6、救えぬ命
幼女の呼吸は荒く、呼吸をするたびに喉が鳴っていた。
横になると苦しいのか、何度も起き上がろうとするが、力なく寝具に沈み込む。
「午前中は落ち着いていて、さきほど様子を見に来たら苦しんでいて…」
リヒトの母は、幼女の体をさする。
サナトは脈を取った。
(異常に早い…)
昼前よりも、明らかに悪くなっている。
気にかけていた心の臓が、必死に幼女の命を繋ぎとめようとしている。
幼女の背後に回り、自分に寄りかからせる体勢をとった。
しかし、呼吸は変わらない。
「かあ…ちゃ…ん」
サナトは険しい顔で何かを考えている。
「リヒト、この子の母親を連れてきなさい」
慌ただしい光景をミツキとシエルは少し離れて見ていた。
シエルが不安そうな顔でミツキの袖を引っ張る。
「病気の子だろうな。あまり良くないみたいだ」
シエルはミツキの腰元に手を回し、ぎゅっと体を寄せた。
*
息を切らせて少女の母を連れ帰ったリヒトは、その場で立ち尽くした。
父が必死に幼女の胸元を何度も何度も押している。
少女は力なく天井を見つめているが、その目には何も映っていないように見えた。
幼女はそこにいるのに、
もう、そこに彼女はいない。
そう感じた。
幼女の母が悲鳴をあげ駆け寄り、何度も幼女の名前を叫ぶ。
父のこめかみの汗は頬を伝い、一雫落ちた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
幼女の母は、サナトの肩に手を置いた。
「先生…もういいです…」
サナトは動きを止めた。
傾き始めた日差しが、部屋に差し込んでいた。サナトの荒い息づかいと幼女の母のすすり泣く声だけが、部屋に響いていた。
*
幼女の体を綺麗にし終え、ひと段落したサナトは、眠っているような幼女の顔を見つめていた。
「先生」
振り返るとそこにはミツキとシエルがいた。
「あまり、もてなせなくてすまなかったね」
「…ここの近くに宿屋はないかい?そろそろお暇するよ」
シエルは横になっている幼女の傍らに座って、顔を覗きこんだ。
ミツキもサナトも黙ったままだった。
シエルは胸の上で重ねられている手に触れたが、そこには期待していた温もりはなく、困惑した顔でサナトを見た。
「…神様のところに戻ったんだよ」
シエルはじっと幼女を見た後、静かに手を合わせた。
「この後、この子の家族が来て何かと騒がしいかと思うが、今晩は、うちに泊まりなさい。お前さんともう少し話がしたい」
ミツキは無言で頷いた。
日が暮れてから、幼女の父親が幼女を引き取りにやってきた。
無精髭が生え、着物の袖や裾から覗く手足には泥がつき、やせ細っていた。
「…娘が、世話になりました」
虚ろな声だった。
幼女の母と二人で、しばらく安らかな顔を見た後、温もりが消えた体をそっと抱き上げた。
「これで、口減らしになった…」
その言葉を聞いて、リヒトの心がざわついた。
拳を握りしめる。
(一度も、見舞いにこなかったのに!)
その気配に気がついたサナトが拳に手を置いた。
父親は、幼女の顔に優しく触れた。
「もう、腹空かさなくていいんだぞ…ひもじい思いしなくていいんだぞ…」
微かに声が震えていた。
リヒトは拳を握ったまま俯いた。
*
布団に入ってどれくらいの時間が経っただろうか。
全く眠れない。
水を飲むために台所に行こうとした時、父の部屋から父とミツキの話し声が聞こえた。
「……飢えで人が……帝は……異国の……」
「…だから…」
押し殺した声のため、よく聞き取れない。
リヒトはしばらく耳を澄ませていたが、それ以上聞き取ることはできなかった。
異国から来たミツキに、この国のことを話しているのだろう。
台所で水を飲み、自分の部屋へ戻る。
布団に潜り込んでも、眠気は訪れなかった。
目を閉じると、昼間の光景が浮かんでくる。
理不尽に殴られたナギの顔。
話も聞かず振り下ろされた優男の刀。
朝から晩まで働けど、豊かにならない人達。
そして、幼女の胸を必死に押し続ける父の姿。
『これで、口減らしになった』
幼女の父親の言葉が耳から離れない。
あのとき、男を殴ってやりたいと思った。
けれど、娘を抱き上げた男の荒れた手は、発した言葉と裏腹に、あまりにも優しかった。
何に怒ればいいのか、リヒトにはわからなかった。
父は、あの子を救おうとしていた。
それでも救えなかった。
自分はナギを守ろうとした。
けれど、何もできずにミツキに助けられた。
あの父親も母親も、あの子に腹いっぱい食べさせたかっただろう。
守るために剣術を学びたいと思っていたけれど、何から守るために?
剣があれば、ナギを助けられた?
未熟な剣術で。
あの幼女を救えただろうか。
父の隣で医術を学んでいても、父でさえ救えなかった。
自問自答ばかりで答えが見つからない。
切り落とされた腕が元のように戻らないことはリヒトもわかっている。
だから、切り落とされないように剣で守りたい。
傷ついた人を救えるようになりたい。
何もできないまま、誰かが傷つくのを見ているだけなのは嫌だった。
リヒトは布団の中で、ぎゅっと拳を握りしめた。
脳裏に浮かんだのは、医術で人を手助けする父と、木刀を手に男たちの前に立ちはだかったミツキの姿だった。
シエルを守りながら彼女は旅をしている。
あの人のように、強くなりたい。
(ミツキさんに、剣術を教えてもらおう)
そう思った。
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