第三章 「白い上着」
僕らが付き合い始めた日を、僕は知らない。
日付を覚えていない、というだけではない。
その日が授業中だったのか、放課後だったのかも曖昧だった。
覚えているのは、場所と、林花が着ていたものだけだ。
六年生の校舎の、一番上の階。
人の少ない階段の踊り場。
どうしてそこにいたのかは分からない。
授業中に何かの理由で教室を出ていたのかもしれないし、放課後に二人で残っていたのかもしれない。
どちらもありそうで、どちらも確かではなかった。
林花が僕を好きなのではないか、と気づいてから、僕も林花のことを意識するようになった。
教室で話せば楽しかった。
昼休みに近くにいれば、それが普通になった。
むしろ、林花が来ることをどこかで期待していたと思う。
いつから僕も好きになっていたのかは分からない。
気づいたら、そうなっていた。
階段の踊り場で、林花は僕の隣にいた。
長い髪だった。
白い、ふわふわした上着を着ていた。
林花は僕の方へ体を寄せていた。
肩が触れていたのか、それより少し近かったのか、そこまでは思い出せない。ただ、普段より距離が近かったことだけは覚えている。
近くにいたせいか、林花から少しいい匂いがしたことも覚えている。
何の匂いだったのかは分からない。ただ、今思い返しても懐かしい匂いだった。
嫌ではなかった。
むしろ、離れたくなかった。
何を話していたのかは残っていない。
大切な話をしていたのかもしれないし、いつも通りのどうでもいい話から、そこへたどり着いただけかもしれない。
僕は林花に、好きだという意味のことを言った。
「好き」と、そのまま言ったのかもしれない。
「付き合う?」と聞いたのかもしれない。
両方言った可能性もある。
林花が何と答えたのかも覚えていない。
それでも、その場で僕らの関係が変わったことは分かっている。
それまでは、同じクラスでよく話す二人だった。
そこから先は、恋人だった。
小学生の交際に、正式な手続きがあったわけではない。
誰かに届け出る必要もないし、始まった日を記録しておく発想もなかった。
お互いがそうだと思えば、それで成立した。
だから、僕らには記念日がない。
あとから数え直すための、正確な始まりもない。
思い出そうとするたびに、不思議だと思う。
林花を好きだと伝えた言葉は消えている。
林花が返したはずの言葉も消えている。
どんな表情をしていたのかも、はっきりしない。
なのに、白い上着だけは残っている。
階段の踊り場。
長い髪。
僕の方へ寄せられた体。
それから、白い、ふわふわした上着。
僕らが恋人になった日を、僕は覚えていない。
言葉も覚えていない。
それでも、触れた体温と、近くで聞いた声と、心地よかった匂いは残っている。
白い上着を着た林花の面影も、あのころ彼女を好きだった記憶も、どうしても消えなかった。




