第25話「領主からの最後通告」
冬を前にした冷たい風が、村の広場を吹き抜けていた。干し草の香りとともに、どこか張り詰めた空気が漂っている。澪は刷り上がったばかりの冊子を抱え、配り終えたところだった。村人たちの表情は明るい。薬草や保存食、石けんの作り方を知ることで、少しずつ「生きる希望」が芽生えてきたのだ。
しかしその日、その希望を踏みにじるような影がやって来た。
蹄の音が乾いた道に響き、数騎の馬にまたがった兵士が村へ入ってきた。鎖帷子に鉄の兜をかぶり、胸には領主の紋章。馬上の男は鼻を鳴らしながら広場に進み出ると、わざと高らかに声を張り上げた。
「この村の者ども! 領主様よりお達しだ!」
村人たちが顔をこわばらせ、広場に集まってくる。子どもが澪の袖を握り、怯えたように小さく身を寄せた。
「今回の税はさらに倍に増やす。銀貨で払えぬなら家畑すべて差し押さえる。これは領主様の決定だ」
ざわめきが広がる。誰もが言葉を失い、ただ青ざめた顔で互いを見合った。この前の取り立てでさえ、多くの家が食糧を削り、やっとの思いで凌いだのだ。さらに倍など到底払えるはずがない。
沈黙を切り裂いたのは澪だった。彼女は小さく息を吸い込み、前に出て兵士を見上げた。
「待ってください。これ以上の税では、村は生きていけません。どうか――」
「黙れ!」兵士は言葉を遮り、馬の鞭を地面に打ちつけた。砂埃が舞い、村人たちは後ずさる。
「領主様の決定に口を挟むなど百年早い! 嫌なら村ごと焼き払われるだけだ。……だが心配するな。領主様はお優しい。次に来るときはご自ら軍を率いてやって来られるだろう!」
嘲笑とともに、兵士たちは馬首を返し、土煙を残して去っていった。
広場には、重たい沈黙が落ちた。子どもが泣き出し、女たちが抱きしめて宥める。老人が頭を抱え、若者が悔しげに拳を握りしめる。
「どうすればいい……」
「軍が来たら、ひとたまりもない……」
不安と絶望が一気に広がっていく。その気配を肌で感じながら、澪は胸の奥に燃えるものを抱えていた。
「……だからこそ、準備を急がなきゃ」
静かに、しかし確かな声で言った。村人たちの視線が彼女に向く。
「病気に負けない体を作ること。食べ物を備えること。自分を守る術を覚えること。それさえできれば、ただ怯えるだけじゃなくなる」
その言葉に応じるように、カインが一歩前へ出た。腕を組み、冷静な目で村人たちを見渡す。
「兵が来るのは時間の問題だ。ならば、せめて立ち向かう覚悟を持つんだ。俺が型を教える。守るための体を鍛えろ」
アルトも頷き、掌に小さな光の玉を灯した。
「魔法も使える。剣を振るえなくても、幻惑や合図なら子どもでも可能だ。……戦いを避けられぬのなら、せめて工夫で対抗しよう」
エマは肩に木槌を担ぎながら言った。
「柵をもっと強化しよう。盾も数を揃える。領主の軍が本当に来るなら、女も子どもも立って守れる形を作らなきゃ」
村人たちはまだ不安に揺れていたが、澪の言葉、仲間たちの声に少しずつ目の色が変わっていった。怯えだけではなく、わずかながら「抗う」気持ちが芽生え始めたのだ。
澪は手に残っていた刷り上げた紙を見下ろした。そこには薬草の絵や保存食の方法が整然と並んでいる。
――知識は人を支える。
――体は人を守る。
それなら、自分にできることはまだある。
「……次の冊子は、“体を守る知恵”を書きましょう」
小さな声だったが、広場にいた全員に届いた。
その瞬間、どこかでかすかな希望の火がともった。
領主の軍が迫る恐怖の中でさえ、確かに灯った小さな炎だった。




