第十章 「割と好き」
その意味を、僕は自分から説明しなかった。
林花にキスをしてからも、僕らのやりとりは続いた。
何事もなかったように話して、また会った。
それで済ませられると思っていたわけではない。ただ、どこから話せばいいのか分からなかった。
キスをした理由より先に、僕自身が林花とどうなりたいのかを決めなければならない気がした。
決まらないまま、時間だけが過ぎた。
林花から訊かれた。
前に家まで送ったとき、どうしてキスしたの。
酔った勢いだったの。
文字だけでも、曖昧な返事を許すための質問ではないことは分かった。
僕は、林花が可愛く見えたからだと答えた。
嘘ではなかった。
けれど、それだけでは酔った勢いとほとんど変わらない。
林花は、嫌だったわけではないと言った。
ただ、どういうつもりなのかが分からなかったらしい。
僕がいつから、そういうことを平気でする人になったのかと思った、とも書いた。
それから、訊いた。
「つまり、キープってことで合ってる?」
違う、とすぐに返した。
違うと思った。
少なくとも、僕の中に林花を誰かと比べて保留しているつもりはなかった。
ただ、付き合いたいとも言わずにキスをして、その後も関係を決めない人間が、外からどう見えるかは考えていなかった。
自分の意図と、自分の行動が相手に与える意味は別だった。
小学生のころにも、たぶん同じ間違いをした。
自分が寂しいことばかりを伝えて、それが林花にどう届くかを考えなかった。
九年経って、言葉遣いはましになった。
それでも、考えてから動く順番は、ときどき逆のままだった。
僕は、あのキスがただの勢いではなかったことを説明した。
林花をいいと思っていたこと。
可愛いと思ったこと。
好きだから、キスをしたこと。
好きだと書くと、画面の中の文字は思っていたより簡単に送れた。
林花から返事が来た。
まず、僕の顔が好きなのだと言った。
そこは大事らしかった。
話しやすい。
一緒に買い物をしてくれる。
どうでもいい話もたくさん聞いてくれる。
一緒にいて楽しい。
また会いたいと思う。
理由が一つずつ並んだあと、最後にこう書かれていた。
「割と好きだと思うよ」
割と、という言葉だけを取り出せば、強い告白には見えない。
けれど、その前には僕を好きである理由が、僕が思っていたより多く並んでいた。
林花は、小学生のころの僕だけを見ているわけではなかった。
今の僕と話して、今の僕と出かけて、そのうえでまた会いたいと言っていた。
それが嬉しかった。
僕はその言葉を信じた。
信じたはずだった。
それでも僕は、すぐに付き合おうとは言えなかった。
林花の過去の恋愛について訊いた。
どのくらい相手を好きだったのか。
うまくいかないとき、どうしていたのか。
恋人とは、どんな関係でいたいのか。
相手を知るために訊いているつもりだった。
実際には、これから起こる失敗を先に見つけようとしていた。
僕は林花の答えを並べ、共通点を探し、僕らの価値観は合わないかもしれないと考えた。
好きでも、それだけで付き合えば、また終わる。
だから、始めない方がいいのかもしれない。
そんなことを伝えた。
林花からすれば、値踏みされているように感じたらしい。
当然だった。
僕は、過去の恋人に対して林花がしたことを材料に、まだ始まってもいない僕との関係まで予測していた。
林花は、相手が違えば関係も変わると言った。
僕はまだ、今の林花をよく知らない。
林花も、今の僕をよく知らない。
それなのに僕は、少ない情報から結論だけを先に出そうとしていた。
問題を細かく分け、起こりそうなことを予測し、傷つく前に避ける。
それは、僕が得意だと思っていたやり方だった。
人間関係では、予測した瞬間に相手を見なくなることがある。
林花は、嫌なことを溜め込まないようにすると言った。
何かが合わなくても、関係を続けるために話すことはできると言った。
僕にも、同じように向き合ってほしいと言った。
その言葉を読んで、僕はようやく、自分が何を避けようとしていたのか分かった。
最初の恋と同じ終わり方だった。
気づいたときには手遅れで、もう一度話したいと言っても拒まれること。
僕は、同じことが起きない保証を探していた。
そんなものはなかった。
林花に限らず、誰と付き合ってもなかった。
必要だったのは、終わらない相手を見つけることではなく、終わりそうなときに話せる相手かどうかだった。
林花は、話そうとしていた。
先に逃げようとしていたのは僕だった。
僕は謝った。
それから、小学生のころから、たぶんずっと林花のことを忘れられなかったと伝えた。
好きだから、これからの時間を恋人として一緒に過ごしたい。
今度は、キスより先に言葉を置いた。
林花は、僕のことをまだ知らないと言った。
そのうえで、もっと話していきたいと言った。
僕らは、すれ違ったら話すことにした。
嫌なことを黙ったままにしないことにした。
相手の考えを、過去から勝手に決めないことにした。
約束というほど整った言葉ではなかった。
それでも、そのやりとりのあと、僕らは恋人になった。
小学生のころと同じで、何月何日の何時に、どの言葉で付き合い始めたのかは曖昧だった。
違ったのは、今回は話したことだった。
僕は確認した。
林花も、自分の言葉で答えた。
数日後、僕が好きだと送ると、林花も好きだと返した。
小学生のころのメールと同じ言葉だった。
けれど、僕らはもう小学生ではなかった。
これは昔の続きではない。
今の林花が、今の僕を選んだのだと思った。




