第五章 「好きすぎる」
学校では、僕らはそれほど恋人らしくなかった。
教室にはいつも誰かがいた。少し長く話しているだけでからかわれるし、目が合ったことまで見つける子もいた。
好きだと言葉にするには、人が多すぎた。
林花は、僕と話すための理由を作っていた。
僕の席の近くに鉛筆削りがあったころ、林花は鉛筆を削りに来た。削る必要があるから来たのだと、そのときの僕は思っていた。
あとになって、僕と話したかったからだと知った。鉛筆は口実だった。
僕を見ていることを周りに気づかれないように、僕の近くにいる別の子を見ているふりもしていたらしい。
それも、あとから本人に聞いた。
僕はその視線に気づいていなかった。林花が僕を見ていた記憶ではなく、見ていたのに僕が気づかなかったという話だけが残っている。
知らないところでも好かれていた。それが嬉しかった。
学校での林花は、照れて僕から離れることがあった。目が合っても、何でもないような顔をすることがあった。
放課後、二人だけになると違った。
アパートの横で会った日の夜、僕は学校での態度を気にしていたらしい。林花はメールで、それと自分の気持ちを結びつけないでほしいと説明した。
二人で会っているときの気持ちが本当だから。
正確な文面は違うかもしれない。でも、そういう意味だった。
学校では抱きつけなくても、二人のときならできる。人前では言えなくても、メールなら言える。
画面の中では、教室にいた人たちが全員いなくなった。
そこには僕と林花しかいなかった。
> 会いたい。
>
> 今日会ったじゃん。
>
> それでも会いたい。
「好き」は何度も送った。
一度伝えれば十分な言葉だとは、どちらも思っていなかった。
好き。
大好き。
愛してる。
文字にすると、恥ずかしさよりも伝えたい気持ちの方が勝った。
学校で会い、放課後にも会い、家に帰ってからメールをした。それでも足りなかった。
別れた直後から、また会いたいと書いた。
次の日の予定を聞いた。塾があるなら、その前に少しだけ会えないかと考えた。家の用事で待ち合わせが遅れれば、林花は何度も謝った。会えない時間が楽しくない、早く会いたい、と送ってきた。
一日の大半を会うために使うこともあった。
何をしたのかは覚えていない。
散歩をしたのか、公園にいたのか、アパートの横でずっと話していたのか。昼過ぎに会って、次に残っているメールが夜だったというだけの日もある。
その空白の数時間に、僕らは一緒にいた。
メールに記録されていない時間の方が、たぶん幸福だった。
会えなかった日のことも残っている。
林花が頭が痛いと言った日、僕は休んだ方がいいと考えた。林花は、それでも会いたいと言った。前の日に会わなかったことを後悔している、とも書いた。
体調が悪いなら無理をしない方がいい。当たり前の話だった。
それでも、会いたいと思ってくれたことが僕は嬉しかった。
その夜、夢に出てきてほしいと林花は言った。
別の日には、林花から、僕が夢に出てきたというメールが届いた。
夢の中で僕は、急に遠い国へ引っ越すと言ったらしい。もう会えないのだと思い、林花は泣いた。
もちろん、僕は引っ越さなかった。
僕はどこにも行かないと返した。
それだけのやり取りで、彼女が僕を失う夢を見たことと、起きてから僕に知らせたことが、妙に嬉しかった。
僕らは、現実ではまだ何も失っていなかった。
メールが途切れると、少し前まで一緒にいた相手が急に遠くなったように感じた。だから、また送った。
> 今なにしてる?
>
> なんにもしてない。
>
> じゃあ話そう。
話すことがあるから送るのではなかった。
話したいから、話すことを探した。
今日の授業のこと。クラスの誰かのこと。テレビのこと。明日の予定。眠いという報告。風呂に入っているという報告。もう寝るという宣言。
おやすみと送ったあとで、もう一度メールが来て、そこからまた何通も続くこともあった。
最後にもう一度だけ好きと言う。
相手からも返ってくる。
今度こそ、おやすみと送る。
その数分後に、別の話題が始まる。
会えない日には、林花は寂しいと言った。僕も寂しいと返した。
次に会える日を決めた。決められなければ、いつなら会えるのかを何度も考えた。
塾までの一時間でも会った理由を、わざわざ説明する必要はなかった。
僕らは、会いたかった。
それだけだった。
未来の話もした。
大人になったら一緒に住む。
ずっと一緒にいる。
いつか結婚する。
小学生の僕らは、一緒に住むために必要なお金も、結婚するまでにかかる年月も知らなかった。
知らないから言えたのだとしても、嘘ではなかった。そのときの僕らは、本当にそうなると思っていた。
自分たちが大人になれば、その未来がそのまま来るような気がしていた。
二十歳を過ぎた僕が十二歳の約束を現実的ではないと言うのは簡単だ。
けれど、現実的かどうかと、本気だったかどうかは別の話だった。
僕らは本気だった。
少なくとも、僕はそうだった。
そして、残っている言葉を読むかぎり、林花も同じだったと思う。
好きだと言われるたびに安心した。
その安心は、長くは続かなかった。
好きという言葉が多いほど、それが来ない時間に敏感になった。
返信がいつもより遅い。学校で別の誰かと話していた。今日はあまりこっちを見なかった。
それだけで、不安になることがあった。
林花は嫉妬した。
僕も嫉妬した。
本当は何も起きていないのに、何かが変わったのではないかと疑った。確認のために送った言葉が、相手を責める言葉になることもあった。
> なんで返してくれないの。
>
> ちょっと遅れただけ。
>
> もういい。
少しの沈黙を、そのまま沈黙として受け取れなかった。
嫌われたのかもしれない。誰かの方が好きになったのかもしれない。もう会いたくないのかもしれない。
小さな出来事から、僕らはすぐに一番悪い答えまで進んだ。
喧嘩は多かった。
理由はどれも、今なら大したことではないと言える。誰と話した。返事が遅かった。言い方が冷たかった。好きと言ったのに、同じ言葉が返ってこなかった。
けれど、当時の僕らにとっては大したことだった。
相手が一日の大きな部分を占めていると、ほんの少しの違いまで大きく見えた。
僕らには、相手を好きでいる以外のやり方がほとんどなかった。距離の取り方も、不安を自分の中で処理する方法も知らなかった。
だから、そのまま相手に渡した。
それでも、仲直りは早かった。
もういい、と送ったあとで、本当によくなることはなかった。メールが来ないか何度も確認し、自分から送る理由を探した。
どちらかが謝れば、もう一人も謝った。
> ごめん。
>
> 私もごめん。
>
> まだ好き?
>
> 好きだよ。
それで、元に戻った。
少なくとも僕らは、元に戻ったと思った。
好きだから不安になった。不安になるほど好きだった。
喧嘩をしても、嫌いになることはできなかった。むしろ離れそうになるたびに、どれだけ離れたくないのかを確かめていた。
幸福と不安は、僕らの中ではきれいに分かれていなかった。
好きだと言われることが一番嬉しかった。
同じ相手から好きだと言われない時間が、一番怖かった。
僕らはお互いを好きすぎた。
そしてあのころは、好きでさえいれば、何度でも仲直りできると思っていた。




