第5回 それでも日本人はアメリカを憎み切らなかった
第5回 それでも日本人はアメリカを憎み切らなかった
東京大空襲。
広島。
長崎。
こうした出来事を考えると、
日本人が戦後、
アメリカを強く憎み続けても不思議ではなかった。
実際、
多くの市民が亡くなった。
家が焼かれ、
街が消え、
家族を失った人も多かった。
それでも、
戦後の日本は、
アメリカを絶対的な敵としては扱わなかった。
私はそこに、
少し不思議なものを感じる。
もちろん、
怒りや悲しみがなかったわけではない。
空襲や原爆を経験した人にとって、
その記憶が軽いはずはない。
だが同時に、
敗戦の日には、
別の感情もあったのではないかと思う。
虚脱感。
屈辱。
喪失感。
しかし同時に、
「ああ、これで終わる」
という安堵もあったのではないか。
もう空襲警報に怯えなくていい。
もう焼夷弾が降ってこない。
もう家族が徴兵されない。
もう明日死ぬかもしれない、
という毎日から解放される。
国家としては敗戦だった。
しかし、
市民の生活感覚としては、
「戦争が終わった」
という救いもあったはずだ。
ここを忘れると、
戦後日本人の感覚は分かりにくくなる。
占領軍が来る前、
日本人は当然恐れていただろう。
男は殺されるのではないか。
女性はひどい目に遭うのではないか。
財産を奪われるのではないか。
敵軍が来るというのは、
本来それほど恐ろしいことだ。
しかも相手は、
ついこの前まで都市を焼いていた国である。
恐怖がなかったはずがない。
だが実際の占領は、
少なくとも日本本土全体としては、
想像されたほどの無秩序な暴力にはならなかった。
もちろん、
占領に問題がなかったという意味ではない。
占領は占領である。
敗戦国が、
勝者の軍隊に支配される。
それが対等な関係であるはずはない。
だが、
大規模な略奪や虐殺によって、
日本社会そのものが破壊されるような形にはならなかった。
アメリカ側にも、
日本を統治不能にしない理由があった。
戦後秩序を作る必要があった。
冷戦が始まり、
日本を反共の拠点にする必要も出てきた。
天皇制を残し、
既存の行政組織を利用しながら、
秩序を維持する。
結果として、
日本人にとって占領は、
恐れていたものとは少し違うものになった。
ここが、
戦後の対米感情を複雑にしたのだと思う。
戦争中のアメリカのやり方には、
強い嫌悪を覚える。
市民を巻き込む空襲や原爆については、
今でも簡単に納得できるものではない。
しかし一方で、
占領後のアメリカは、
少なくとも日本社会を完全に破壊しようとはしなかった。
この落差がある。
さらに言えば、
日本とアメリカは、
戦前から完全な敵同士だったわけではない。
明治以降、
日本はアメリカから多くを学んだ。
技術。
教育。
産業。
文化。
映画や音楽などの大衆文化にも、
アメリカの影響は大きかった。
日露戦争後の講和でも、
アメリカが仲介役を果たしている。
つまり、
日本人にとってアメリカは、
もともと遠い敵国ではなかった。
むしろ、
近代国家として参考にしてきた相手でもあった。
だからこそ、
太平洋戦争はどこか不思議に見える。
「なぜ、あのアメリカと戦争することになったのか」
戦後、
そう感じた人もいたのではないか。
もちろん、
歴史には原因がある。
中国問題。
移民問題。
資源。
経済制裁。
石油禁輸。
軍事的緊張。
関係は少しずつ悪化していった。
だが、
それでもなお、
日本人の感覚の中には、
アメリカを完全な異物として憎み切れない土台があったように思う。
戦争中の被害は忘れられない。
しかし、
戦前からの親近感もある。
占領への恐怖もあった。
しかし、
実際の占領は想像より秩序があった。
敗戦の屈辱もあった。
しかし、
戦争が終わった安堵もあった。
これらが重なって、
戦後日本の対米感情は、
単純な憎悪にはならなかったのだと思う。
私はそこに、
日本人の忘れっぽさだけではない、
複雑な現実適応を感じる。
憎しみだけで国は生きられない。
だが、
嫌悪すべきものまで忘れていいわけでもない。
だからこそ、
戦後の日本人は、
アメリカを憎み切れなかった一方で、
あの戦争のやり方については、
今でも問い続ける必要があるのだと思う。




