16.地下の祠
あの怪しげな祠。関わりたくない。だけどももはや関わらないわけにはいかない。
なにせ、あの祠があったのは我が男爵領内だ。知られてしまった以上、知らぬ存ぜぬは通用しないと思っていいだろう。
私は慎重に口を開いた。
「つまり、アンドロアーズ様。昨日私がひょんなきっかけで偶然地下にて発見した祠も、そういったものなのでしょうか」
「……そうなる。妾とてあの祠の由来は知らぬ。あれは闇の精霊の隠匿の術によって隠されていたものだ。故に、イレギュラーである其方を観測していなければ妾として気づかなかったであろう。
モルメット教から隠したのか、あるいはモルメット教に改宗する以前に他の勢力から隠したのか……今のとなっては、記録にも残ってはおらぬ。それが、守るためだったのか……遠ざけるためだったのかもな。
とはいえ、人の子の信仰から離れて久しく、忘れ去られたあれは、このままでは近いうちに朽ちて消えるだろう。だが、そうと気づいたあれがどうするかは分からぬ。……放置された恨みで、最後に暴れぬとは限らぬし、それは看過できぬ。——それに、妾としても同族ではある。救えるものなら救いたい」
「猊下……」
アンドロアーズ様の表情が真摯なもので、私は胸を打たれてしまった。
私ときたら、祠は怖い不吉だとそればかりで。思えば失礼極まりないことを考えていたというのに。
きっと、この方は真摯に私たちや祠の中の精霊を心配していたのだ。
アンドロアーズ様は、きっととてもいい人なのだろう。……人ではないけれど。
「あの者が神殿に帰属すれば、神殿を介して集められた人々の信仰の力が妾を介してあの者にも流れ込むことになる。そうすれば、あの者もむざむざと朽ちることもないだろう。……おまけに、神殿側はまつろわぬ精霊を邪精霊として敵視している。平和的解決のためには、神殿に帰属してもらうのが一番良い。
……そう思い、妾は昨夜其方たちが去った後、かの者と眷属にならぬかと交渉をした。しかし、あの者の回答は『約束通りに民が迎えに来ない限りは祠からは出ない』というものであった。
……妾が言うのもおかしなことだが。闇の精霊は、よく苛烈だとか執念深いと評される。そして、実際にそういった傾向が強い者が我が同族に多いのは事実だ。かつての其方のように、闇の精霊による惨劇は実際に多い。……だが、それはある意味で非常に一途に過ぎる者が多いということでもある。彼らは時に呆れるほど頑迷で、融通が効かぬ」
アンドロアーズ様は、呆れたような、だけれどどこか悲しむような、あるいは愛おしむような複雑な表情をした。
「そう……なのですね」
私もまた思いを馳せる。
あの地下深く、隠された空間で、ただひたすら約束を守るべく待ち続けている闇の精霊。おそらく、この地がモルメット教を受け入れた時、あるいはそれよりも以前から。
モルメット教成立が1000年ほど前だ。この地の民がモルメット教に帰依したのが正確にいつ頃なのか、正確な歴史の資料は残っていない。しかし、モルメット教成立からそう遠くないうちにモルメット教を国教とした帝国の支配下に置かれたことは分かっている。それまでの信仰を隠さなければならない事態が生じたとしたら、その時か、あるいはさらに以前に別の侵略にあったからだと考えるのが妥当だろう。
つまり、あの祠があそこに隠されたのはおよそ千年前——あるいはそれよりも以前から。
そんなにも長い間、ただ約束が果たされる日を待って、待ち続けて。
あの祠のことをもはや誰も覚えていないのに。あの祠のある地の領主の娘である私ですら知らないし、精霊王ほど世界を知る存在も知らないのだから、他に知る者がいるとも思えない。
それに気づいているのか、それとも気づいていないのか。今この瞬間も、約束が履行される日を待っているのだろうか。
それに、先ほどアンドロアーズ様は『守るためだったのか遠ざけるためだったのか』と言っていた。その意味を考えて、私は衝撃を受けた。
侵略者から自分達の信仰していた精霊を貶められないために隠した、これならば分かる。だけど、遠ざけるためだったとしたら……。信仰を捨てた上で、裏切ったと恨まれないために、言葉巧みに言いくるめて遠ざけた可能性も、あるのか。
……後者だとしたら、あまりに残酷すぎる。せめて、前者であればいいと思ってしまった。
いつか迎えに行くつもりで、だけれども長い時の中で忘却されてしまったのだとしたら……それでも十分に酷い話だが、それでも当時の人たちが約束を履行するつもりだったならばまだ救いはある。だけれど最初から裏切っていたのだとしたら。
「故に、できることならば協力してほしい。……其方はこの地を統べる者の血統だ。あの者の言う『民』の条件に当てはまるだろう。無論、危険はないように妾が守ると約束しよう」
「あの……やっぱり、その精霊をかつて隠したのは私のご先祖様なのでしょうか?」
「それについては……すまぬが分からぬ。あの者もそこまで説明はせなんだ。そもそも、あそこに閉じこもっていたのでは外の動きも把握はしておらぬだろうしな。我ら闇の精霊は魂に紐づいた情報は探れても、肉体に基づく血縁の情報を追うのは得手ではない。……それは光の精霊の領域だ。しかし、千年単位ともなると、光の精霊王だとしても難しいはずだ」
どうやら、アンドロアーズ様としても何でも分かっているわけではないらしい。
先ほど人と精霊が相助関係にあると教えてもらったばかりだ。精霊は決して全知全能というわけではないのだろう。
ただ、歴史的背景から考えるとうちの先祖である可能性が極めて高い、といったところか。
うちはしがない男爵家だが、実のところ歴史だけで言うのなら結構なものである。なんせ、この王国の成立以前から男爵家としてあったのだから。
前提として、このレーニス王国はコルドニア帝国という巨大な国家が分裂した際にできた国のうちのひとつだ。地球の歴史で近いのは、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパ諸国のうちのひとつみたいな感じだろうか。このコルドニア帝国の国教がモルメット教だったので、それを引き継いだ形のレーニス王国や近隣諸国にもモルメット教が広がっているという関係性もある。
そして、このクレメール男爵家は元々地方の弱小部族の族長のような立場だったらしい。それが、コルドニア帝国の版図が広がっていった際に恭順を誓い、男爵の位を賜って領地の支配を認められたというのが成り立ちだ。その後、帝国崩壊の際には、当時反乱軍側だったレーニス王家に恭順し、それをもってレーニス王国成立後も男爵家として安泰の地位にいる……というのが当家の歴史だ。
ちなみに、これ以外に当家は歴史に特に記すべきことはない。貴族として何か功績を立てたとか、何か突出したことをしたとかもなければ、逆に何か失態を犯したとかもない。小さな領地をのんびり守りながら、特別な功績も失態も特になく、だけれど有事には情勢を見誤らずに勝ち馬に乗ることで存続し続けた家と言える。
悪く言うなら功績も碌にない実に地味な家柄であり、良く言うのなら家門を守り続けた伝統的貴族だ。
そして問題は、件の精霊がいつの時代に、一体何から隠されたかと言うことだ。
コルドニア帝国にうちが恭順を誓った時であるならば、当時族長だったうちの家が関与している可能性が高い。だが、それ以前という可能性もあるのだ。
ちなみに、コルドニア帝国に恭順前のこの地方の歴史については、正直分かっていない。いや、だって当時ですでに千年近く前だ。千年前の家門の歴史が分かるだけで上等ではないだろうか。
父は割と古語が読めるようで、うちに残された古い文献なんかも読んでいるが、帝国成立前のうちについての資料を残したご先祖様はいなかったと以前聞いたことがある。現地であるここにも残されていないくらいだから、こんな僻地の来歴についてもっと詳細に資料が残されているところがあるとも思えない。
だからこそ、それ以前からずっとこの地方を治めていたのか、それとも帝国に恭順する以前の支配者としての歴史は浅かったのかも正直よく分からないところがある。
……下手をすれば、うちが精霊を隠した部族どころか、うちのご先祖様が征服や支配をしたせいで、精霊を隠さねばならなくなった部族がいた可能性もあるのだ。
その場合、私が約束の民面をしてのこのこと赴くのもどうなんだということになる。
しかし、本当に今となっては真実は誰にも分からないことだ。家の末裔である私にも分からないし、上位存在であるアンドロアーズ様にすら分からないのだから。
でも、うちのご先祖様が精霊を隠す立場だった可能性は確かに高いのだろう。
件の闇の精霊が意地を張っているのなら、とりあえず私が出向いてみるのが確かに良さそうではある。
「……本当に、危険はない、のですね?」
私は再度念押しをした。
できることはやりたいと言う気持ちはある。だけど、自分の身を危険に晒してまで……となると、躊躇してしまう私はとことん凡人なのだろう。
いやだって、二度あることは三度あるというし。祠に関わって、由紀も、オレリーの前世もとんでもない被害を受けているのだから、これ以上酷い目に遭いたくないと思ってしまうのは仕方ないと思う。
「それは約束しよう。妾の全力で持って其方を守ることを約束する。そうだな、加えて其方が助力してくれた分はこちらもできうる限り助力しよう。
……先ほどの同調で、其方に悪意がないことも、それと同時に身の破滅を恐れていることも十分分かっている。他の精霊王が其方を敵視しているも同然の状況に焦燥感を抱いていることも。ならば、妾も其方の相談に乗るくらいはやぶさかではない。
まあ、心配せずとも、我々精霊は神殿設立時の人霊契約において直接人を害することは叶わぬ。それに、ライジークスはともかく、他の精霊王たちはモルメット教が潰えることを心配しているだけで、あの公爵令嬢にそこまで肩入れしているわけではないはずだ。其方が脅威になりえぬと知れば、無用な手出しはせぬだろう」
確かに、先ほどの契約内容に助力をしてくれるとか相談に乗ってくれるとかいうものはなかった。
同調した結果、アンドロアーズ様の私への信頼度が上がって多少なりとも助力をしてくれるというのなら願ってもない。
ここで多少のリスクを犯してでも、将来訪れるかも知れない運命に対抗する手段を増やしておいた方がいいはずだ。
「分かりました。私でできることなら、協力させていただきます」
だから私は、勇気を出して了承した。
とはいえ、外を見るとすでに太陽は西に傾いていて、今から赴くとなると夜になりそうだった。
現実的に私がそんな時刻に外出することは難しい。それに、ただでさえちょっと怖いのに、そんな時刻になるのも正直嫌だった。
幸い、アンドロアーズ様もそこは承知していたようで、明日で良いと自ら言ってくれた。
私はそれに大いに安堵しながら、一晩の猶予の間に考えをまとめてみることにした。




