8、小さな波紋
庭師の男は久しぶりの仕事に出た。
役人宅の庭仕事はいい金になる。
右手首に布を巻いた優男が、不機嫌そうにこの地域の領主と出てきた。
「異国人を受け入れることは国交のための朝廷の意向。しかし、ゴロツキも多い」
「…左様でございます」
「素行を改めさせるのは地方領主のお前たちの役割であろう。無能が!」
領主は優男に頭を下げ、ちらりと布の巻かれた手首に目をやる。
先日のひと騒動が領主の耳に入っていないわけがなかった。
優男はその怪我について、違う理由で弁明していたが。
(…無能はどっちか…)
領主は目を細め、拳を握りしめた。
庭師は作業をしながら聞き耳を立てていた。
(ご主人も大変だな…)
「背の高い異国の服を着た女を見かけたら、知らせをよこせ」
背の高い…異国の服…
「それなら、世話になっとります医者の所で見ましたよ」
庭師の男は何の気なしに言った。
「やけに背が高い女だったんで、覚えてます。たしか、子どももいたかな?」
優男はニヤリとした。
「おい、その医者はどこにいる?」
*
「師匠!」
「却下だ」
いつの間にか師匠呼びになっている。
「まだ何も言ってないじゃないですか!」
あれだけの実力差を見せつけられたのに、リヒトは諦めなかった。
「却っ下!」
少年の諦めの悪さに、ミツキは嫌気がさし深くため息を吐いた。
「私は先に進む。ここに長居する気はない。それに客人が長く居座ってたら、お前の母親が困るだろう」
リヒトは言葉を返せなかった。
「…道場は、行けないし、昨日師匠が手合わせしてくれたのが、すごく楽しかったんだ」
ミツキが手にしたのは刀ではなく筆だったが、初めて人と対峙したリヒトにとって、新鮮な体験だった。
「もう少し、師匠と手合わせしたら、なんか、こう、動きがわかりそうというか、動きの流れが掴めるというか…」
「動きの流れ…?」
その言葉にミツキは黙った。
(サナトも確か…)
「おい、少年。誰もいない、静かな広場はあるか?」
リヒトは顔を上げた。
「これで最後だ」
ミツキとリヒトは裏口から外へ出て行った。
*
サナトが午後の診察をしていると、診療所の外が騒がしい。
乱暴に開けられた引き戸から大男が入ってきた。
「あんたがサナトと言う医者か?」
「ええ、診察を受けたいのであれば並んでください」
サナトは笑顔を崩さなかった。
「お役人様の手当を優先しろ。平民と一緒に並ばせるな」
大男の後ろから、右手首に布を巻いた優男が悠々と入ってきた。
「私は中央の人間だ。とても忙しくてね。私の手を先に診なさい」
差し出された右手にサナトは視線を向けた。
(役人に、右手首の骨折、か…)
どこかで聞いたことのある怪我だ。
「稽古中に折ってしまってね」
(稽古中…?)
先に診ていた患者が立ち上がろうとするのをサナトは止めた。
「みんな忙しい合間に、ここに来ています。怪我や病気も様々だ」
サナトは立ち上がった。
「あなたの手はもうすでに手当されている。急いで診なくてはならない怪我ではありません」
サナトは大男と優男の隣を素通りしていく。
診療所の戸口に立ち、外を丁寧に指した。
「並んでお待ちください」
丁寧な口調とは裏腹に、その目は笑ってはいなかった。
「…貴様。無礼な態度を…」
「無礼も何も、命の価値は平等です。急を要するか要さないかの違いです」
優男の怒りはすぐに頂点に達した。
「誰に向かって口を利いている!」
優男が声を荒らげた。
「この町の医者風情が、中央の役人に説教するつもりか!」
「説教ではありません。診察の順番についてお話ししています」
サナトは穏やかに答えた。
「それとも、何か急を要する症状でも?」
「……っ!」
優男は周囲に目をやった。
診療所の内から外から人々が見ている。
「お前、異国の女を匿っているそうだな」
唐突な質問だった。
サナトの表情は変わらない。
(本題はそこか…)
「だとしたら、何だと言うのですか?」
大きな物音と声を聞いて、リヒトの母が奥から顔を出した。その背後からシエルも顔を覗かせた。
シエルの顔を見た瞬間、優男は笑みを浮かべた。
「子ども…やはりここにあの女がいる」
優男がシエルに向かって歩き出した。
「その子に何の用です」
サナトが呼び止めた。
しかし、優男は答えず無遠慮に近づき、リヒトの母とシエルの前に立ちはだかった。
「お前、あの女と一緒にいた子どもだな」
シエルが一歩後ずさる。
その細い腕を、優男が左手で乱暴に掴んだ。
「ーっ!」
「シエルちゃん!」
リヒトの母がシエルを後ろに退かせようとしたが、間に合わなかった。
「先日、役人の私の手を折った、子連れの異国の女がここにいるんだろう!」
大男はぎょっとした顔で優男を見た。
「さっき、稽古で折ったって言ってたよな?」
待合の片隅から声が漏れた。
優男もしまったというように口をつぐんだ。
しかし、すぐに声を張り上げた。
「役人に怪我を負わせるなど言語道断!!大罪だ!
そんな女をこの医者は匿っている。重大な隠匿行為だっ」
その言葉を聞いた患者達は顔を見合わせた。
「その子を離してください!」
リヒトの母が優男に詰め寄った。
「何だ、女。私に指図するな!」
「その子は何もしていません!」
リヒトの母は引き離そうと優男の右腕を掴んだ。
優男は顔をしかめ、肩で母親を突き飛ばした。
リヒトの母はよろめき、床に倒れた。
先ほどまで診察を受けていた患者がリヒトの母に駆け寄った。
優男は鼻で笑った。
「罪人を匿う者も同罪だ」
シエルは痛みで顔をしかめるが、優男を睨みつける。
「……その手を離しなさい」
サナトの低く冷たい声がした。
優男が振り返る。
「何だと?」
「その子は、あなたの怪我とは関係がない」
サナトは一歩近づいた。
「ましてや、子どもに乱暴を働く理由にはならない」
サナトの眼差しに、大男も優男もたじろいだ。
しん、と静まり返る。
(なんだ、なんなんだ、この男は)
優男は内心焦っていた。
今まで、自分が言ってきたことは皆従ってきた。
「な、ならば、その女をここへ連れてこい」
優男はシエルの腕を掴んだまま言った。
「女を出せば、子どもに用はない」
「……その子を人質にするおつもりですか」
サナトの声は低い。
「人聞きの悪いことを言うな。罪人を捕らえるための正当な行いだ」
「どっちが罪人かのぉ」
再び、待合の隅から声がした。
年老いた老人だった。
「ここには、皆、先生に助けを求めてやってくる。そんな場所で身勝手に暴れて、子供に手を出すなんて、どっちが悪人だかわからん」
優男は老人を睨んだ。
「…そ、そうだ。役人だからってなんでもやっていいわけじゃない!」
戸口の外からも中からも、優男を非難する声が上がる。
「あんた、役人様だって言ったな」
「その手、女に折られたんだって?」
「それがどうした!」
「先日の騒ぎなら見てたぞ!大男が茶屋の女の子を痛めつけていた」
優男の顔色が変わった。
「黙れ!」
「役人様が、どうしてその場にいたんだ?」
待合にざわめきが広がった。
(なぜ、私の言うことを皆聞かないのだ!)
優男の苛立ちは焦りと変わっていた。
「旦那…」
「前回といい、今回といい人に見られすぎです」
大男が優男に近づいた。
「だから何だというのだ!」
「あの女がここにいたら、とっくに出てきているはずです」
優男は廊下の奥を睨んだ。
舌打ちし、シエルを乱暴に放した。
シエルはよろめいたが、自分の足で踏ん張った。
「お探しの人物はおりません」
(…今は)
サナトは再び、戸口の外を指した。
「診察をされないなら、お帰りください」
優男は何も言わずに大男を連れて診療所を後にした。
戸口に集まる人々は二人に道を開けた。
その目には、敬意の念は一つもなかった。
その騒動を、少し離れた場所から見つめる男がいた。
男はしばらく診療所を見つめていたが、やがて静かにその場を離れた。




