第四章 「学校の向こう側」
僕らの家の間には、学校があった。
林花の家と僕の家は、学校を挟んでほとんど反対側にあった。歩けば二十分くらいだったと思う。
同じ教室にいるあいだは、その距離を意識することはなかった。放課後になると、学校の向こう側は急に遠くなった。
林花は中学受験をするために塾へ通っていた。授業が終わっても、そのあとの時間が全部自由になるわけではない。塾までの短い時間や、何も予定のない日を探して、僕らは会った。
待ち合わせに使うことが多かったのは、僕の住んでいたアパートの横だった。
通りから少し外れた、人があまり来ない小さな場所だった。何か特別なものがあったわけではない。見慣れた壁と、見慣れた道があるだけだった。
ある冬の日、林花はそこまで一人で来た。
前に通ったから道は覚えている、とメールに書いていた。暗くなる前なら大丈夫だとも言った。僕は何度も、今どこにいるのかを確認した。会えると決まってから実際に姿が見えるまでの時間だけ、道のりが普段より長くなった。
角から林花が現れた。
たぶん、その日も白いふわふわした上着を着ていた。そうだったと断言できるほど正確な記憶ではない。けれど冬の林花を思い出そうとすると、僕の中ではいつも長い髪と白い上着が先に出てくる。
「道、分かったんだ」
「前に来たから」
そんな程度のことを話した気がする。
会っても、することはそれほどなかった。学校であったことを話し、意味のない話をして、近所を少し歩いた。僕のDSを林花に貸したこともあった。
何のソフトが入っていたのかは、もうはっきりしない。覚えているのは、ゲームの内容ではなく、僕のものを林花が持って帰ることが少し嬉しかったということだった。
次に会う理由が、ひとつ増えた気がした。
長くても一時間くらいだった。もっと短い日もあった。会ったばかりなのに、林花には塾へ行く時間が来る。
僕らは何度も時計を見た。時間を確認するたび、残り時間が減った。それでも、会わないよりはよかった。
林花の誕生日に、財布を渡した。
水色で、金色の金具がついていた。小学生の小遣いで買える安い財布だった。
どこで、どうやって渡したのかはまったく覚えていない。たぶん、いつもの公園だったのだと思う。照れながら差し出したのか、何でもないふりをしたのか。林花がその場で何と言ったのかも残っていない。
その夜のメールは残っていた。
男の子から贈り物をもらったのは初めてだったこと。嬉しかったこと。短い文面の中で、林花は何度も礼を言っていた。
しばらくして、林花は友達と入った店で同じ財布を見つけたらしい。誰にもらったのかを勘づかれて恥ずかしかった、と僕に話した。
中学生になってからも、林花はその財布を使っていた。
値段は覚えていない。渡した瞬間さえ覚えていない。それでも、水色と金色だけは、メールの向こうから戻ってきた。
夜にしか会えない日は、林花が僕の家の近くまで来た。
アパートから少し歩いたところに、小さな公園があった。昼間なら子どもが遊ぶ場所だったけれど、夜になると人はほとんどいなかった。
僕らはそこのベンチに座った。
冬だった。
隣に座ると、林花の長い髪が近くにあった。話しているうちに、どちらからともなく距離がなくなった。
僕らは抱き合った。
寒かったから、という理由でも通ったと思う。けれど、寒くなくてもそうしていた。
上着越しに伝わる体温を覚えている。近くにいると、林花から少しいい匂いがした。
何の匂いだったのかは、今でも分からない。
ただ、その匂いを思い返すと、あの公園の暗さと、冬の空気まで一緒に戻ってくる。今思い返しても、懐かしい、いい匂いだった。
僕はポケットから携帯を出して、時間を見た。
「もう帰らないと」
林花は僕の手元をのぞいてから、顔を上げた。
「そうだね」
そう言っても、二人とも動かなかった。僕が携帯をしまうと、林花はまた隣に寄った。
「でも、もう少し」
「うん」
僕は、さっきまでと同じように腕を回した。
公園の外を自転車が通った。林花が何か言ったけれど、車輪の音に重なって聞き取れなかった。
「何?」
「明日も会える?」
「学校でなら」
「それはそうだけど」
林花が笑ったので、僕も笑った。
「塾の前は?」
「ちょっとなら」
「じゃあ、ここ?」
「明日はアパートのとこがいい」
次の約束は決まった。それでも僕らは、まだベンチに座っていた。
しばらくして、今度は林花が体を離した。僕も腕をほどいた。間に冬の空気が入ってきた。
「帰ろっか」
今度は、僕も立った。
公園の入口まで一緒に歩いた。僕の家はすぐそこだった。林花は、学校の向こう側まで帰らなければならなかった。
「じゃあ、明日」
「うん。帰ったらメールする」
林花は数歩先で振り返った。僕がまだ立っているのを見て、小さく手を振った。
僕も手を振った。
角を曲がるまで、そこにいた。




