01.祭壇
「せい、いや、魔王様!」
単眼で、頭に大きな角を生やした大男が私に跪く。
「その呼び方やめてってば!」
背中までの髪をなびかせ、彼女は振り向く。
赤い目が鋭く光り、大男はヒッと怯んだ。
「あぁぁ。もう、どうしたらいいの……」
手を顔に当てて、彼女は深くため息を付いた。
「なかなか思い通りに動いてくれないな」
少年は書類を机に並べて、くくくと笑った。
「はぁ、退屈」
ベッドに寝転ぶ彼女は、天井を見上げて今までの出来事を思い出す。
そうは言ってもな、と少年は先ほど置いたばかりの書類の山に目を向ける。彼女がやらねばならない仕事だ。真面目な彼女は、いつもしっかりと仕事をこなしている。サボったことなどない。
「……行こう」
「は?」
「また旅に出よう」
「いや、でも」
「よし。準備しよっ!」
書類の山を放置して、彼女は自室で準備を始めた。
彼女が初めて仕事をサボった瞬間だった。
────────────
「もしかしたらこれ、地上への通路かも」
オルティオが古い本を大切そうに抱きかかえながら、ソワソワした口調で言い出した。
17歳の夏、外の世界だの魔王を倒すだの言っていた子どもの頃とは違って、情熱も冷め切っていた。
各々鍛錬も続けていたが、魔物もいないこの世界で、鍛える意味も見失いつつあった。
「へぇ。どれどれ」
エルトが興味なさげに尋ねると、オルティオはその反応など気にもとめず、古い本をパラパラとめくった。
中途半端なページに挟まれている4つ折りの紙を取ると、それを広げてみせる。
「この地図見て。ここ、ケルド山に印がついてる」
エレノアも気になって覗き込む。ケルド山は街から北に行ったところにある、地下世界で一番高い山だ。
「それがなんで地上への通路だって言えるの?」
エレノアの疑問に、待ってましたとばかりに鼻息を荒くして、今度は本の方を見せる。
「ここ。地上への通路の内容なんだ」
書いてある内容を見ると、なるほど確かに地上に繋がる通路、蓋、かけられた封印……大人たちが隠してきた内容が詳しく載っている。
「図書館にある他の本には全く載ってないんだ。通路や封印のことが書いてあるのはこの本のこのページだけ」
「えっ。ということは、オルティオ……」
ユズリハが目を見開いて彼を見ると、満面の笑みを浮かべてピースをしてみせた。
「ぜんぶ読んだよっ」
図書館の本を読み切るという彼の夢は叶ったらしい。
ユズリハとエレノアは両手を合わせて、自分のことのように喜んだ。
「あんな大量にある本を…すごいな」
「そんで、この本はどこで見つけたんだ?」
エルトはパラパラとページをめくる。本はなんの変哲もない、魔術を使ったサスペンス小説のようだ。
普通に読んでいても違和感がないように作られているらしい。なぜこんな隠し方をしようと思ったのかは知る由もないが、とにかくこの本が鍵だということは理解できた。
「ちょっと変なところにあったんだけど、そこはまぁ割愛して。
とにかくこれが外に繋がる手がかりになってるってこと!」
鼻の穴を膨らませて彼は地図を手で叩く。
地図にはケルド山の位置に印が付いているだけで、具体的な場所も目印も全く書かれていない。
地図が挟まれていたページの文章を読むと、どうやら九合目付近に洞窟があるらしい。小説の内容はただの創作小説だが、地名は地下世界のものとまるっきり同じだった。
「あの険しいケルド山の九合目となると、生半可な気持ちでは行けないな。特に────」
ユーインの目が、ユズリハとオルティオを捉える。
ユズリハは幼少期から病弱で、ちょっと運動するとすぐに熱を出す子どもだった。何をして遊ぶのでも、みんなについていけなくて寂しい思いをしたことが多々ある。
オルティオは、ただの運動不足だ。
「もう体は丈夫になったよ〜」
成長するにつれて熱を出す頻度は下がった。人並みに運動もできるし、体力をつけるトレーニングもしている。
「ぼくがいるんだから大丈夫に決まってる。体力も筋力も上げて山なんかダッシュで登れるよ」
ペンをくるくるっと回し、得意げに笑ってみせた。
うーん、と悩むユーインの肩をエルトが叩く。
「いいじゃねぇか。行ってみようぜ。ガキの旅、ラストってことでよ」
5人は昔から、近隣の街や林を冒険してした。
それはごっこ遊びにすぎなかったが、外の世界を夢見る気持ちは他の子どもたちより強かった。
それももう終わりに近付いている。オルティオ以外の4人は来年18歳になる。大人になる。
いつまでも夢見て冒険ごっこをする年ではない。
気付いてはいたが、言葉にして終わりにするのも名残惜しくて、敢えて口には出さなかった。
地上に繋がる通路。旅の終わりにぴったりだった。
念入りに準備してケルド山に辿り着く。
きっとこの山に登ったことがある人はほとんどいないだろう険しい山だ。だけど人が歩けるようにはなっていて、よほどふざけなければ転落の危険はない。
「よし、行くか。オルティオ頼む」
「はーい」
魔法とは違う術式を空間に描き、ひとつひとつが体に絡みつく。
身体能力をあげるもののようで、体が軽くなった。
「出発!」
拳を高く上げ、5人は歩き出した。
いくつかのトラブルを乗り越えて、9合目に辿り着いた。
身体能力上昇の呪術がかけられていても、みんな体力は限界を迎えていた。
「この辺……だよな」
キョロキョロと見回すも、今までと変わりない山の景色だ。
「とりあえずどこか休めるところはないかしら……」
エレノアが足首をくるくる回す。痛いところが多すぎて、どこが痛いのかもはやわからないくらいだ。
ふと何かに誘われる感覚を、ユズリハは感じた。声がしたわけでも、視線を感じたわけでもない。あっちに何かある、その直感だけ。
「みんな、こっち着いてきて」
ふらっとどこかへ消えそうな足取りで道なき道を進み始める彼女に、4人は顔を見合わせて首を傾げた。
本来彼女はあまり先陣を切る方ではなく、みんなの後をついてくる大人しいタイプだった。こんなふうに先を行くことは、今までにあっただろうか。
疑問はいったん飲み込み、4人は黙って着いて行く。登山ルート──と呼べるか怪しいものではあったが、一応人が通れるところではあった──から大幅に外れ、木々の合間を縫って、枝や石を踏みつけ、ひたすら歩き続ける彼女をそろそろ止めに入るかと目配せしたところで、ユズリハは足を止めた。
「………」
無言で足元を見つめる。
「何があるんだ?」
ユズリハの後ろから好奇心旺盛のエルトが顔を覗かせ、彼女と同じ方向を見る。
するとそこには、人1人が通れる大きさの丸い石板が置かれていた。ちょうどマンホールのようなサイズだ。
「何かしら?」
エレノアやオルティオも同じように顔を覗かせて、石板を興味深く見入った。
ユーインだけは、ずっとユズリハを見ていた。
「下、空洞になってるみたい。風の流れを感じる」
「どかしてみるか」
エルトが腕まくりをして石板に指を当てがう。グッと力を入れるがびくともしない。
「ユーイン、オルティオ、そっち持ってくれ」
「えぇ?ぼく力仕事は……」
「ははっ、頑張れ。ここまできたらやるしかねえだろ」
エルトは笑ってオルティオを励ます。
ずり、と僅かに動いたのを皮切りに、石板を元の場所からどかすことができた。
「こりゃあなんかあるな」
石板の下は予想通り地下に繋がる梯子がかかっていて、底は見えない。
「誰から降り────」
エレノアの言葉を無視して、黙ってユズリハは降りようとする。唖然とする3人を割って、ユーインがユズリハの腕を掴んだ。
「ユズ!」
梯子に伸ばしていた手を止め、彼女はぼんやりと虚空を見つめ、ハッとする。
4人の視線が集まってること、自分の不審な行動に動揺しているようだ。
「ご、めん……ぼーっとしてた」
あはは、と乾いた笑いを向けるが、全員の視線は変わらない。明らかに今までのユズリハとは別人のようだったからだ。
「本当にそれだけか?気分が悪いなら……」
「平気!さ、行こうよ!」
彼女の空回りする元気さに、全員は安堵より不安が上回った。
梯子を降りると、薄暗いコンクリート壁の通路に出た。
さらにそこをまっすぐ歩くと重い鉄扉があり、その先は小部屋になってきた。
「何これ….」
エレノアが心底気味悪そうに見ているのは、祭壇らしきものだった。
石で作られた小規模な祭壇だ。中心には同じ素材で作られた箱のような四角い入れ物があり、左右にはやはり同じ石で作られた剣と盾の像がある。
篝火がゆらゆらと揺れる。長年人が立ち入った気配はないのに、いつからこの火はついているんだろうか。
「もしかして、勇者の墓、とか」
オルティオは異様な光景に昂っていた。目の瞳孔が開き、キョロキョロと落ち着きがなくなっている。
「なんで勇者の墓がこんな場所にあるのよ。これじゃ誰も祀れないじゃない」
エレノアが呆れたようにそう言った後、ハッと気付いた。
「負けたからこんなところに立てられてるんじゃないかな」
ユーインは祭壇の文字を読もうとしたが、知らない言語のようで読むことができなかった。
彼はもう、勇者が負けたことについてはなんとも思っていないようだった。
それでもエレノアはバツが悪そうな表情をして、次の言葉を紡ぎ出せずにいた。
そんな彼女の様子に気付くことなく、ユーインは祭壇周りを調べる。
「ユズはなんでこの場所が分かったんだ?────ユズっ!?」
ふと振り返ると、彼女は祭壇から離れた場所で床に倒れていた。
肩で呼吸をし、脂汗をたくさんかいている。
「ちょ、ちょっとどうしたの?」
エレノアが慌てて彼女を抱き上げ、汗を拭う。体が冷たい。顔は青白くなっている。
ユズリハは喋らない。意識があるのかないのかも曖昧なままだ。
「酸欠か?この山は標高が高いし、ここはさらに空気も薄そうだ」
エルトが手のひらを握る。心なしか脈も弱い。
「俺が背負って下山する!」
「無茶言うな!意識がない人間1人背負って梯子は登れねえ」
「じゃあどうしろって言うんだっ」
エルトとユーインの口論の横で、オルティオが焦りを見せながらエレノアの手を握る。まるで迷子になった子どものように、不安そうな視線をユズリハに向けていた。
「人1人を高い場所まで運べる魔術とかないの?このままじゃ、ユズが……」
オルティオの手をそっと握り返す。エレノアのその手も小さく震えていた。
「私に、もっと力があれば、できたのかもしれないけれど……無理だわ」
どうしよう、と消えるような声で呟いたのは誰だったか。
そんなことにも頭が回らないほど全員動揺していた。
「この梯子さえなんとかなれば……せめて俺の肩を掴む力さえあれば!」
ユズリハは苦しそうな呻き声をあげている。
背中に背負えれば梯子を登れる。しかし、意識がなかったり肩を掴む力さえないと、両手で登る梯子を掴みながら背中のユズリハは支えられない。
「……いえ、待って。下山はしない方がいいかもしれない」
梯子の高さを見上げてユズリハを運ぶシミュレートをするユーイン、焦燥のあまり小部屋の角から角までひたすら歩くエルト、何か良い方法がないかと涙を拭いながら本を広げるオルティオ、全員が一斉にエレノアを見た。
「これは……高山病ではないわ」
ユズリハの手を握り、目の高さまで持ち上げる。
血管が痛々しいほど浮き上がり、まるで生き物のようにドクンドクンと蠢いていた。
耳の先端が刃物のように尖り始め、口元には小さな牙が生える。
「なんだ、こりゃあ……」
エルトがあまりの禍々しさにたじろいだ。
腕や足は、赤を通り越して紫色に変色している。
真っ白で、すぐに折れてしまいそうなほど細いユズリハの手足が、棍棒のように太く腫れ上がっていた。
「ユ、ズ……」
ユーインは茫然自失として、そっとユズリハの手を握る。火傷するかと思うほどの熱を帯び、いつか握ったあのほんのり温かい肌とは似ても似つかない。
それでも────ユズリハの手だ。
彼女の苦しみは、まだ始まったばかりだった。




