9、足音
リヒトが住む町から少し離れた雑木林の中に、ぽっかりと開けた場所があった。
木々に囲まれたその場所には、人の通る気配もない。
昨日の筆とは違って、ミツキは木刀を握っていた。
リヒトは稽古をつけてもらえることに胸を躍らせていた。
「今日は私から先手で行く。受けてもいい。だが打たれるな」
「はい!」
リヒトは木刀を構えた。
風が木々を揺らす音だけが聞こえた。
リヒトは目の前のミツキに意識を集中させた。
ミツキが踏み込んで、左側から切り込んできた。
リヒトは咄嗟に身を引き、ミツキの木刀を受けとめた。
(受けられた!)
二人は間合いを取り直す。
再び、ミツキに意識を集中させる。
次の一手も左側から切り込んできた。
先ほどの太刀筋と同じように受けた。
(できた!)
そう思った直後、激しい衝撃が左脇腹に走った。
切り返したミツキの打撃が左脇腹に直撃したのだ。
リヒトはその場にうずくまる。
「昨日とは違って、私の動きがわかっただろう?」
リヒトは顔をしかめたまま頷いた。
「理由は二つ。
私がお前に動きが分かるように動いたからだ。もう一つは、昨日、一度私と対峙して経験を積んだからだ」
やっとの思いで、一撃をぎりぎりで受け止めたのに、ミツキはリヒトにわざと動きが分かるように動いていたのだ。
「立て。次だ」
リヒトは脇腹を押さえながら立ち上がった。
ミツキは先ほどと同じように木刀を構えている。
(また左から来るのか……?)
リヒトはミツキの肩と足元を交互に見た。
しかし、ミツキは動かない。
風が吹き、木の葉がざわめいた。
そのときだった。
(……下)
なぜそう思ったのか、自分でもわからなかった。
ミツキの身体は、まだ動いていない。
それなのに、下から何かが迫ってくるような気がした。
リヒトは反射的に身体を引いた。
そう思った直後、下からミツキの木刀が跳ね上がってきた。
激しい衝撃が手首に走り、リヒトの木刀が弾き飛ばされた。
「痛っ!」
「……」
ミツキは木刀を下ろした。
「お前、今、何を見た?」
「え?」
「私が動く前に、身体を引いただろう」
リヒトは首をかしげた。
「……なんとなく、下から来る気がして」
ミツキはしばらく少年を見つめていた。
「……そうか」
それだけ言うと、リヒトの正面に立った。
「私を見て、何か感じるものはあるか?」
リヒトは戸惑った。
(どういうことだ?)
「び…美人で、すごく強いです!」
ミツキの手刀が、額に直撃する。
「違う!そういうことじゃない。何か感じるかと聞いている」
(感じる?)
リヒトはミツキを見た。
背が高い…
黒髪…
赤錆色の目…
いや、これは目で見ていることだ。
感じる?
感じる…
リヒトはミツキの中へ意識を集中させた。
頭、胸、腹、足元…
「…腹」
ミツキは目を細めた。
「へその下あたりが…暗い…」
ミツキは木刀を肩に担いだ。
「そこに違和感があるなら、次はそこをめがけてかかってこい」
「え?!そんな!」
「そこが私の弱い部分かもしれないだろ?」
「そんなの卑怯じゃないですか!」
「…試合ならともかく、殺るか殺られるかの場面で、そんなことは言ってられないぞ」
リヒトは黙った。
「お前は医者の子だ。護身で剣術を学ぶのはいいだろう。だが、それだけにしておけ」
*
診察を早めに切り上げたサナトは、一人で診療所を片付けていた。
戸口に人の気配がある。
「すまないね。今日の診察は終わっ…」
戸口には頭巾のある外套をまとった男が静かに立っていた。
「…全く、ここ数日は来訪者が多い」
「久しぶりだな」
男は診療所の中へ足を踏み入れた。
「……何の用だ」
「昔のよしみだ。そう警戒するな」
サナトは片付けていた薬箱を静かに置いた。
「宮城の命令か」
「違う」
男は短く答えた。
「私の独断で来た」
「お前が勝手に動くような立場とは思えんがね」
男は答えなかった。
「ここへ異国人が来たと聞いた」
「それで?」
「様子を確かめに来ただけだ」
サナトは男をじっと見た。
しばらく沈黙が続いた。
「確かにここに人は来た。異国人じゃない黒髪の女だよ」
男の指先がかすかに動く。
「いつまでも長居させないことだ」
「……」
「お前たちも巻き込まれるぞ」
「……脅しか?」
「忠告だ」
「優しいことだな」
サナトは鼻で笑った。
男は戸口へ向かった。
「私が来たことは、あの女には言うな」
「なぜだ?」
男は振り返らず、静かに立ち去った。
読んでいただきありがとうございます!




