーブティーまで用意してくれて、みんなには本当に良くしてもらった。

「ごめんね」

顔を背けたまま、ぼそっと呟いた。

「なんでユズが謝るんだ。俺は自分の好きなようにやってるだけだから」

簡易テーブルを片付けようとしたが、ユズリハはあることを思いついた。

「そうだ。みんなに手紙残したい。いいかな?」

ユーインは無言で頷いて、最後に残された簡易テーブルの席についた。

簡単な紙とペンを用意し、さらさらっと書き上げる。


”この数日間、とてもお世話になりました。おかげで元気になりました。

迷惑かけてごめんなさい。

ユズリハとユーインは、ここを出て人目のつかないところを渡り歩きながら暮らしていきます。

どうか心配しないでください。街のみんなには、適当にうまく伝えておいて!

大好きだよ。さようなら。


ユズリハ・ユーインより”


「地上に出るとは書かないんだな」

手紙の内容を見て、関心するように言った。

「地下のとこかにいるって思えた方がみんなも気が楽じゃない?

それに、お父さんとお母さんに娘が死んだと思わせるのは辛いから」

ユズリハの父と母は一人娘のユズリハを溺愛していた。幼い頃から仲が良かったユーインは、何度も何度もユズリハを頼むとお願いされたものだ。

だから、というわけではない。こんな命を懸けるような決意、親に頼まれたからって理由じゃ絶対にできない。

悲しげに手紙を眺める彼女の肩にそっと手を置いた。

「地上、いいところだといいな」

わずかな希望を持って、2人は奥へ向かった。


ユズリハは改めて祭壇を見つめた。胸に黒いモヤがかかったような、嫌な気分になる。今すぐこの祭壇を壊してしまいたくなる強い嫌悪だ。

「この祭壇、俺ちょっと怖いんだよな」

ユーインが少し照れくさそうに言った。

「怖い?」

「そう。何でか分かんないけど、ちょっと苦手」

ユズリハは"怖い"とは感じなかった。

人によるんだろうか。だけど、自分がどう感じているかは伝えないことにした。

祭壇の裏を通って壁の隅に触れると、ぼやっとした幻影のようなものが揺らいだ。

「ユーイン、ここに気付いてたんでしょう?」

「ああ。気付いただけだけど」

「これ、かなり強い封印だよ。エレノアくらい魔力があっても気付けないかも。

……ユーイン、実はマナの量すごいんじゃないかな」

ぼやぼやと揺らぐ封印を見つめる。ユーインが触れたときは、そこに何かあると気付いただけで、こんなふうにただの壁が揺れることはなかった。

マナの量は人によって違う。ユーインは人並みらしく、魔術師になれなくもないが、平凡止まりになるだろうと言われたことがあった。

ユズリハが何かを唱えると、封印は解けて鉄扉が現れた。向こう側の空気を一切感じさせないそれは、引き返すなら今だと圧をかけてくるかのように思えた。

ユズリハは躊躇なく鉄扉を開けると、ぶわっと風が流れ込んだ。土と草の匂いがする。

鉄扉の先の長い通路を一歩、二歩と踏みしめる。光は遥か遠く、長い長いトンネルだった。

ユズリハは通った鉄扉を閉めて、再び封印を施す。この扉が、地下の他の人に気付かれないようにだ。

「すごいな。もう俺じゃ見つけられないよ」

封印の完成度は魔力の高さに比例する。

この封印に気付けるものは、おそらくこの地下世界にはいないだろう。

「さようなら」

何もない壁に向かって、彼女は呟いた。

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