14.人霊契約
アンドロアーズ様の持ち掛けてきた取引は、予想外のものだった。
情報は喉から手が出るほどに欲しい。だからと言って、自分の持ち札を全て曝け出すような賭けに出て大丈夫だろうか。
いや、先ほど賭けに出ることに決めたのだ。どっちつかずの中途半端が一番よくない。
そうは思っても、何となしに躊躇してしまった私を見咎めてか、アンドロアーズ様は再び口を開いた。
「其方が望むのであれば、人霊契約を結ぶことも厭わない」
人霊契約という単語に、私は目を見開いた。
人霊契約は、文字通り人と精霊の契約だ。これによって結ばれた契約は、互いに破れなくなる。御伽話なんかでは、これを破ったが故に悲惨な目に遭うと言ったような話がよくあったりする。互いに同意しなければ破棄もできないし、軽々に結ぶには恐ろしいものだが、今の状況では違いを信頼するためにはベストなものかもしれない。
「人霊契約を結ぶとして、内容はどのようなものになるのでしょう?」
「そうだな。妾の要望としては精霊としての権能で、其方の魂の記憶を直接引き出したいと思っている。其方に対しては……其方が現状を理解するために必要な情報は全て開示すると言ったところでどうだろうか」
ということは、おそらくこちらは情報全出しで、あちらは私が現状を理解するための情報にとどまるのか。不公平なようだが、立場が違い過ぎるので致し方ない部分もあるのかもしれない。
とはいえ、多少の交渉はしておきたい。
「……恐れながら、こちらは情報を全て渡して、アンドロアーズ様は私の現状に対する情報のみ……というのはいささか不平等に思えます。私が考えるに、私が知る物語の知識は、あるいはこちらの世界からすれば予知に近いものであるやもしれませんし、異世界の知識の中には、こちらの世界にはない技術などもあります。その情報の有用性は、猊下ほどのお方なら推察できるかと。
とはいえ、だからと言って世界を統べる猊下の知り得ることを全て教えていただくというのは分不相応でもありましょう。ですので……味方になってくれとは言いません。私の不利になるようなことをしないで頂ける、といったような内容を追加していただくことは可能でしょうか」
私は慎重に言葉を選びながら言い募る。つまるところ、私が一番懸念しているのが、唯一の私の優位性であるところの原作知識をヒロインにたれ込まれて封殺されることだ。
原作描写を信じると、ヒロインを害そうとしない限り、私を積極的に攻撃する意図を持った存在はいないと思う。とはいえ、世の中何がどうなるのか分からないとどうしても思ってしまう。
物語の中に転生する話では、大体原作通りになると胡座をかいていると思わぬ落とし穴に引っかかるんだ。オタクは詳しいんだ。
「……ふむ。妾は其方が悪事を犯さぬ限り、其方を貶めようとは思ってはおらぬが」
しかし、アンドロアーズ様は即座に同意せず、慎重にそう言う。
「では前提条件をつけていただいても大丈夫です。私が神殿やアンドロアーズ様に対して悪意を持った行動をしない限り、猊下もまた私を不利においこむ行動を行わない、また取引で得た情報を第三者に開示する場合は私の許可を必要とする……と言ったような条件ではいかがでしょうか」
我ながら上位存在に対して図々しいかもしれないとは思う。しかし、ここをちゃんと交渉して詰めないとまずい気がしていた。
「……第三者への開示についてだが、ここにいるユルファシアについては、妾の側近であるがゆえ、あらかじめ開示範囲に指定しておきたい」
アンドロアーズ様がそう言うと、彼女の傍に小さな人影が現れる。
それは、手の平に乗りそうなほどに小さい人の姿をしていて、茶色の髪と黄色の瞳を持っている。小さいせいもあるだろうが、とても可愛らしい雰囲気だった。
「あ……えっと、こちらの方は、闇の精霊様、でしょうか」
このように小さな姿で現れる存在には覚えがある。
原作小説でも、精霊王はアンドロアーズ様のように等身大の姿で現れるが、彼らの眷属である精霊たちはとても小さな姿だと描写されていた。
こちらの世界の聖典の中では、眷属たる精霊も精霊王たちの眷属として人々に力を貸してくれる尊い存在だと記されている。しかし、原作の描写ではマスコットキャラのような可愛らしさが強調されていたように思う。実際、可愛らしい。
「いや、この者は土の精霊だ。だが、仔細あって妾の下にある」
「ご紹介賜った、土の精霊のユルファシアですわ。よろしくお願いしますね」
アンドロアーズ様の言葉に、ユルファシア様が優しげな声で自己紹介をする。
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします。……アンドロアーズ様がユルファシア様を信頼なさっているのでしたら、私としては否やはありません。こちらの事情で色々と煩わせているのですから」
そうして、ユルファシア様が見守る中、私は猊下と人霊契約の条件を詰めた。適当な契約をしたらとんでもないことになるからだ。そうして、私たちは大体互いに敵対しないというような条件で合意した。
契約は、空中に黄金の文字で記された。私たちはそれぞれに、特別な魔力で作ったというペンでサインをした。
そうすると、黄金の文字は白く光りだし、宙に溶けて消えていく。しかし、きっちりと契約が結ばれたのは実感としてあった。うまくは言えないが、自分の行動にある種の制約が生まれた感覚、というものがあるのだ。
それに私は安堵した。上位存在相手に交渉をするだなんて不敬と捉えられる可能性もあったが、それでも唯々諾々と従わなくてよかった。少なくとも、闇の精霊王と敵対しないで済む確約を結べたのは大きい。もちろん、私がこの契約を破ればそれも反故になるが、そんなつもりは元よりないので安心していいはずだ。
「それでは、其方の記憶を読み取らせてもらおう。……その方が、実情に基づいた説明をできるはずだ」
「……はい、よろしくお願いします」
心の中をそのまま読まれるというのは恐ろしくもあるが、複雑な事情を全て説明するのも難しい。それに、これと引き換えに有用な情報が得られるのならば安いものだ。
私の緊張を知ってか知らずか、アンドロアーズ様は、私の額の上あたりに手をかざす。
すると一瞬、走馬灯のようにいろんな記憶が蘇ったような気がするが、あまりにも高速すぎて、どんな記憶を想起しているのかよく分からないほどだった。長いような、一瞬だったようなそんな刹那の後、私は解放された。
「なるほど……其方の証言に偽りはなかったようだ。其方が以前の世界で読んだ物語も確かにこの世界を予知した如きものだ。……まず、其方が一番知りたいであろう情報を開示しよう。この世界は、其方の言うところの『2周目』の世界に当たる。……確かに、我ら精霊王は、この世界を一度巻き戻している」
しばらく考え込んだような様子の後、アンドロアーズ様はそう言った。
「2周目……」
呆然と呟いてから、私はすぐに最悪だと思った。
つまり、ヒロインには『オレリー・クラメール』に追い詰められ、破滅した『1周目』の記憶があるのが確定した。
「しかし、其方が勘違いしていることがある。其方の記憶を読み、先ほどの其方の懸命の交渉の意味も理解した。まず事実とは異なる……と言うよりも、事実の中から都合の良いように伝えられている事象がある。
まず、我々が時を巻き戻した理由だが……。其方が『ヒロイン』と呼ぶカトリーヌ・ドレンヴァルドを救うために時を巻き戻らせたと言うのは、一部事実でもあるが、本質ではない。……ライジークスめ、己の都合の良いように説明したな」
最後の言葉は、呆れたようにアンドロアーズ様は仰った。
彼女の言うライジークスというのは、光の精霊王だ。ヒロインの決め手である破邪スキルは光属性、それを司る光の精霊王は各精霊王の中でも最も話に絡んできた存在だ。
言うならばヒロイン逆ハー面子のひとりでもあり、人外ながら他の男キャラに嫉妬するようなそぶりを見せていた。一貫してヒロインの味方だったので、1周目でヒロインを処刑したり2周目の本編でも失点が目立ったりした王太子よりも光の精霊王エンドを願った読者も多かったようだ。
だが、そんな彼の言っていたことが偽りだったと言うのは聞き捨てならない。少なくとも、私はその前提で精霊王たちは私と敵対しかねないと警戒していたのだから。
「私が小説で読んだ内容が事実でなかったのなら、真実はどういうことなのでしょうか?」
「当然の疑問だな。我々精霊王が時を巻き戻すことに合意したのは、カトリーヌ・ドレンヴァルドの死後に起きたモルメット教の弱体化を防ぐためだ。
カトリーヌを処刑したことで、ドレンヴァルド公爵家が内乱を起こし、それは沈静化されたもののレーニス王国は著しく弱体化した。その後も様々な要因があったのだが、結果的にレーニス王国は弱まった隙を狙われ、他国に攻め込まれ、吸収された。それが契機となり、モルメット教圏に対する大規模な侵略が起こり、神殿勢力は失墜し、我々の力も削がれた。
……我々が時を戻す際に、カトリーヌを起点としたのは、歴史の流れの特異点が彼女だと判断したからであって、それを彼女を救うために行なったと言うのはさすがに恩義せがましく感じる。確かに、カトリーヌが冤罪で処刑されなければ防げた事態は多い。故に嘘とは言えぬ。だが、妾は己の立場のために行なったことをさも相手のためのように言って恩を売るような真似は好かぬ」
「ええ……いやそれは……確かに仰る通りかと……」
私の疑問に答えてくれたアンドロアーズ様に、私はドン引きした声を漏らした。
いやだって、原作でカトリーヌが光の精霊王に感謝の言葉を述べるシーンもあったのだ。それに対し『気にするな。俺は、心清らかなお前があのような最期を迎えるべきではないと考えただけだ』みたいなことを言っていたはずだ。
事実を知ってみると、どんな面でそんなことを言っていたのだと思っても仕方ないだろう。
「……一応あれのフォローしておくが、必要以上に未来や神殿の情報を渡さぬための方策でもあっただろう。気に入った者に良い顔をしたがる性格ではないとは言わぬが」
やっぱり良い顔をしたかったんじゃないか。
私の中で光の精霊王の評価が爆下がりした。人間の男子たちに混じってヒロイン争奪戦に参加していたあたり、上位存在感が薄くて変に人間臭いとは思っていたけれども。
とはいえ、光の精霊王の人格を論じても仕方ない。あまり突っ込んでいくと、さすがに上位存在に対する不敬が過ぎることにもなりそうだ。
私はこほんと咳払いをすると、話を元に戻した。
「……つまり、精霊王の方々が時を巻き戻したのは、カトリーヌ・ドレンヴァルド個人を救うためではなく、神殿勢力の失墜を防ぐためだったのですね」
「そうだ。……確かに、カトリーヌ・ドレンヴァルドの身に起きたことは理不尽ではあった。しかし、歴史を紐解けば理不尽な運命に翻弄され命まで失った者など、枚挙にいとまがない。政争に敗れ無惨な最後を遂げる存在も、物心もつかぬ赤子のうちに途絶える命もある。そして、時を操るのは我らとしてもそうそう使えはせぬ秘技。……冷たいと思うだろうが、我々は通常は個のためにそこまでの権限を使うことはない。神殿の権威の失墜にて困るのは我らの都合。つまるところ、我々の自己都合にすぎぬ」
アンドロアーズ様はそう言うが、私は冷たいとは思わなかった。全ての命を救済できないのなんて仕方ないだろう。少なくとも精霊王は全知全能の神ではなかったはずだ。
それでも正直な言葉を紡いでくれるアンドロアーズ様は真面目な性格なのだろう。ヒロインに対して、彼女を助けるためにこんなことをしたのだとおためごかしを口にする光の精霊王よりは、よほど好感が持てる。
そして、彼女の言う通りだとすれば、基本的に精霊王の根源的な目的は神殿勢力の衰退を防ぐためであり、ヒロインの救済ではないということになる。原作の描写を見る限りだと、光の精霊王はかなりヒロインに肩入れしている風ではあった。しかし、確かに他の精霊王に関しては、登場自体が1、2回程度でヒロインの応援はしているようだったが、光の精霊王ほど肩入れはしていなかったかもしれない。
今から思えば、ヒロインがまた破滅してしまったら似たような歴史の流れになると懸念していたからほどほどに手を貸していた……というのならあり得そうだ。
私の立場からしたら、感情的にヒロインに肩入れしまくっていて、精霊王に恨まれまくっているよりはありがたい。だが、一方で私の行動が発端となってとんでもないことになっていたようだから、やっぱり精霊王たちの好感度は最低と思っていた方が良いだろう。
「私……小早川由紀の元の世界の——おそらくは神様と呼ぶべき方から伝言を預かっていたにも関わらず、今日に至るまで私に接触しようとしなかったのは、猊下にも1周目の私……オレリー・クラメールの所業をご存知であり、警戒されていたからでしょうか」
由紀の記憶が混じったとはいえ、私がオレリーであることもまた間違いがない。
物語として客観的にオレリーという存在を見た場合、その有り様は邪悪と言わざるを得ないものだったのは承知している。
私にだって事情があるんだと、世間的に大外れ扱いされるスキルを得てしまった悲劇や、ある意味での間の悪さが手伝ったということで自己弁護したくもなるが、言い訳としてはやっぱり弱い。
少なくとも私は両親から愛されている。スキルの件で両親から虐待されたとか、筆舌に尽くし難いくらい酷い目にあったとか、それくらいの悲劇があればまだ情状酌量の余地もあったかもしれないけど……。人一倍矜持の高かった私にとっては特に耐え難かったのだと言っても、流石に言い訳がすぎる。
忌み嫌われるスキルを得たと言っても、それを隠せばただスキルがないだけの人間だ。貴族の中ではスキルなしは少数派とはいえ、存在しないわけではない。それらの人々は確かに軽んじられることもあり、嫌な思いをすることはあったかもしれないが、大半が真っ当に生きている。
言うならば、たかがそれだけのことであれだけの暴走をし、最悪の所業を重ねたということで、私の根本的な人格に擬意を差し込まれても仕方がないと言える。
由紀の意識が混じったとはいえ、私の半分がオレリーであることもまた事実なのだ。
これまで様子見をされていたのだとしても仕方がないし、逆によく信用して人霊契約まで結んで色々話してくれたものだと思う。
「誤魔化しても仕方があるまいな。それは確かに、その通りだ。……時を巻き戻してから、其方の有り様は観察していた。其方の元の世界の……其方の言う『神』からの頼みでもあったしな。
……これは、人霊契約の内容上、其方に説明せねばならぬ事柄でもあるが。前回の記憶があるのは、時の巻き戻りを画策した我ら精霊王と、その中心に据えたカトリーヌ・ドレンヴァルドのみだ。そして、各精霊王は大なり小なり其方に対する隔意があるのは事実だ。その点では我とて例外ではなかった。今の其方の有り様を観察するまで、信用性に対して疑念を抱いていたのは事実だ。
しかし、それは何も其方だけが全て悪いわけではない。……我々神殿側の自業自得とも言える。其方は、神殿の雑な布教活動の被害者でもある」
そう言うと、アンドロアーズ様は、自嘲するように顔を歪めた。
何か、とんでもないことを聞かされる予感がして、私は続きを促す相槌も打てずに、ただただ固唾を飲んでいた。今から聞かされることは、何か私の根源に迫ることなのだと、私の直感が告げていた。




