第10回 BC級戦犯のほうがまだ分かる
第10回 BC級戦犯のほうがまだ分かる
ここまで、
A級戦犯や東京裁判について、
違和感を書いてきた。
特に、
「平和に対する罪」という概念には、
今でも抽象性を感じている。
その一方で、
BC級戦犯については、
私は比較的理解しやすい部分がある。
なぜなら、
こちらはより直接的な行為だからだ。
捕虜虐待。
民間人殺害。
略奪。
拷問。
こうした行為は、
現代人の感覚でも、
比較的「やってはいけないこと」として理解しやすい。
実際、
戦時国際法や軍法でも、
捕虜の扱いなどについては、
以前から一定のルールが存在していた。
もちろん、
戦場では理想通りにはいかない。
補給不足。
長期戦。
極限状態。
そうした中で、
捕虜虐待や違法行為が発生することはある。
だが、
少なくとも法の構造としては、
「この行為が禁止されている」
という形が比較的見えやすい。
だから私は、
BC級のほうが、
まだ「刑事裁判」として理解しやすい。
一方、
A級は違う。
こちらは、
「戦争を始めた責任」
そのものを問う。
しかも、
国家レベルの政策判断に対して、
個人へ刑事責任を負わせている。
ここが、
どうしても難しい。
例えば、
戦争というものは、
国家全体で動く。
政治家。
軍。
官僚。
経済。
世論。
すべてが絡む。
その中で、
「誰がどこまで責任を負うのか」
を完全に整理するのは、
かなり難しい。
しかも当時は、
現在ほど国際刑事法が整備されていたわけでもない。
だから私は、
A級戦犯という概念に、
どうしても政治性を感じてしまう。
もちろん、
だから責任が存在しない、
という話ではない。
巨大戦争を引き起こした以上、
国家指導者に重大な責任がある、
という考え方自体は理解できる。
だが、
それを「刑事責任」として処理するなら、
かなり慎重であるべきだったのではないか。
私はそう感じている。
さらに興味深いのは、
戦後の流れである。
東京裁判が終わり、
日本は占領下へ入る。
だがその後、
冷戦が始まる。
すると、
アメリカの対日政策も変わっていく。
日本を、
反共の拠点として立て直す必要が出てきた。
その結果、
戦前の官僚や政治家の一部が、
再び表舞台へ戻ってくる。
岸信介元首相は、
その象徴的存在だろう。
A級戦犯容疑で拘束された人物が、
後に首相になる。
この事実を見ると、
私はどうしても、
戦後処理の複雑さを感じる。
もし、
絶対的な悪として断罪されたのなら、
なぜ後に復帰できたのか。
もちろん、
法的には有罪確定していない。
だから復帰自体は可能だった。
だが、
少なくとも当時の空気として、
「戦争責任を問われた人物」
であったことは事実だ。
ここに、
戦後政治の現実が見える。
結局、
国家というものは、
理念だけでは動かない。
冷戦。
安全保障。
対ソ連戦略。
反共政策。
そうした国際政治の中で、
必要とされる人材や組織は変わっていく。
私は、
この流れを見ていると、
戦争責任と刑事責任は、
本来かなり別のものなのではないか、
と思うことがある。
戦争責任は存在する。
だが、
それをどう裁くのか。
国家責任と個人責任を、
どう分けるのか。
そこには、
単純な善悪だけでは整理できない、
非常に難しい問題がある。
だから私は今でも、
BC級は比較的理解できても、
A級については、
どこか割り切れない感覚が残るのである。




