前日譚
長く共存関係にあった人間と魔族の間に亀裂が入ったのは、突然のことだった。
"二十年後、人類を滅ぼす"
そう宣言され、人間は二十年の間に地下世界を作り上げた。
最初は狭く、生活基盤を整えてから徐々に広げていった。
それでも人間の半数以上は地上に置いてくる形となった。
魔族たちは、それはそれは恐ろしい方法で人間たちを虐殺していったという。
子どもの目の前で母親の生首を蹴り飛ばす者。
幼い妹を恐怖で支配し、兄を殺させる者。
愛する女性と年老いた父の命を天秤にかけさせ、どちらを選ぶか賭けをする者。
頭蓋を潰し、はらわたを引きずり出し、目を抉り、四肢がついている死体の方が珍しかったと伝えられている。
人間は魔族に対抗する術がなかった。
二十年後、魔王に支配されるのを待つだけは嫌だと言う声も多かった。
そこで"勇者"を作り上げた。
物心がつく前から剣を教え、知識を詰め込み、マナを注ぎ込んできた。
勇者となる子どもの精神が壊れるほどのマナを注ぎ込んでいる自覚は、当時の大人なら誰しも持っていた。だが、最後の希望だった。二十年で魔王に勝てる人間を作り出すには、それほどのスピードで育て上げなければ間に合わなかった。
彼は、ヴェインと名付けられた。
「俺だったら絶対魔王に勝てるね!」
調子に乗ったエルトの肩を、エレノアが小突いた。
「馬鹿。あなたが勝てるわけないでしょうっ」
「その通りじゃ」
長老──と言っても見た目が長老のようだからそう呼んでいるだけで、実際はただの学校の校長だ──が長い眉毛の下から鋭い眼光をエルトに向けながら、深く頷いた。
「魔王どころか、5人かかってその辺の魔物にやっと勝てる程度じゃ。魔物より格上の"魔族"に勝てた人間はおらん」
ふーん、とエルトは分かっていなさそうな顔で返事をする。
「でもさっ」
チラ、と後ろの席に座る黒髪の少年を見た。
「ユウシャなら、勝てるだろ?」
勇者ヴェインの子孫、ユーインが忌々しげに顔を上げた。
長老はこほんと咳をひとつして、途端に口が重くなる。
毎年やってるこの授業も、勇者の子孫がいるこの代は特にやりづらい。
「ここからの話も大切な話じゃ。よく聞くように」
長老は彼を視界に入れないように、黒板に向き合った。
ヴェインは大人たちが思う通りに育っていった。
5歳になる頃には1人で魔物を楽々と狩れるようになり、10歳で世界を回る旅に出るようになった。
各地で力を得るための厳しい修行をした。
人間の体では耐えきれないようなマナを一身に受け、彼の心は徐々に壊れていった。
14歳になる頃から彼は各地で女を抱いた。勇者がいなければ未来はない。そんなことを耳元で囁きながら、見境なく手籠にしていった。
周りの人間も何も言えなかった。こんな人間を作り上げてしまったのは自分たちの責任だと、彼の機嫌を損ねたら全員死ぬしかないんだと、見て見ぬふりをしていた。
幼少期に植え付けた魔族への敵対心のおかげか、各地に蔓延る魔物や魔族は迷わず皆殺しにしてくれた。圧倒的な強さの弊害か人を人とも思っていないが、とりあえず女を差し出し機嫌を損ねなければ、殺されずに済んだ。
そして二十年が経った。
各地の国王や貴族などを筆頭に、魔術に長けた者や力のある者、未来を担う子どもを優先し、地下世界に移住し始めた。
残りの市民は地上に残され、魔王や魔族による虐殺を受けることになる。
市民たちは緊張していた。ヴェインが魔王と対峙してくれるのかと。唯我独尊という言葉が似合うほど、ヴェインは自分の思うがままに過ごしてきた。魔王討伐のことなど忘れているのではないかと不安になったのだ。
しかし、魔王が人の街ひとつ潰した時、ヴェインは魔王に剣を向けた。
戦争が始まったのだ。
金髪の少女、ユズリハが心配そうに彼を見る。
ユーインはふーっと息を吐いて、ユズリハの視線に気付くと、にっこり笑って見せた。
「ここから先は、厳密には地上に残った人間しか見聞きしていないことになるんじゃがの。
────勇者は負けたんじゃ」
教室が水を打ったように静まり返る。
しばらく息をするのも重く感じる空気の中、真っ先に口を開いたのはやはりエルトだった。
「なんでだよ!ヴェイン、強かったんだろ!」
机を叩き、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がる。
「強かったとも。魔王がさらに上をゆく強さだっただけのことじゃ」
「まぁ勇者が勝ってたら、ぼくたち今頃地上で暮らしてるよね」
今まで物静かだったオルティオがぼそっと呟くと、エルトは納得したような、したくないような表情でまた椅子に座った。
ぶすくれた表情のまま頬杖をついてそっぽを向いた。
ここ地下世界に住む人間たちは、みんな「勇者の話」を聞かされて育った。
魔族への恐怖心とともに、勇者の圧倒的な強さを希望という形に変えて、物語にして聞かされてきた。
10歳になった今日、初めて敗北したということを伝えられて、混乱するのも無理はない。
ユーインは子孫ということでおそらく家庭内で教えられてきたのだろう。
「地下と地上を繋ぐ通路は、戦争が始まる直前に固く閉ざされておる。だから戦争をその目で見た者も、勇者の敗北を見た者もおらんのじゃ」
「じゃあ実は勝ったのかもしれないじゃん」
「だとしたら私達が地下にいるのはおかしいわ」
先ほどのオルティオの言葉と同じだ。
地下にいるということは、地上に出られないということ。人間が地上に出られないということは、地上にいるのは魔族たちだということだ。
「地上に出るための通路はどこにあるの?」
ユズリハが尋ねると、長老がくるっと振り返った。
「人間が地下に避難したとき、地上と地下を繋ぐ通路と蓋は封印されたんじゃ。人間からも、魔族からも見えないよう固く封じられておる。
場所も後世の人間たちのために隠そうと、言い伝えられておらんのじゃよ」
「なーんだ、つまんねえの」
「エルトみたいな子どもが外に出ないようにするためね、きっと」
教室内は笑いに包まれた。たった一人を除いては。
全員が帰宅した頃、1人窓から外を眺めるユーインの目の前に、ユズリハが立った。
「はは、心配してくれてるの?大丈夫だよ」
敗北した勇者の子孫だなんて格好悪い。
そう思ってしまうのは先祖に罰当たりなんだろうか。
ユーインが自嘲気味に笑うと、ユズリハはふんわりと微笑む。
「帰ろう」
差し伸べられた彼女の手を、ユーインは少し照れながら握った。
いつもの噴水広場で3人が好き勝手遊んでいるのを見かけると、急に気まずさを感じて目を伏せた。
「ユーイン!ユズ!」
エレノアが大きな声で呼び、手をぶんぶん振ると、さすがにそれを無視はできずに2人とも手を振り返した。
「今日は何して遊ぶ?」
エレノアがここぞとばかりに魔術書を顔面に押し出すと、エルトがベンチの上から飛び降りて剣をぐいっと差し出す。
「今日は剣術の訓練、だよなっ!?」
エルト・スレイヴは10歳にして剣術に優れていて、神童ではないかと囁かれいる。剣術指南をしている街一番の強者と互角に戦えるほどの腕前を持ち、本人も上昇志向が強く鍛錬を怠らない。
エレノア・シュトリムもまた、魔術が非常に長けている。隣町から専門の魔術師が専属でつくほど、期待されているようだ。
オルティオ・インディガーは少し変わった力を持っていた。自分が念じた相手の力を弱めたり、体を軽くしたり、魔法とは違う能力を持つ。彼はその力を"呪術"と名付けた。
そしてユズリハ・リリティスは失われし治癒の術が使える。人々がまだ地上で暮らしていた頃には治癒魔法も珍しくなくありふれていたが、地下で暮らし始めてから徐々に使える人間が減り、今ではユズリハ1人となった。先祖返りのようなもので、ユズリハの両親も、そのまた両親も使える人はいない。
ユーイン・ベイクリードには特に能力がなかった。勇者の血筋とだけあって剣術は相応に長けているものの、同世代にエルトがいるせいか全く目立つこともなく人並み。彼はコンプレックスの塊だった。勇者の子孫と持ち上げられておいて、実のところ何もかも同世代に敵わない。
それでも仲間たちは変わらず遊びに付き合ってくれる。嬉しくて涙が出そうになるのを堪えながら、彼は自前の剣を掲げてエルトと笑い合った。
「久々にやろうぜ!」
剣で戦い合う男2人を、エレノアは呆れたように眺めていた。
「男っていっつもアレね」
「ちょっと。ぼくまで一括りにしないでくれる?」
オルティオが膨れっ面をして言う。
彼は地面に大きな本を広げていた。本が大好きで、いつでも本を読んでいる。
図書館の本を全て読むのが夢だと語っていたことがあった。
「暗くなってきたね。そろそろ帰らなきゃ」
ユズリハが空を見上げる。薄暗くなってきた空も、地下生活が軌道に乗り始めてから開発された人工物だ。雨も降るし雪も降る。
「ユズっ!帰ろう」
剣の特訓を終えたユーインが汗を袖で拭きながらこちらに歩いてきた。
どうやらさっきまでの悩みは消え失せたようだ。目が輝いていて生き生きとしている。
「うん。みんな、また明日ね」
ユーインの手を握り締め、ユズリハは帰路に着いた。




