5、変わらぬもの
サナトの診療所には今日もたくさんの患者が訪れていた。
腰を痛めた者。
風邪をひいた者。
傷を負った者。
一人ひとり、丁寧に診ていく。
「だいぶ良くなったよ」
腕にある、大きな傷を診ながらサナトが言った。
昼前の最後の患者だった。
「いやぁ、庭師が木から落ちて怪我するなんてなぁ」
庭師の男が頭を掻いた。
「猿も木から落ちるって、どこかの国のことわざであったね。慣れていることでも油断するとこんな風に痛い目にあうから、これからは気をつけて」
薬棚から軟膏を取り出した。
「手は握れるかい?」
庭師の男は力強く握ったり開いたりした。
「っイタ」
ひきつった傷跡が痛む。
サナトは薬草から作った軟膏を傷に塗った。
「しばらくはこの薬を傷に塗るんだ。傷が塞がったからと放っておくと皮が硬くなってしまうからね」
手際よく腕に清潔な布を巻いて行く。
「…あと、あまり酒を飲みすぎないことだ」
庭師の男がびっくりした顔をした。
「内臓が疲れてしまっているよ」
庭師の男は、怪我をして仕事ができないため、昼間から酒を煽っていた。
診察の時は特段酒臭くはなかったが、触れた腕からサナトは内臓の違和感を感じ取っていた。
「いやぁ、先生は何でもお見通しだ」
「もう、仕事をしてもいい。軟膏だけは塗り忘れないように。それと疲れた内臓にいい薬も出しておこう」
サナトに庭師が診察代を払っていると、診療所の戸が勢いよく開いた。
「父さん!」
「リヒト、いきなり戸を開けるもんじゃないよ」
サナトの声は穏やかだった。
「あ、すみません。すぐに診てもらいたい人がいて」
庭師はサナトに挨拶をして診療所の外に向かった。
リヒトは庭師に頭を軽く下げ、サナトに向き直った。
「茶屋のナギちゃんが怪我をしてしまって」
リヒトは診療所の外に手招きした。
「サナトさん、急にごめんなさい」
顔を出したのは、顔半分を押さえ泣きじゃくったナギとナギの肩を支えているナギの母だった。
それを横目に診療所を後にした庭師は、外套を着た黒髪の女と十歳前後の少女すれ違った。
(ずいぶんと背が高い女だな…)
女と少女が診療所の前で立ち止まったが、庭師は特に気に留めることなく、その場を後にした。
*
ナギの顔は、左こめかみから頬まで痛ましいほど腫れ上がっている。
「これは…ずいぶんと…」
「ひどいだろ?」
リヒトは少し興奮気味に言った。
「それにしても、騒動をどうやって鎮めたんだい?」
「それは…」
「口を開けて」
サナトはリヒトの話しを遮るようにナギの体を確かめ始めた。
顔の骨や歯に異常はなさそうだ。
「お前の首が飛んでもおかしくなかった」
サナトがリヒトを見た。
その目の奥は鋭かった。
「剣士様が…助けてくださって…」
その緊張を解いたのはナギだった。
「剣士?」
ふと、戸口を見ると二つの人影が立っていた。
外の光が眩しく、顔が見えない。
少しずつ目が慣れてくると、人影がはっきり見え、異国の服を着た黒髪の女と少女がいた。
サナトの目が僅かに見開いた。
「あの方が…間に入ってもらわなければ、私も母も…リヒトくんも怪我ではすまなかった…はずです」
ナギは口の中も腫れているのに一生懸命説明した。
「…旅のお方、ですか。ありがとうございました。息子もお世話になったようで」
「いえ、たまたま騒ぎに居合わせましてね」
女は軽く頭を下げた。
伏した目を上げ、サナトを真っ直ぐ捕える。
赤錆色をした目だった。
サナトは女の傍らにいる少女に目をやった。
少女は女の外套をギュッと掴んでいる。
「お嬢さんですか?」
女は、少女の頭に軽く手を乗せ、何も言わず微笑んだ。
「今年の秋で十二になります」
サナトは静かに口を結んだ。
リヒトは空気が少し変わったように感じた。
なんだろう、この二人の間の空気は。
「リヒト」
サナトの声で宙に浮いていた意識が戻る。
「冷たい水と清潔な布を持ってきておくれ」
いつもの穏やかな父だった。
サナトに頼まれたものを取りに、裏に行こうとしたリヒトはハッとして足を止めて振り返った。
「お礼をしたいから、行かないでくださいね!
ミツキさん」
薬棚から軟膏を取り出すサナトの手が、ほんの一瞬止まった。
しかし、誰もそれには気がつかなかった。
*
ナギの治療が終わり、母娘を見送ったのはとうに昼を過ぎていた。
「さぁさ、旅のお方、たんと食べてくださいな!」
ミツキの目の前には、リヒトの家で出されるおよそ二日分の食事が出された。
リヒトの母は、息子を助けてくれたお礼にと家計が苦しい中、奮発したのだった。
少女はきちんと座りながら、目を丸くしている。
「…また、これはずいぶん豪華な」
サナトはちゃぶ台を挟んで、ミツキと少女の前に座った。
リヒトの母は二人の前に最後の皿を置いた。
「息子の恩人ですからね!これでも足りないくらいです」
「そんな大したことは…」
ミツキは特別なことをしたわけではない。
ただ、目の前で起きたことを見逃すわけにはいかなかっただけだった。
「中央の役人は私たちの税で贅沢な暮らしをして、威張っています。そんな役人相手に大太刀まわりをしたと聞いて胸がすくおもいです」
「…リヒト」
いそいそとお茶を淹れていたリヒトの肩が跳ねる。
「後でお話がありますからね」
笑顔の母だが、母の氣は笑ってはいなかった。
「…はい」
その様子を見て、口元を押さえて少女が笑った。
「そういえば、お嬢さんのお名前は?」
サナトが問いかけた。
少女はミツキを見上げた。
代わりにミツキが答える。
「…シエル、といいます」
「まあ、素敵なお名前ね!いっぱい食べてね。シエルちゃん!」
サナトは飲んでいた湯呑みをちゃぶ台に静かに置いた。
「…そうですか」
とても柔らかい微笑みだった。
*
「これはすり潰して傷に塗ると治りが早い薬草。こっちは乾燥させて煎じて飲むと痛みを和らげる薬草。そのまま口にすると毒なんだ」
昼食を終えたあと、リヒトはシエルを裏庭で育てている薬草の説明をしていた。
シエルは薬草の説明を熱心に聞いている。
可愛らしい少女だ。
「君は…声が出ないの?」
リヒトを見てシエルは頷いた。
不意に地面に文字を書き始める。
(おどろいた。この子、文字が書けるのか)
文字を書ける人間はそう多くない。
それに、異国から来たのにこの国の文字を書いている。
そういえば、ミツキも異国人特有の癖がない話し方をしていた。
袖を引っ張られた。
ーごはん、おいしかった。ありがとう。
リヒトはふと微笑んだ。
「シエルはどこから来たの?」
ー大陸。
「大陸の文字も書けるの?」
シエルは頷き、地面に書き始めた。
リヒトには全く理解できない文字が並んでいく。
この国での意味を聞きながら、二人の会話が弾んだ。
*
二人のそんな姿を、ミツキは縁側で眺めていた。
「大陸にいたのかい?」
ミツキの隣にサナトが腰を下ろした。
「…ああ。途中荒波にあったけれど、無事にたどり着けてよかったよ。まさか、ついて早々にあんたの息子を助けるなんてね」
ミツキはサナトを横目で見た。
(これも因果か…)
サナトは自分の手に視線を落とした。
「旅の疲れはないかい?」
ミツキは少し沈黙して、腕を差し出した。
サナトも何も言わず、脈を取り始める。
脈は力強く打っていた。
彼女に触れたことで体の氣をさぐる。
胸から腹へと意識を動かす。
氣の流れは淀みない。
だが、意識を下腹部に向けると、そこは暗く冷たく感じられた。
ゆっくりとミツキから手を離し、曇った顔をした。
「あいかわらずだよ」
ミツキは薄く笑っていた。
サナトはシエルに視線を移した。
「この国のことは知っているんだろう?」
「あっちにいても、噂は聞いていた。悪い噂ほど遠くまで届く」
「知っていて、戻ってきたのかい?…しかも、あの子を連れて…」
その声は、戒めと恐れが滲んでいる。
ミツキは黙っていた。
リヒトとシエルが笑いあっている。
「約束を果たすため…。それには、シエルをこの国に連れてくる必要があった。
話しをするだけではだめだ。自分の目で見て、自分で考え、自分で決めさせなければ」
サナトは深く息を吐いた。
「私に気がついていたなら、なぜすぐにここを立ち去らなかった?長く留まれば君たちの存在があちら側に知られる危険もあるだろうに。それに、私が密告しないとも限らないだろう?」
ミツキは笑みをさらに深くした。
「あんたは、言わないよ」
ミツキはまっすぐサナトの目を見て言いきった。
家の奥から、何かが倒れるような音がした。
続いて、慌ただしい足音。
「あなた!」
母が縁側に飛び込んできた。
その顔から血の気が引いている。
「大変です! あの子が……!」
サナトの脳裏に、数日前から預かっている幼女の顔が浮かんだ。
勢いよく立ち上がり、幼女のいる部屋に向かう。
裏庭にいたリヒトは、母の声で振り返った。父が奥の部屋にかけていく。
リヒトも慌てて後を追った。
読んでいただきありがとうございます。
この物語は長編を予定しています。
最後まで書ききりたいと思います。




