4、邂逅
「ふざけてんのか!」
リヒトは父から頼まれた使いの帰り道、桟橋を渡りきったその時に怒号を聞いて足を止めた。
声の方を探すと街道に面して商店が並んでいるその一角に人だかりができていた。
そこはリヒトも馴染みのある店が並んでいる場所だった。
きっと何か厄介な事が起きているに違いない。
人だかりは苦手だ。
大勢の人の気が入り混じっている場所は、落ち着かない。
首をつっこまずにそのまままっすぐ家に帰ればいいのに、十四歳のリヒトの好奇心は抑えられなかった。
人だかりをかき分けて進むと、大柄で屈強な男が娘に怒鳴り散らしていた。
茶屋の軒下で、二人の男が気まずそうに顔を見合わせている。
だが、リヒトの目はすぐに娘の方へ向いた。
見知った顔だった。
ナギちゃん――。
屈強な男にぶたれたのだろう、頬に手を当て崩れるように頭を下げている。
唾を飛ばしながら罵声を浴びせる男の後ろには縁台に腰掛ける男性がいた。
一見、普通の優男に見えるが、あんな男を従えているあたり、身分がある人物なのだろう。
そんな優男の着物の裾には、不自然に濃くなった染みがあった。
その足元には、茶碗と砂にまみれた菓子が転がっている。
「申し訳ありません。申し訳ありません」
それしか言えないナギの声は震えている。
その光景を目にして拳に力が入った。
「リヒト」
後ろから酒屋の親父に静かに声をかけられた。
「酒屋の…」
「気持ちはわかるが、でしゃばるなよ。ありゃ、中央の役人だ。下手に手を出せばもっと大事になっちまう。過ぎるのを待つしかない。まったく、なんで、お偉いさんがこんな田舎にいるんだかな」
吐き捨てるように言った。
下町の人間は都の役人にいい感情を持っていない。
前帝が崩御されて七年。弟である現在の帝が即位してからは、中央の役人がやりたい放題だった。
リヒトが住まう地域は比較的豊かな方だが、その他多数の地方は崩壊寸前だ。
中央は絶対であり、地方が下手に歯向かうと切り捨てられてしまう。
リヒトは拳をさらに強く握った。
騒ぎの中心になっている茶屋の軒下では、二人の男が顔をみあわせた。
「あ、兄貴、早く行こう」
「お、おう」
バツの悪そうな顔で、周囲の視線が屈強な男とナギに向いている隙に、この場から離れようと後退りしている。
兄貴と呼ばれた男は、握っていたナギの着物の柄と同じ端切を懐に入れた。
「お二人さん、ちょいと待ちな」
男二人の背後から、落ち着いた女の声がした。
二人が振り向くと、外套を着た女は一口お茶をすすり、湯呑みを縁台に置いた。
「こんな事態にした責任は、あんたらが取らないとな」
そう言ってゆっくりと立ち上がった。
*
慌てて店の奥から出てきた茶屋の女将が、ナギと大男の間に入った。
「うちの娘が粗相をいたしまして、大変申し訳ございません」
「無礼もいいところだ!跪け!その娘を躾なおしてやる」
屈強な男は罵倒し続ける。
「お許し下さい。私の躾がなっておりませんでした。罰は私が受けますから」
その言葉を聞いて、大男は少し何かを考えた。
「あんたが罰を受けるんだな?」
薄く笑い、腰に下げていた刀の鞘に手をかけた。
周囲がざわめいた。
その光景を見た女が一歩前に出ようとしたが、それより早く人垣から飛び出したリヒトがナギ達の前に出た。
「リヒトくん」
「リヒト、やめなさい!出てくるんじゃないよ」
ナギの母がリヒトを下がらせようと肩を掴む。
「なんだ?ガキが」
大男は眉間に深い皺をよせる。
「事情を察するに、この茶屋の娘が高貴な方へ粗相してしまったようですね。このように謝罪もしております。どうかご容赦願えませんか」
リヒトは大男越しに優男に問いかける。
もう、この場を収めるには優男が動かなければ静まらないだろう。
緊張でじわりと背中に汗をかき、動悸がする。
「どうか」
リヒトは懇願するように、もう一度頭を下げた。
しかし、優男は我関せずと静かに座っているだけだ。
「どうか、ご容赦ください!」
大男はリヒトを一瞥した。
リヒトは父の使いの後、誰もいないところで日課の素振りをしようと木刀を携えていた。
大男はそれを見て鼻で笑った。
「英雄気取りか?」
「おやめなさい」
ふぅ、っと一息ついて初めて優男が口を開いた。
「今の下町がどのようなものか見に来てみたが、思っていたよりも活気があってよいな。強い者にも立ち向かう勇気のある少年もいる」
優男は笑みを向けた。
リヒトは少しほっとする。
「だが」
優男の目の色が変わる。
「先日しつらえたばかりの着物はよごされた。それに対する謝罪もきちんとできない者どもの集まりだとわかった」
「?!」
「お、お着物は弁償させていただきます」
優男は砂にまみれた菓子を草履で踏み潰す。
「汚されたのは着物だけではない。私を大衆の前で恥をかかせた。周りをみろ、こんなに人が集まってしまって。ほら、草履も汚れたぞ」
優男の雰囲気が変わった。
ねっとりと付き纏う様な空気。
リヒトの肩を掴む女将の手が震える。
大男と対峙するよりも優男との対峙に恐怖を感じた。
ナギを庇うために、咄嗟に飛び出したが、その後どうすればいいかわからない。
だが、理不尽に屈したくもなかった。
「少年よ、剣術を嗜んでいるようだが、なぜだ?」
「…守るためだ」
弱い人を守るため。
刀という力があれば、守ることができる。
幼い日に自分を助けてくれたあの剣士のように。
「ははははは。守るためか、正義感があってよろしい。今日は楽しい下町見物だな」
優男が自身の刀を鞘から引き抜く。
咄嗟にリヒトも木刀で構える。
「私は、実力もないのにでしゃばる奴と口の利き方もわからない世間知らずが大嫌いでね。目障りだ」
優男は刀を振り上げた。
同時に、ナギの母がリヒトの肩を力いっぱい引いた。
リヒトは後ろに倒れ込んだ。
激しく背中を打ちつけ、持っていた木刀も真上に放り投げてしまった。
ナギの母親に向かって優男の刀が振り下ろされるのが目に入った。
ああ、酒屋の親父に言われたように余計なことをしなければよかった。
僕が前に出てきたばっかりに逆に優男の気に触ってしまった。
僕のせいで、ナギのお母さんは…
群衆の悲鳴と共に、リヒトはギュッと目をつぶった。
パンッ
何かが弾かれる音と、一拍置いて地面に刀が落ちる音が聞こえた。
「真昼間から、穏やかじゃないね」
少し低い女の声だった。
背中の痛みに耐えながら上体を起こしたリヒトは目を見開いた。
見知らぬ女がリヒトの木刀を持って立っていた。
女の素早い動きに、肩に掛けていた外套が外れたのだろう、くたびれた布が足元に落ちた。
(異国人?)
そこには異国の服を着た、上背のある黒髪の女の後ろ姿があった。
その女は、リヒトの木刀で優男の刀を手ごと弾いていた。
女将は腰が抜け、その場に尻もちをついた。
「貴様ぁ!」
大男が刀を抜き、女に向かって斬りかかる。
女は避けようともしない。
頭上に刀が届く寸前、わずかに女が動いた。
次の瞬間、大男は宙で一回転し、地面に叩きつけられる。
「なんだ、ただでかいだけで基礎がなってないな。」
大男は痛みで悶絶している。
優男は顔をゆがめながら右手首を押さえていた。
女は木刀の先を優男の鼻先に向ける。
「食べ物を粗末にするなと教わらなかったのか?」
女は皮肉な笑みを浮かべた。
優男は女を睨みつけた。
「貴様……こんなことをして、ただで済むと思うな」
ふと、女の腰元に目が留まった。
刀を差している。
それなのに、女は一度もそれを抜かず、少年の木刀一本で制圧したのだ。
周囲の町人たちが、固唾を呑んで見守っている。
優男の頬が引きつった。
手首の痛みよりも、衆目の前で面目を潰されたことが許せなかった。
「手があるだけありがたいと思ってもらいたいね。ただ、しばらくは使い物にならないだろうがな」
優男が左手で押さえる右手は不自然な角度に曲がっていた。
「下町の空気はどうだい?綺麗な都勤めのお偉いさんには埃っぽいだろう。さっさとお家に帰って傷の手当てでもしてもらいな」
女は平然と言い放った。
大男が立ち上がり、再び女に食ってかかろうとしたが、それを優男が止めた。
優男もバカではない。
あの一撃をくらって、女にさらに反撃しようものなら更なる恥をかく。
「異国の女よ。無事に国に帰れると思うなよ」
優男は捨て台詞を残してその場を後にした。
大男も優男の刀を拾い、侮辱の言葉を一つ二つ残して優男の後に続いて去っていった。
優男達の後ろ姿に向かって、女は舌を出した。
十歳ほどの娘が、地面に落ちた外套を拾い、女の背後に駆け寄った。
女が連れていた娘なのだろう。
「あ…ありがとうございます」
呆気にとられていたナギの母が女に礼をいう。
集まった人だかりからも「あれは誰だ?」とざわつく。
「お二人さん、ちゃんと説明もらおうか」
女が顎をしゃくると、茶屋の軒下にいた男二人がびくりと肩を震わせた。
民衆の視線が一気に二人に向く。
女は木刀を肩に担いだ。
「あの二人、娘さんにしつこく絡んでいたんだよ。逃げようとした娘さんが、あのお偉いさんにぶつかったってわけ」
「ち、違う! 俺たちはちょっと声をかけただけで……」
「ほぉ。嫌がっている娘の腕を掴むのが、声をかけるってことなのかい?」
女は担いでいた木刀を静かに下ろした。
二人の視線が木刀に吸い寄せられる。
「す、すみませんでした!」
兄弟は、競うようにナギの目の前で平伏した。
ひと騒動が決着し、野次馬達は散り散りになった。
リヒトは、立ち上がることも忘れ、目の前の光景を呆然と眺めていた。
女の陰に隠れていた少女が、リヒトを引き起こそうと手を差し伸べる。
リヒトは自分より年下の手を借りることに抵抗を感じたが、好意を素直に受け取ることにした。
立ち上がったリヒトは、ナギのもとへ駆け寄った。
「あ、ありがとうございます」
まだ腰が抜けている女将が女に向かって地面に臥した。
ナギも気が落ち着いたのか、母に並んで地面に臥した。
「頭なんて下げなくていい」
女はしゃがみ込み、ナギの顔を覗き込む。
顔の腫れを確かめるために、ナギの顔に軽く触る。
「しかし、娘の顔を容赦なくぶっ叩いたもんだな」
ナギは目の前にいる、美しい女に一瞬で目を奪われた。
「ーっ」
倒れ込んだ拍子にできた擦り傷もたくさんある。
「あ、あの…どれほど感謝を述べればいいのか」
「だから、お礼なんていらないよ」
女は他に傷はないか確認している。
「ならば、お名前だけでも…。」
「…ミツキ」
異国の服を着た容姿端麗な女は、ふと笑みを浮かべた。
「ミツキ様…」
背が高く、凛とした佇まい。
男とも女とも思える容姿。
ナギがミツキを見つめるその目が、乙女そのものだった。
「とりあえず、近くに医者か薬屋はないのか?」
ミツキが女将に聞いた。
女将の視線がリヒトに移る。
「あ…僕の家が医者です」
リヒトがおずおずと手を挙げた。
読んでいただきありがとうございます。
今後も頑張ります!




