第4回 焼夷弾で民家を焼く異常性
第4回 焼夷弾で民家を焼く異常性
工場や軍港を攻撃する。
それ自体は、
戦争としてまだ理解できる。
兵器を作っている。
補給を支えている。
軍事拠点になっている。
だから、
敵国がそこを狙う。
戦争というものを前提にするなら、
理屈としては分かる。
だが、
東京大空襲などを調べていると、
私はどうしても違和感を覚える。
なぜ普通の民家を焼くのだろう。
しかも、
日本の都市は当時、
木造住宅が密集していた。
つまり、
燃えることを前提に狙われている。
焼夷弾というものは、
単に爆発する兵器ではない。
火災を広げるための兵器だ。
しかも、
東京の下町のような場所は、
木と紙の家が密集している。
火が回れば、
一気に燃え広がる。
実際、
東京大空襲では、
火災旋風まで発生した。
ここまで来ると、
私は、
「これは本当に軍事目標への攻撃なのだろうか」
と思ってしまう。
しかも当時、
多くの軍人は前線へ出ていた。
中国。
東南アジア。
太平洋。
つまり、
市街地に残っていたのは、
女性、
子ども、
高齢者、
そして徴兵されていない市民だ。
もちろん、
当時の連合国側には理屈がある。
総力戦国家では、
都市そのものが戦争能力を支えている。
工場労働。
輸送。
兵站。
生産。
すべてが戦争とつながっている。
だから都市全体が目標になる。
理屈としては分かる。
だが、
それでも私は、
普通の家を焼き払うことに、
強い異常性を感じる。
しかも、
市民を攻撃する理由として、
「戦意を失わせる」
という考え方まで存在していた。
つまり、
都市を焼き、
恐怖を与え、
継戦能力を奪う。
これはかなり恐ろしい発想だ。
もちろん、
第二次世界大戦だけの話ではない。
ドイツでも、
イギリスでも、
都市爆撃は行われた。
ロンドン空襲もあれば、
ドレスデン爆撃もある。
つまり、
当時の世界全体が、
「市民を含めた総力戦」
へ向かっていた。
だから私は、
日本だけが特別悪質だった、
と言いたいわけではない。
むしろ逆だ。
第二次世界大戦そのものが、
人類全体として危険な方向へ進んでいたように見える。
戦争と民間人の境界が、
どんどん壊れていく。
工場だけではない。
兵士だけでもない。
都市そのものが標的になる。
しかも、
それが「合理的」とされる。
ここに、
総力戦の恐ろしさを感じる。
日本では、
東京大空襲や原爆について、
ある意味で淡々と語られることがある。
もちろん、
被害の大きさは教えられる。
だが、
「普通の家を焼いた」
という異常性については、
意外と深く考えないまま終わることも多い。
私は、
そこに少し違和感がある。
戦争だから仕方ない。
確かに、
そういう面もあるのだろう。
だが、
戦争であれば、
市民を焼いていいのか。
そこだけは、
どうしても簡単には割り切れないのである。




