序章
もし、自分の身を捧げても助けたい人がいたとしたら、他の人はどう考えるんだろう。
俺は迷わず飛び込みたい、大切な人が明日を生きていてくれるなら。それこそが俺の本願だから。
覚悟は既に出来ている。
俺の名前は子門吏玖
都立柊ヶ丘高校に通う普通の高校二年生。
これといった特技もなければ、趣味もない。学校が終わったら家へ直帰するくらい何も無い日常を送っている。
他の人から見たらつまらない人生だって思われそうだけど、俺はそうは思わない。
午後のチャイムが鳴ると、クラスの喧騒がたちまち大きくなる。皆、放課後に部活やら遊びやらと予定があるようで、俺はそれを尻目にそそくさと教室から出る。
「お、吏玖は今帰り?」
渡り廊下に出たところで、不意に呼び止められ、思わず肩を揺らした。
俺なんかを呼び止める奴なんて1人しかいない。
子門 八百音
俺とは一個上の高校三年生で茶色がかった長い髪の毛を特徴としている。
品行方正、成績優秀、スポーツ万能…俺とは似ても似つかない、俺の姉だ。
「まぁな、姉貴は?」
「私もこれから!どう久々に一緒に…」
「冗談はよせよ」
「うぇ〜連れないな〜」
幼い頃に俺の父親と母親が離婚してから、父親が新しく連れてきた母親の子供が八百音だった。
1個しか歳は変わらないはずだが、当時小学生だった俺からして中学生の姉は随分と大人びて見えた。
素行は全く大人ではないが、世渡りが上手く誰とでもすぐ打ち解けるような性格には常々脱帽する限りである。
「俺は図書館に行ってから帰るよ」
「お、勉強か?偉いぞ〜」
「あ、頭触るなって!」
姉は良い意味でも悪い意味でも馴れ馴れしい。
思春期の男子生徒に対する距離とは思えないほどあまりにも近い。一体どれだけの男を勘違いさせてきたことやら。
「じゃあまた家で」
「おけおけ〜またね…ってあ、今日の晩御飯当番どっちだったっけ?」
両親共々と仕事に追われているようで、うちでの家事は主に俺と姉の分業制で賄っている。
「今日は姉貴だろ?忘れんなよ」
「あーはいはい、そういえば昨日は美味しかったね!吏玖特製のハンバーグ!」
「姉貴あれ好きだよな、じゃあそのくらい今日は期待してますよ」
「お姉ちゃんに任せなさいって、ね?」
「じゃ、私も暦先生に呼ばれてるからまたね」
暦先生とは暦利教の事である。顔やスタイルが大層よく、女子生徒からの人気で絶えない。俺からしたら知ったことでは無いが。
姉貴のどこかで聞いたことのあるようなセリフを耳に残し、俺は図書室へと歩みを進めた。
本は好きでもないし嫌いでもない。ただ暇を解消するには持ってこいの代物であり、無料で貸出されているため使わない手はない。
世間で話題になっているような作品はどれも一度手をつけたものであるため、図書館に来るとまず確認するのは古書のコーナーである。
古い歴史書や最早誰が書いたのか不明な本がずらりと並んでいる。1冊たりとも知らないが、どこか壮観である。
そんな書物の並びの中でも一段と異彩を放っている本を手にした。
本全体が汚れで覆われており、経年劣化で破けていたり、解れが激しい。読むことに抵抗があるレベルだった。
「汚ぇ本…知らん言語で書かれてて何もわかんないし」
絶対に英語などではないと確信を持って言えるような言語に興味が湧いてページを開いてみる。
埃が舞い、思わず咳き込んでしまった。やはり、想像通り何が書いてあるか分からない。
「こんなもん置いてて、誰か借りたりしてんのか?」
本の裏表紙から捲り、読書カードを見てみるとそこには知っている名前があった。
織姫さとね(おりき さとね)
確か隣のクラスで、窓際の席でいつもボーッとしてる奴だった。
「…にしてもなんでこんな奴が?」
織姫とはほんの少しだけ会話したことがあるが、その内容は覚えていない。静かなやつだなという印象しかない。
「その本、興味あるの?」
珍しく声を掛けられ、少し狼狽してしまったが、途端に声がした方へと体勢を移した。
「いや、なんか妙に気になって」
「へぇ、お目が高い」
名も知らない銀髪の女は俺を値踏みするような眼でニヤリと笑っていた。
「お目が高いって、あんたなんか知ってるのか?」
「いや別に?ただ君がその本を食い入るように読んでいたから気になってね」
ヘアゴムを取り出し、長ったらしい銀色の髪を束ねる仕草がいやに色気があった。
俺はつい見入ってしまっていた。
「視線がエロい」
「み、見てねぇよ!」
「ふふふ、まぁいいとも。あ、その本借りていくかい?」
「……じゃあ、そうする」
数秒間だけ考え、特段興味はなかったもののこれも何かの縁だと思い、借りることにした。
「返本期限は来週の今日だからね、まぁその本誰は借りることはないからずっと持ってていてくれてもいいのだけれど」
「気味悪いしすぐ返すよ、てかあんた名前は?」
「名前………ふむ、惚れさせちゃったかな」
「ちげぇよ!」
銀髪の女は悪戯っぽく笑ってみせる。
「西遠寺澄香、君の学年からしたら一個上ということになるのかな」
学年ごとに付けているネクタイの色が違うため、そこで判断したのか妙な笑みを浮かべている。
となると、姉と同い年ということになる。
あまり釈然としない。
時折見せる所作が一個上とは思えないほど大人びていて、臨時の先生かと思ったくらいだった。
「君は?」
「俺は子門 吏玖、多分西遠寺さんと同じ学年に俺の姉貴がいると思うんだが」
「あぁ、知っているとも。彼女は素晴らしい才能を持っているからね」
「ほんとだよ、見てて嫌になっちまうくらいな」
「おや、不満なのかい?自慢の姉を持てて、私はとても羨ましいくらいだがね」
「馬鹿言えよ、あと俺と姉貴は血繋がってないから純粋に眩しすぎるのさ」
姉は家に来たあの日から俺とは違う世界線に生きていたと思う。俺の父親は小難しく愛想がないことで地域では有名だが、そんな父親とすぐに打ち解けていた。俺ですらたまに親父のことは分からなくなるのに。
「ふむ、難儀なものだね…」
「ただ、今はそれでいいとしても…いずれ彼女の光を受け止めなければいけない」
西遠寺は机の上にあるコーヒーカップを手に取り、口に付けると、口元に出来たコーヒーの跡を舌で舐めとる。
俺は気づけばその一連の動作に惹かれていた。
「おや、もうこんな時間か。そろそろ私は仕事を終わらせて帰るとするよ」
「西遠寺……さんはここでバイトしてるのか?」
「西遠寺でいいよ、なんなら澄香でもいい」
「バイトじゃないさ、ただの暇つぶし」
じゃあと言うように無言で手を向けると、西遠寺は手を振り返してきた。
俺はその後、校舎を出ると無言で駅へと向かった。
にしても、不思議な人だった。異質な魅力というか、目が離せなかったというか。
俺は彼女の言葉を何度も反芻していた。光を受け止める…?はっきり言って意味がわからなかった。
「何だこの人だかり…」
駅の目の前に来ると大勢の人で押し寄せていた。
普段から人は多い方だが、にしてもこの状況は異常である。
半ば興味本位で人混みを掻き分け、俺は中へと進む。
「何がどうなってんだよ…」
ホームに到着した瞬間、俺の視界には理解し難い光景が広がっていた。
「…!?姉貴…?」
子門 八百音の死体がそこにあった。




