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15.悪女の真実

 アンドロアーズ様は、重々しく口を開いた。


「オレリー・クラメールの魂は生まれし時より破損していた。……そして、この世界で魂に攻撃を加えることのできる存在は、闇の精霊のみ。其方に生まれつき刻まれた魂の傷は、我が同族によるものだ。其方を外から観測している間は、傷の原因の仔細までは分からなかったが、先ほどの同調で理解した。

 ……其方がオレリー・クラメールとして生まれるよりも以前、其方の前の人生において、其方は闇の精霊を祀る部族の出であったようだ。だが、発祥したばかりの神殿が、其方の属する部族に、恭順と改宗を迫った。そして、其方たちの部族は神殿に従うことを選んだ。言い換えれば、それまで信仰していた闇の精霊を切り捨てることに決めたことになる。

 ——だが、我が同族は苛烈な者が多い。信ずる者は苛烈に守るが、己のものに手を出す者や、裏切るものには苛烈に報いる。裏切りに怒り狂った闇の精霊は暴れ、己の信徒であった者たちを攻撃した。そうして、二度と輪廻の輪に入れぬほど徹底的に破壊され消滅した魂もあっただろう。其方の魂は辛うじてそれを免れた。だが、代わりに深い傷を負った。

 ……魂に深い傷を負った者は、心に何らかの欠落をともなうことになる。其方の場合、それは飢餓感のようなものとして発露していたようだ。魂から生じる飢えを埋めるため、常に多くの賞賛や承認を求めていたはずだ。……覚えはないか?」


 覚えはないかも何も——ありすぎる。


 自分が一番でなければ気が済まなかった。井の中の蛙とは言うが、この狭い村の中では一番であることは比較的簡単ではあったが。それでも、年上の子よりも出来ないことがあるのが悔しくてたまらなかった。

 とても辛かった記憶もある。川辺で水切りの遊びを年上の子に教えてもらったことがあった。だけど、私はそれがてんで下手くそだったのだ。逆に、メラニーはコツを掴んだらしくて結構うまいこと石を弾ませていた。ただ、それだけの話。だけど、あの瞬間の、脳みそが沸るほどの怒りと焦燥感と絶望感を覚えている。

 年上の子に負けても悔しかったけれど、そのうち追い越すと思うことができた。でも、メラニーは同い年で同じタイミングで水切りを習ったのだ。なのに、メラニーの方が上手だった。

 普通の人間だったら、たったひとつ友達に負けたくらいのこと、多少悔しくてもそれだけで終わるだろう。たかが水切りである。人生に関わるようなことでも何でもない。

 でも、あの時の私は、自分自身の全てがそれで否定されたような気がした。

 結局何をしたかといえば、私は癇癪を起こして家に帰った。そして自室で号泣し、その後密かに猛特訓をしたのだ。悔しさに泣き喚きながら、水切りをひたすら続けた。必死すぎて爪が割れ、手が傷ついてもずっと。

 それで、メラニーよりも上手くなって、ようやく私は落ち着いた。

 

 不安定さ。何もかも自分が一番じゃなきゃ許せなくて、そうでないと自分自身に何ひとつ価値なんてないかのような絶望感すら覚えた。

 何となしに、由紀の心が混じってから、(オレリー)のこういうところが、悪女となった根源ではないかという気もしていた。 

 確かに、子供の心というのは些細なことで胸がいっぱいになるものだ。狭い世界で、大人から見たらささやかにしか思えないことで絶望したりする。だけれど、それにしたって(オレリー)はあまりにも苛烈すぎだったのではないかとは思っていた。

 だけれど、その原因がよく分からなかった。客観的に見ても、大人や周囲に特段の問題があってそんな歪みを抱えたとも思えなかった。甘やかされすぎて自尊心が肥大しているのかともチラリと思ったが、両親は確かに愛情深い人だが、悪いことをしたらきちんと叱る人たちだ。歪みを生みそうなほどの過保護や無責任な猫可愛がりをしていたとも思えない。

 ならば、(オレリー)の生まれつきの特性なのだろうかとぼんやり思っていた。

 そういう人は一定数いるのかもしれなかった。原因が生育環境か生まれつきかは分からないが、過剰な自尊心や虚栄心に振り回される人は世の中に一定数いるのだと認識していたから。

 例えば、(由紀)の世界で発展していたSNSで時折目にする炎上案件では、何で注目されたいがあまりそんな馬鹿なことをするのだろうと首を捻ってしまうようなものも少なくはなかった。

 (由紀)(オレリー)を分析しているときに連想するのは、そんな人々だった。そして、オレリーはそんな性格だったのだろうとそう思うほかなかったのだ。


 幸い、由紀の心が混じってからは、そういった衝動もおさまっていた。それは、由紀の大人としての感覚や、あるいは割とおとなしかった性格の影響を受けてのものだとばかり思っていたのだが。

 

 魂そのものに傷が——。


 自分が賞賛されないと気づいた時のあのどうしようもない焦燥感や、強すぎる絶望感の全てが腑に落ちてしまって、私は衝撃を受けていた。

 そうだ。到底耐えられるものではなかった。

 ——世界の狭い子供だったから。オレリーの気性が激しすぎたから。

 そう説明をつけて、何とか納得していた。だけれど、やっぱりおかしかったのだ。

 そして、きっとその感覚に振り回されて、原作のオレリーは、破滅への道を走り抜けていったのだろう。

 誰にも理解されることもないまま。ただ、稀代の悪女として人々に憎まれ、読者からもひたすら嫌われる悪役(ヴィラン)として、それでも大切だった家族たちをもきっと不幸に追いやって、非業の死を迎えた。

 その原因が、前世にあるだなんて、魂に刻まれた傷が原因だなんて、誰ひとり勘案してくれなかっただろう。もちろん、理由があるからといって悪いことをしていいわけじゃない。被害者がいる以上、加害者側の事情なんて、言い訳に過ぎないのは分かっている。

 だけれど、それでも——。


 私は首を振ると、この件に対する感情を箱の中にしまってしまう。

 感情の整理をするのは後でいい。事象に対する自分の感情の整理を後回しにする技術は、(由紀)が大人になる過程で身につけたものだ。

 酷い目にあっても、ショックを受けても、大人ならば切り替えていかなければならないことがある。

 どんなに辛いことや悲しいことがあっても、人前で感情を露わにしすぎると、感情的で非理論的と見做されるリスクがある。泣きたいのならば、後で思いっきり泣けばいい。そう自分に許すことは、感情を整理するために有用な思考プロセスだ。


 私は深呼吸をしてから、遅まきながらアンドロアーズ様の問いの答えを口にする。


「アンドロアーズ様の仰ることは正しいと思います。……それならば、いくつものことが腑に落ちますから」


 落ち着き払って、私はそう答える。


「だろうな。……其方は、神殿の被害者だ。当時の神殿の落ち度によって生まれた歪みが其方のかつての有り様であるのならば、その結果によって神殿勢力が衰えるのもまた因果であるやもしれぬ。少なくとも妾には其方を一方的に糾弾する資格があるとは思えぬ」

「発言を宜しいでしょうか」


 懺悔をするかのようなアンドロアーズ様の言葉に口を開いたのは、それまでずっと黙っていたユルファシア様だ。


「何だ。ユルファシア」

「私の方からも事情の詳細をお話ししたく。オレリーさん。アンドロアーズ様はこう仰っていますが、闇の精霊による暴走を許したのは、アンドロアーズ様が神殿に加入するよりも以前のことです。アンドロアーズ様が精霊王となられてからは、そのようなことは起きてはいないのですよ。少なくとも、反発する闇の精霊がいても、改宗した人々は守り通していました。そのことについては、誤解していただきたくないのです」


 優しげではあるが、きっぱりとユルファシア様はそう言った。

 

「……精霊王様がご降臨されるより以前から神殿があったのですか?」


 聖典によると。天から遣わされた精霊王が降臨し、それによってモルメット教が興ったとされているのだが。

 元々、異世界の知識があるせいで信仰深くなるのが難しかった土壌の上に、この短期間で色々聞かせられて正直そのお題目をそのまま信じる気にはなれなくなっている。


「……これは本来ならば神殿関係者以外には秘匿されている情報だ。人霊契約によって他言できぬ其方だからこそ話そう。

 そもそも、我ら精霊王と言われている者たちは、元々は一介の精霊に過ぎぬ。ここにいる、使徒精霊と呼ばれるユルファシアと、妾の間に本質的な差異はない。妾とユルファシアは、元々は僻地の集落を守護する同格の精霊であったしな。……精霊王だとかいう格付けは、つまるところモルメット教を広めるためのおためごかしに過ぎぬよ。

 これは神殿が故意に伏している事実だが、人と我ら精霊は互助関係にある。精霊の力によって、其方ら人の子がスキルや加護を得るのは事実ではあるが……その対価として、我らは信仰の力を受け取る。我らの力は信仰によって増し、それは我らの命を長らえることにもなる。そして、信仰という心を持つのは数多いる生命の中で人のみ。自然によって生み出された我ら精霊と、人の子は古来よりそうやって互いを成り立たせてきた」


 アンドロアーズ様の語る話は、由紀の世界の原作にも、この世界の聖典にも記されていなかった事実だ。

 聖典に記されていたのは、精霊が人にスキルや加護を与える力を持っていること。そして、古来よりその力によって人を惑わしていたということ。さらに、そんな人の世を憂いて天が精霊王を遣わせたのだとする教義だ。

 その教義を全て信じ込んでいたわけではないとはいえ、神殿の欺瞞に思わず半眼になってしまう。


「モルメット教の画期的なところは、先ほど妾と其方との間でも行われたような人霊契約において、互いの利害をきっちりと調整し、互いを縛ったところだ。そして、6属性の精霊を全て揃えることに成功した。この試みに成功したのは稀有なことであると言える。全ての属性を揃えることは有史以来、多くの者たちが挑戦したが、ほとんどの場合はどこかで破綻した。

 ——おおよそ1000年の昔、神殿は人霊契約をもって精霊と取引を交わし、代表の者を精霊王として祀り、属性を揃えた。その際に、闇の精霊以外の5属性は割とすぐに揃ったようだが、闇の精霊王を決めることには彼らは難儀したようだ。結局妾が神殿の勧誘に応じ、今の立場に就いたが、それ以前にも神殿は勢力を拡大するために布教活動を行っていた。妾の前にも闇の精霊への勧誘はあったようだが……彼らの多くは偏屈な性格をしている。交渉は決裂し、そうすると神殿はそれらの精霊を『邪精霊』として貶めた。

 こうなってしまうと、元々それらの精霊を祀っていた民は、あくまで自らの信仰を守るために神殿に抵抗をするか、あるいは保身のために改宗をするしかない。後者の場合、裏切られた精霊が怒り狂い、かつて己が庇護していた民を攻撃するケースも少なくはなかった。無論、こういった事例は闇の精霊以外でも起きたが、闇の精霊関係で最も起きやすかったようだ。……そして、その時の生のみならず、魂自体の消滅や、其方のように魂に深い傷をつけられるといったような被害が生じるのも闇の精霊が関わる事例のみだ。

 妾が加入してから、できるだけ精霊と民の不幸な衝突が起きぬように努力はしたが、それでもそういったことが皆無だったとは言わぬよ。ただ、妾は同族による魂への攻撃は防いだ。……だが、闇の精霊の協力が得られる以前は其方のように、魂にまで攻撃を加えられたケースはあったということだ」


 アンドロアーズ様の言葉は、衝撃の事実だった。

 それが事実だとしたら、聖典は嘘ばかりということになる。

 しかし、私にはそれと同じくらい気になることがあった。


「あの……つかぬことを尋ねますが、神殿が生まれる以前に祀られていた精霊たちはやはり祠のようなもので祀られていたのでしょうか……?」

「そうだな。その認識で正しい」


 なるほど、完全に理解した。つまりは、1000年前には祠破壊フェスティバルが開催されていたということだ。神殿の教えこそが唯一絶対に正しいぞーとばかりに他の精霊を祀っている部族とかに改宗を迫りまくり、恭順すれば一緒にそれまで祀っていた祠を破壊、反発すれば制圧しやっぱり祠を破壊。大体はそんな感じだろう。

 そして、(オレリー)の前世はその祠破壊フェスティバルに巻き込まれたということになる。

 つまり、(由紀)は祠が破壊された結果魂が破損してこんなことになっているけれど、(オレリー)も祠が破壊された結果魂が破損してこんなことになっているということになる。どちらの私も、祠に悪縁がありすぎる。

 だから祠は破壊するなとあれほど。祠を破壊したりしたらとんでもない祟りがあるんだ。一時期無駄にホラー小説を読み漁っていた私が言うんだから間違いないと言うのに。

 やっぱり祠なんかに関わると碌なことがない。今後は祠なんかに関わらずに健全に真っ当に生きていきたい。


 ……そうは言っても。由紀とオレリーの意識が混じり合った、今の新生オレリーとも言うべき今の私の人生にも、早くも祠の影がチラついている。

 言うまでもなく、昨日ピエールを救出しようとして発見した地下の祠である。

 正直なところ、私がここまで祠に悪縁があることを自覚した今は、ますますあんな祠に関わりたくはない。だけれど、そういうわけにはいきそうにない。

 そもそも、私はアンドロアーズ様が現れた時のやり取りを忘れたわけではない。


『本当に何の祠だったのかな……』

『丁度良い。そのことについて、其方と話そうと思っていた』


 私とアンドロアーズ様との間で交わされたのはこんな会話だ。つまりは、アンドロアーズ様はあの祠の話をしに来たはずなのである。

 色々、互いにイレギュラーがあったせいで色んな話に発展していっているが、あの祠の話はスルーすることはおそらくできない。

 関わりたくないと思ってしまう一方で、知らずにいるのもあまり精神的によろしくはない一面もある。知らないからこそ余計に怖いということだってあるのだから。

 私は覚悟を決めてあの祠の話をすることにした。

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