10、父の決断
明日の出立の準備をしていると、サナトがやってきた。
「ミツキ、少しいいかな?」
シエルに準備の続きを頼んで、ミツキはサナトの後に続いた。
「先日、この国の様子を伝えたと思うが、私は君がこの国に戻ってきた理由を聞いていなかったと思ってね」
ミツキは笑った。
「聞いたところで、あんたはもう宮城に関わる人間じゃない…」
「…それを言うならば、君もそうだろう?もう、梟の人間じゃない」
二人の間で、ろうそくがゆらめく。
「私は、まだ梟だ」
ミツキは懐から古い書状を出して、サナトの前に置いた。
「シャムス陛下の梟だよ」
「これは…?」
ミツキは目で合図した。
サナトは、一度躊躇ったが、そっと書状を取り中をあらためる。
シャムスの印が末尾に押されていた。
懐かしいシャムスの面影と、あの夜産声を上げた小さな命が脳裏をよぎった。
『我が梟の月よ
深淵がこの国を包むだろう
我の誇りを護り
時が満ちたならば、帰還せよ』
「崩御する直前に、受け取ったよ。シエルと一緒に…。
私は陛下の盾と矛だった。あんたは、陛下の命の守り人だった。
この書状の意味が分かるだろ。サナト」
「…あの子を、どうするんだ?」
ゆれるろうそくの光で、ミツキの瞳がより一層赤く見える。
「在るべきところに還す。その後は、あの子が決める」
ミツキの言葉にサナトは動揺した。
「在るべき所? 無理だ! 今の宮城がどうなっているか、伝えただろう!」
アスワドの治世になってから、民の暮らしは苦しくなる一方だった。
国が弱れば、周辺国も黙ってはいまい。サナトはそう危惧していた。
そんなところに年端もいかない娘を連れて行くなど、到底理解できなかった。
殺されて終わる。
「だから、私がいる」
サナトは眉をひそめた。
「君は昔からそうだ。自分がいれば何とかなると思っている」
「何とかしてきたさ」
「君だって死ぬときは死ぬんだぞ」
ミツキは答えなかった。
ろうそくの炎が小さく揺れた。
「……先日、君を探して立て続けに男たちが訪ねてきた」
ミツキの目が細まる。
「どんな連中だ」
「一人はリヒトといざこざを起こした役人だ。もう一人は名を明かさなかった。
その男は君をここに置けば、私の家族も危険にさらされると言っていた」
ミツキの脳裏に、大陸での出来事がよぎった。
何度か、何者かに助けられたことがある。
偶然とは思えなかった。
だが、その人物は一度もミツキの前に姿を現したことはない。
何のために自分たちを助けるのか。
(……まさか、この国までついてきたのか?)
「……そうか」
「君を責めているわけじゃない。遅かれ早かれ、こうなることは分かっていた。
君もわかっていたから、早くここから離れようとしていただろう」
サナトは書状に目を落とした。
「…なんの因果かな…息子が連れてきたのが君だったなんて」
自分のした罪に対する罰なのかもしれない。
ふと、木刀を振る息子の姿が浮かんだ。
サナトはしばらく押し黙った後、何かを決意した。
「…ミツキ、リヒトのことなんだが
君と一緒に連れていってほしい」
「正気か?今自分で言ったことを忘れたのか」
ミツキは眉をひそめる。
「いいや」
サナトは静かに答えた。
「だからこそ、頼んでいる」
ミツキは厳しい顔のままだ。
「……」
「あの子は医者になるために私の側で学んできた。だが、剣を握ることを諦めようとしない。私には、どうしてそこまで剣にこだわるのか分からなかった」
サナトは一度言葉を切った。
「けれど、君に剣を教えてほしいと頼んでいる姿を見ていて、少し考えが変わった」
自分と別な形で人々を救おうと、あの子なりに考え始めているのかもしれない。
「私についてくれば、息子は命を落とすかもしれないぞ。これまでも、シエル一人抱えながら何度も…」
「分かっている」
「なら、なぜだ」
「……ここにいれば安全だと、もう言い切れないからだ」
中央役人に目をつけられた。
あの役人は今後も何かしらしてくるだろう。
そして、あの男も単独ではあったが診療所を訪れた。
いつかは、宮城の命令で他の者もやってくる。
その時、自分が家族を必ず守り切れるかわからない。
ミツキに託したとて、危険な道とわかっている。
どちらが安全なのか、サナトも判断できなかった。
であれば、息子が望む道を歩ませてやるべきではないだろうか。
サナトは顔を上げた。
「あの子には知ってほしい。命を救うこと、奪うことは、時に紙一重だということを」
サナトの表情が少し緩んだ。
「君がどんな人間かは知っているつもりだ。だから、頼むなら君がいい」
ミツキは呆れた顔をした。
「……あんたも随分な親父だな」
「そうかもしれない」
サナトは苦く笑って、目を伏した。
「だが、あの子の人生を、私が決め続けるわけにもいかない」
ミツキは、短くため息をついた。
「そういえば、あんたの息子、私の下腹に違和感があるって言ってきたよ」
サナトは、跳ね上がるように顔を上げた。
「私に触れずにね。医者としても面白いものを持ってるな」
「守るために剣術を学びたい、ねぇ…」
誰に言うでもなく、ミツキは呟いた。
「その能力は剣術にも生かせるかもしれないな」
ミツキは書状を懐にしまった。
「あんたの息子を連れて行くことは私が決めることじゃない。
自分の思いを息子に話して、どうするか本人に決めさせろ」
ミツキは障子を開け、廊下に出た。
ふと足を止めた。
「あんたの奥さんにもな…」
障子が静かに閉まった。
閉じられた障子をサナトはいつまでも見つめていた。
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