決意
子門 八百音の死体がそこにあった。
原型からは酷く乖離しており、顔の半分は潰れていて体は醜く変形している。
周囲の乗客も直視できないほど痛々しいものであった。
「は…!?どうなってんだよ!?」
まさしく受け入れられないような状況に俺は気が動転しそうになった。
線路から漂う鉛のような生臭い血液の香り、騒然とするホーム内は悲鳴や会話で埋め尽くされており、浮世離れした世界観だった。正気か否かを確かめるように自分の身体を抱きとめる。
(え〜死体やばくない?)
(なんかバランス崩して落ちちゃったらしいよ?)
(なにそれこっわ!)
俺は耳打ちで話してる乗客を睨みつけた、すると居心地が悪そうに顔を背けた。
不慮の事故で姉がこんなにも凄惨な姿で死んでしまった。
さっきまで普通に話していたのに、笑っていたのに。思考と感情がぐちゃぐちゃになり、誘われたかのように一歩踏み出した。
「姉貴…!!おい!姉貴…!!」
「ちょっと、君、危ないから待ちなさい」
「俺の!俺の姉なんです!!」
ただただ必死だった。
「彼女の弟さんか…話は向こうで聞くから今は…」
「あ、ちょっと!」
俺は駅員を振りほどいて、咄嗟に駆け込もうとした。
だが、直ぐに警備員に止められ、諸々の事情を警察署で話すことになった。
事故前の様子や普段の素行など、彼女の生きてきた軌跡を辿るように。ただ、俺は口を開くことができなかった。上手く声が出せなかったのだと思う。見兼ねた警察官が自宅へ帰るように促した、俺は沈黙を続けたまま警察署を後にした。
初めて人の死を体感した。しかも、他の誰でもない家族の死だった。
恐ろしく冷たくて、苦しかった。
血の繋がりはないといえど家族であることは間違いなかった。
もう、姉貴の声を聞くことも、姉貴の手料理を食べることも出来ないのか。
もうこの世界に八百音はいない。
途端に目の前が真っ暗になった気がした。
「うわああああああ!!!!!」
自宅への道中、俺は泣き崩れた。声が潰れるほど慟哭し、その場に這いつくばった。
血まみれになるほど地面を叩き、その間、痛みすら感じなかった。
事情を察した近隣の人が俺に声をかけてきたが、その声すら届かないほど俺は全てに絶望していた。
俺があの時一緒に帰っていればこんなことにはならなかったのだろうか。
俺が姉貴を止められたなら…。
姉貴を救えたなら。
「こんな所で何しているの?」
「…!?」
聞き覚えのない声が耳を突き抜け、誰かが俺の目の前に立っていた。
下から徐々に視線を上げていくと、薄らと桃色の下着が見えてしまい、不意に目を逸らす。
顔を一目見て分かった。肩くらいに揃えられたショートボブの髪型に特徴的な黒縁の眼鏡。
相も変わらず無表情のこの女は隣のクラスの 織姫さとね で間違いはない。
「何って…お前には関係ないだろ」
「確かに関係はない、でも迷惑、分からない?」
「だから何だって言うんだよ、そんなもん今の俺にはなんも知ったことじゃねえんだよ!」
彼女の眼前まで近寄り、当てつけにでも突き飛ばしてやろうとした。だが、それを知っていたかのように彼女は避け、俺はその場で転んでしまう。
「社会のルールはちゃんと守りなさい」
織姫の飄々とした態度に俺はつい言い淀んでしまった。
「貴方の声、だいぶ遠くまで響いてた、でも大丈夫、私がシャットアウトしたから」
「は…は?何を言ってるんだよ」
「それと、お姉さんの件残念だった、私も見たけれど…」
「…お前馬鹿にしてるのか?」
状況は一切飲み込めないまま、俺は立ち上がり、気づけば織姫の胸ぐらを掴んでいた。
織姫は顔色ひとつ変えず、俺の目をただひたすらに見つめていた。
間に耐えきれなくなり俺は手を離した。
「……ちっ」
「貴方の気持ちはよく分かる、ただ私に八つ当たりしたところで貴方のお姉さんは帰ってはこない」
「あぁ、そうかよ!でお前はなんでここにいるんだよ、滑稽な俺を馬鹿にしにきたっていうのか!?」
俺は半ば自暴自棄になり、泣きじゃくった顔で織姫を睨みつけた。
「いいえ、短絡的な思考で私の行動を予測しようとしないで」
尚も刺々しい口調で俺を突き放そうとする織姫に心を抉られた感覚に陥った。
「貴方、もし貴方の全身全霊をかけてもお姉さんを救いたいという気持ちはある?」
「姉貴を…救う?」
頭のおかしい冗談を言ってるんだと俺は思った。
ただそいつの目は何も冗談を言っているものではなく、何とも儚げで、でもどこか勇姿を感じるようだった。
「冗談なんかじゃない、もしその気持ちがあるなら私は貴方のために力を尽くすことをここに誓う」
刹那、織姫の出す覇気のようなものに気圧され、時が止まったように感じた。
「姉貴の死体を見た時、色んなこと思い出したんだ。俺の家は親父は滅多に帰ってこないし、母親も夜遊びばっかりで、飯も1人だったし、何するにもひとりが当たり前だった」
「ほんとに何のために生きてるんだろうってずっと思ってたよ」
「そんな毎日が姉貴が来てから変わって行ったんだよ、新しいことだらけで、ほんとに人生に色がついた気がしたんだ」
(吏玖〜勉強!教えてあげよっか?)
(見てみて八百音特製オムライス!)
(吏玖、行ってらっしゃい)
姉貴との記憶が次々とフラッシュバックしていく度に俺の決意が固まっていくような気がしていた。
「姉貴には返しても返しきれない恩がある…このままじゃやるせない」
「もし姉貴を救えるなら…俺は…俺は!なんでもしてやる」
「その覚悟は揺るぎないもので間違いはない?」
「…ないよ」
痛いほど握りしめた拳は決意を表すには十分すぎるほどだった。
俺は異質な状況に喉を鳴らす。
その間、織姫はまたしても俺の目をずっと見つめていた。何か値踏みしているかのように。
「分かった、信じる。貴方の覚悟を私は見届ける」
「じゃあ早速だけど、さっき借りた本出して?」
「本…?」
あの何語で書かれているのかも分からない汚い本のことか?でもなんで……。
「その本が今回の鍵となっているの、拒んでも無視して出すまでだけど」
突然俺のカバンのチャックが開き、本が自我を持ったかのように織姫の手元まで向かっていった。
超常現象のような光景に俺は空いた口が塞がらなかった。
「心配しないで、貴方にはなんの害も及ぼさない」
「は…!?ど、どう考えてもやべーことやってんじゃねぇか!」
「ええ、確かに、“やばい”わね」
「ただこんなことは造作でもないこと、貴方もいずれ出来るようになるから心配する必要はない」
「そ、そんな魔法みたいな方法で姉貴を救おうって言うのかよ!?」
「魔法、ね。残念だけど魔法とは非なるものなの」
そう言うと織姫は本を開いた。すると驚くべきことに本のページがみるみると発光していき、各ページが宙を舞い、織姫の周りを駆け巡っていた。
「…異常なし」
「まぁ無知な貴方に私が分かりやすく教えてあげる」
「着いてきなさい」




