3、書状
その書状が帝の元に届いたのは、夜半を過ぎた頃だった。
帝都の宮廷は、深い静寂に包まれていた。
廊下に並ぶ灯火が、風もないのにかすかに揺れている。衛兵たちは定められた場所に立ち、誰一人として無駄口を叩かなかった。
この宮城では、沈黙が礼儀であり、時には命を守る術でもあった。
妃を抱えながらまどろんでいた帝アスワドは、慌ただしく寝所に向かってくる足音に気がつき、身体を起こした。
「このような夜更けにご無礼と存じますが、左大臣及び右大臣が拝謁いたします」
小声ではあるが、早口でどこか焦りが滲む。
「夜更けに何事か」
身体に巻かれた妃の腕をどかし、乱れた寝巻きを整えながら答える帝の声は不服そのものだ。妃も目を覚まし、寝ぼけ眼を擦っている。
七年前の内乱があって以来、宮中を揺るがすような騒ぎは起きていない。
少なくとも、アスワドはそう思っている。
夜更けに左大臣、右大臣が拝謁を求めるなど、ただ事ではない。
「よい。入れ」
寝室の中に左大臣と右大臣が入室する。
右大臣は寝台に腰掛けているアスワドと視線を合わせたあと、背後にいる妃に目をやった。
視線に気がついたアスワドは妃を別室へ連れて行くよう裏方で待機していた女官に指示し、広い寝所にはアスワドと左大臣、右大臣のみになった。
「至急、陛下ににご覧いただきたいものがございます」
差し出されたのは、書状であった。
こんな書状のためにまどろんでいた所を叩き起こされたのかと、深く刻まれた眉間の皺が物語る。
アスワドはいぶかしげに書状を受け取った。
擦り切れた封書を開くと、見覚えのある印が目に入った。
心の臓が一気に跳ね上がる。
この印はもう見る事はないと思っていた。
中身を改めて、字面を追う。
その視線の動きがだんだんと遅くなっていく。
眉間の皺はさらに深くなり、表情は徐々に引きつった。
書状を持つ手が小刻みにふるえ、手元を照らす蜜蝋の灯火がゆれる。
「…なんだこれは」
「申し訳ございません」
大臣二人はそれ以上の言葉を発しなかった。
「なぜ今頃になって亡者から書状が届くのかと聞いている!」
怒号が澄んだ夜の空間に響き渡る。
さらに空気が張りつめた。
「夕刻、門番に童がその書状を渡してきたようです。私どももはじめはいたずらと思いましたが、内容が内容でしたので…」
頭を下げた左大臣の声は微かに震える。
「その子どもは?」
「捕らえております。」
左大臣に取って代わった右大臣の声ははっきりとしていた。
「殺せ」
何の躊躇もないアスワドの命令だった。
すかさず、右大臣が提言した。
「帝、書状の追跡もまだ完了してはおりません。まだ判断能力もない童。話を聞かぬことには…」
「ではさっさと童を締め上げて吐かせろ!」
アスワドは書状をにぎり潰し床に投げ捨て、それは右大臣の足元に転がった。
(なぜ、今ごろ…。)
アスワドは頭を抱えた。
「梟は何をしていたのだ。いたずらでもこの様なものが私に届くなど」
梟とは、何代も前から帝の身辺を守ってきた隠密集団だ。
帝の盾となり鉾になる。
帝にあだなす不穏分子を未然に防ぐ役目もあり、広く深い情報網を持っている。こうした不穏な書状などは、現帝になってからは宮中に届くまでに処分されるはずだった。
「書状を持ってきた童から事情を聞き次第、内容によって頭領の処遇を決めていただければと。」
右大臣が握り潰された書状を拾い上げた。
*
寝所から退出した左大臣は苛立っていた。
「梟の管理は右大臣殿の管轄では?」
「承知。まずは子どもから事情を聞かなければなりませんな。」
左大臣の苛立ちとは対照的に右大臣は冷静だった。
(梟の目をもすり抜けた書状か。いたずらと思い帝へ高覧いただいたが…あの様子だと本物に間違いはないだろう)
右大臣は拾い上げた書状に改めて目を落とし、最後の一文を読んだ。
「我が魂は月と共に帰還する」
書状には、七年前に討たれた前帝の印が押されていた。右大臣も幾度となく目にした印だった。
「…月、か。」
見上げた紺色の夜空に、瞬く星が霞むほどの満月が光っていた。




